【読み聞かせ】ヒーリングストーリー 千一夜【第8夜】マル子の恋
今日もお疲れさまでした
お休み前のひとときに
ココロを癒やすファンタジックなショートストーリー
どうやらマル子は失恋したらしい。
昨日の夜、クリーニングから返ってきたスカートをマル子に渡そうと部屋の前まで行ったとき、
「彼に……振られちゃった……」
とマル子が友だちと電話で話している声が聞こえてきてしまったのだ。
——これは……試練だ。
そう思った。
マル子の試練なのか、母親のわたしにとってなのかはわからない。
とにかく、『試練』という言葉だけが頭の中をグルグルした。
午前中の家事を終えたあと、コーヒーを入れながら今朝のマル子のようすを思い出す。
マル子はいつもと同じ時間に起きてきた。
「……んじゃ、いってきます」
と大学の授業へ行くのも、いつもどおりだった。
だけど、わたしはマル子のリュックにぶら下がっていたカラビナがなくなっているのを見逃さなかった。
崖を登るときに使うような、ちょっとごついタイプのカラビナ。
誕生日、マル子は嬉しそうに
「彼がくれたんだよ」
とカラビナをわたしに見せた。
彼女にカラビナをプレゼントする男って、いかがなものだろうと思いながらも、
「いいね、鍵とかいろいろぶら下げられるし」
と話を合わせておいた。
そのカラビナがリュックから外されていた。
もしかしたら……彼氏は山男だったのかもしれない。
いずれにせよ、マル子は振られた。
マル子は中学生の頃、高校生の頃……と各時代で付き合っている男の子がいたようだった。
その当時は、彼氏からのプレゼントの話など聞くこともなかった。
だけど今回、カラビナをわざわざ見せにきたあたり……
彼氏を家に連れてきて、紹介する布石だったにちがいない。
——大学生だもんね。これまでとは、さすがに本気度がちがってたな……。
つい、ため息が出る。
ドリップしたコーヒーは、いつの間にか冷めてしまっていた。
マル子の部屋の前をとおると、微かにすすり泣く声が聞こえてくる……
そんな夜を幾晩か過ごした。
マル子はこれまで本気の恋をしたことがなかったんじゃなかろうか。
あるいは、マル子はいつも振る方で、振られるのには免疫がなかったんじゃなかろうか。
わたしもひとり娘の失恋に免疫はない。
大切に育ててきた娘を誰かに
「もういらない」
といわれることが、これほどこたえるとは知らなかった。
——いったい、ウチの子のどこが気に入らないっていうの?
山男……かどうかもわからない輩に、ウチの娘の良さがわかってたまるもんかっ!
マル子が、かわいそう!!
なにをしていても、不意にモヤモヤした気持ちがわき起こる。
辛い。
ああ、辛い。
やっぱりこれは、わたしの『試練』でもあるのだ。
今日はずっと雨が降っている。
朝から薄暗いままで、ただでもへこんでいる気分がさらに滅入ってしまう。
——カラビナは捨てたのかな……。
捨てたとしても、マル子がどんな気持ちで捨てたのだろうと考えただけで、胸が重苦しくなった。
このなんともいえないモヤモヤはどうにかならないものかと悩んでいたとき、昔聞いた話を思い出す。
たとえなにが起こっても、
『これが、きっといいことにつながる』
そう思う方が人生うまくいく……という話。
思い出したものの、いまはとてもそんな風には考えられない。
「辛い経験なんてしたくない。なんでもかんでも、思い通りになったほうがいいに決まってる」
リビングでひとりブツブツ言いながら、ボスンとソファに寝転がった。
このところの寝不足も手伝ってか、あっという間にそのまま眠りに落ちていた。
わたしは真っ白い世界にいた。
光があふれすぎて、辺りが白く見えているだけかもしれない。
ぼんやりと白い世界に漂っていると、なにかとても柔らかなものが、ふわりとわたしに抱きついてきた。
とっさに両腕で包み込む。
柔らかで、あたたかで、思わず頬ずりしたくなるような感触がする。
そのとき——
「早くおばあちゃんに会いたいよ」
わたしの腕の中で、その柔らかなものがいった。
ハッと目が覚めた。
——おばあちゃん……って……。
多少ショックではあるけれど、同級生にはとっくに孫がいる子もいる。
悲しいかな、もうおばあちゃんといわれて激怒するような年でもない。
目を閉じれば、夢で抱きつかれたときの柔らかな感触がよみがえる。
その感触が、わたしを満たされた優しい気持ちにする。
「早くおばあちゃんに会いたいよ」
まっすぐな、あの言葉。
大人になってからというもの、忖度やらおべんちゃらやらにまみれた言葉の中で生きてきた。
夢の中で会ったあのふわふわとしたものがわたしにいってくれた言葉には、その嘘くささがまったくなかった。
「わたしが……おばあちゃんか……」
久しぶりに感じる損得のない愛しさで、なんだか胸がいっぱいになる。
夢で会ったのは、きっとわたしの将来の孫にちがいない。
もちろん夢の話だから、なんの根拠もないけれど。
根拠どころか、こうやって思い返すのも時間のムダにさえ思えるけれど。
だけど……
あの子は、きっとわたしの孫なんだ。
いつか生まれてくるマル子の子どもなんだ。
そんな確信めいた思いが、わたしの中に根を下ろす。
もしかしたらマル子が産む子じゃなくて、結婚相手の連れ子だったりするかもしれない。
だとしても、早く会いたいといってくれたあの子に会えるなら、実の子だろうが養子だろうが里子だろうがかまいやしない。
おばあちゃん、と屈託なく呼んでくれるあの子が、いつの日かわたしの目の前に現れる。
それだけでいい。
——山男にフラれなければ出会えない人に、マル子はこれから出会うんだ。
出会いがすぐに訪れるのか、ゆっくりとやってくるのかはわからない。
でも……
『これが、きっといいことにつながる』
試しに、そう信じてみるのも悪くない。
夜までやまないと思っていた雨は、知らないうちにあがっていた。
↓第9話
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