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変化してしまうから、変化できる。

カウンセラーの市岡です。

突然ですが、最近、寝っ転がって空を見たことがありますか?

穏やかな天気の日、立った状態で雲を眺めていると全然動いていないように見えますが、寝っ転がってみてみてみると、びっくりするくらい雲が動いています。

仏教では無常ということが言われます。
よく無情と間違えている人がいますが、「情」ではなく「常」です!

ずっと同じなんてないよということ。
すべてのことは生まれては消える、生まれては消えるという性質を持つということです。

たしかに、自分の周りを見渡しても、ずっと同じものなんて一つもありません。同じに見えていても劣化していたり、何かしらか変化しています。

肉体も同じように変化します。
思いも、自分の価値観も変化します。

ずっと同じテンションで怒り続けていることもないし、ずっと不安が続くこともありません。

いやいや、ずっと不安だよ、ずっとイライラしているよという人もいますが、丁寧に心の動きを観察していると、変化していることに気づくはずです。

昨日と今日では違いはあまりわからないけれど、1年も経つと体型が変わっていたり、真逆のことを言い出しているかもしれません。

自分自身が変わるように、他者も変わります。環境もすべて変化し続けています。それは静かで、とてもダイナミックな変化です。そんなダイナミックな動きの中で、自分自身も変化し続けています。

変化し続けている。無常です。

ネガティブや悪いということもやはり無常です。
残念ながら、これが続けばいいのに!!っていういいことも無常です。
あと、期待したとおりの変化が訪れるとも限りません。(むしろ少ない…)

私たちの期待とは関係なく変化し続けます。
でもこれはとっても重要なポイントです。

変化してしまうからこそ、私たちは変わる可能性を秘めている存在ということでもあるのです。

私はそんな無常観の可能性が好きです。

変化してしまう、だから私たちは変われる。
東洋の偉大な智慧の一つです。



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