見出し画像

令和時代の情報の激流を泳いで溺れて。

ワタシは「自分の興味のある分野」については
みんなが知っていることは知っていたいし、
まだみんなが知らないことも知っていたい好奇心のかたまりだ。

ちなみに江戸時代の確か800倍くらいの情報が今の世の中溢れているそうである。
現代人が1日で触れる情報は、江戸時代の人の一生分とも言われている。

人生を80年、1日の睡眠時間を8時間と仮定すると、
一生であなたが処理できる情報量は、およそ1500億ビットになる。

正直1500億ビットがどれくらいか分からなぁい。のだけど、
限られているのだから、ワタシが冒頭に書いたワタシの好奇心を全て満たすことは不可能である。
よって、知的好奇心をどこからの情報で満たすか、はかなり重要になってくる。

情報には流れがあって、上流に行くほど河川と一緒でその幅は狭い。
世の中のマスコミが流す情報は河川で言うと下流の海に流れ込むあたりだ。

自分の属するコミュニティは個人差はあれど
家、職場、趣味、地域・・・とその「輪」は大きくなっていくんだろうと思う。
その個人のコミュニティでのコミュニケーションとマスコミの最下流の情報が
ワタシの母のような「田舎の専業主婦」が手にしている情報だと思う。
(決して母をディスっているわけではありません。)

午前中は家の掃除や洗濯、午後からスーパーに行ってご飯を作って、
犬の散歩で近所の人と会話して、
美味しいご飯を作ってくれるそんな「おかあさん」より、
半年外出は一切せずに、
インターネットで世界から情報を取っている引きこもり君の方が
きっとたくさんの情報を取っている。

今回のコロナちゃんのおかげで、
コミュニティ間のコミュニケーションが制限された時、
世の中の情報の「どこ」から情報を取っているか?が
顕著に可視化された気がする。

一分野でいいので、ある情報上流の分野にいると
他の情報上流にいる誰かが面白がって声をかけてくれることもある。

今回改めて自分の情報の取り方についてとても考えさせられた。
情報は過多で中にはゴミも混ざっており、そして激流だ。

でも、そこでワタシの知的好奇心が満たされると言うことを一度体験してみると、
その「上流」の速い流れの中を溺れながらも泳いでみる、と言うことを
やるしかないんだなと改めて理解できた。

昨日新たに取った「情報」は何だろう?
その積み重ねでワタシ達は出来上がっている。
その積み重ねでワタシ達は創られていく。

あなたが最近取った鮮度の高い情報はなんですか?



励みになります。個別にお礼のメッセージさせていただきます。