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いかなる花の咲くやらん 第3話    (原作大賞応募用)

お前は箱根大権現様へお行きなさい。
父上は箱根大権現様を信仰していらっしゃいました。お前の箱王という名前も、箱根大権現様から頂いたのです。権現の別当様には、話を通してあります。
よく学び、立派な法師になり、父上の孝養を懇ろにするのです。」
それを聞いた箱王は 「わかりました。私は前世で何か悪いことをしたので、父上に会えない人生を送ることになったのかと 思い悩んでおりました。修行して読経を続けることが、父上のためになるのでしたら、喜んで箱根に参りましょう」
と 目にいっぱいの涙をためて答えた。

箱根大権現神社で、箱王は父の菩提を弔うために立派な僧になろうと 毎日、辛い修行を辛いとも思わず、励んでいた。他の稚児たちが遊んでいるときも、ひと時も怠けず ひたすら経を覚え、念仏を唱え、座禅を組み、作務も自ら進んで行った。そして僧としての修行の傍ら、ひそかに武芸を磨くことも怠らなかった。権現の森の奥深く、杉の木を相手に剣術の稽古をする音が響いていた。もともと、その事情を知って気の毒に思っていた別当の行実は、箱王が真面目に父の御霊を安らげようとする姿に感心したが、一方であまりに真摯な姿に、心を壊すのではないかと心配もし、陰ながら箱根大権現様に、箱王の健やかな成長を祈っていた。

箱王は 幼い時から兄の一万と共に父の仇をとることを親孝行の誉と、剣の鍛錬に明け暮れてきたが、今は父のことを思いながら読経することが、一番の親孝行と自分に言い聞かせた。三年半の辛い修行が明け、いよいよ出家するときが近づいてきた。
箱王は本宮に詣で、「ついに出家する日が近づいてまいりました。毎日毎日読経し、まじめに修行をしてまいりましたが、心の中の憎しみは消えません。今も、工藤祐経の首を取りたいという気持ちがくすぶっております。どんなに読経いたしましても、父上の苦しみの声が耳に残ります。私が仇を討たなくては 父上は救われないのではないでしょうか。もしも、私が仇を討つことを権現様がお許しになるのでしたら、どうか私にお示しください。お示しがなければ、僧になることを定めとし、素直に頭を丸めます」
箱王が手を合わせ、目つぶって祈っていると、御宝殿の中から「泣く涙、斎垣の玉となりぬれば 我もともに袖ぞ露けき」(お前の涙が、神社の垣根の玉となるので、私も袖で涙をぬぐっていますよ。)と聞こえた気がした。
あれはお告げだったのだろうか。仇討ちをせよとおっしゃってくださったのか。

健久元年(1190年) 冬 箱根

新しい年があけた。
そして、一月十五日に 頼朝が御二所詣のため、三島大社へ参ずる前に 箱根大権現に来ると知らされた。
「頼朝様が、箱根に来る。祐経は頼朝の側近と聞いている。必ず一緒に来るであろう。
これが権現様のご利益であろうか。本殿で祈ったのが昨年十二月十五日、それから一月もしないで、祐経に会う機会をくださった。ありがたく、尊いことだ。

父の仇の祐経が、寺に頼朝の供でやってきた。その祐経をみつけて「祐経か。あいつが父上を殺したのか」
箱王は涙がにじむ目に祐経の姿を焼き付けるように柱の陰から睨んでいた。
「父上…」

「この寺に河津祐泰のご子息が修行をされていると伺ったのだが」祐経が何食わぬ顔で近くにいた小僧に箱王のことを聞いた。
「箱王ですね。あー、あそこに居ります。あの柱のところに立っております。呼んでまいりましょうか」
「おお、頼むわ。わしは箱王とは親戚でね。頑張って、良い坊さんになるように声をかけてやろう」
祐経は、箱王を呼んだ。

「おお、お前が箱王か。お前の父上とはいとこ同士でのう。私の父が早くに亡くなったので、そなたのおじいさまに引き取られ、父上とはいとこというより、兄弟のように育ったのだ。
そなたは父上にそっくりだな。大きな体に恵まれて、立派に箱根大権現様にお仕えできそうだ」
祐経は、最初は箱王の父祐泰とは仲が良く、兄弟のように育った。何者かに矢を射られて、亡くなったと聞いたときは信じられなかった。あれだけ文武に優れた祐泰殿が、狩りの流れ矢で亡くなるとは。と、しらを切って話していたが、酒がすすむとだんだん本性を現してきた。
「もうすぐ出家するそうだな。そうすればもう立派な僧だ。殺生はできなくなるな。
いやー、めでたい めでたい。これでわしもやっと枕を高くして寝られるわい。坊主が仇討ちなど片腹痛いわ。お前の父上のことは大嫌いだった。大きななりが威圧的だった。顔が良いことをひけらかして、周りの女子は皆、祐泰に夢中だった。優しいふりをして、わしにもいつも優しく接しおって、わしは見下されているようで むかむかしたわ。見た目ではかなわぬので、せめて学問でと思っても、まるっきりダメだった。ならば武術でと頑張っても、祐泰は力も強く、足元にも及ばなかった。挙句、爺さんは儂(わし)の領地の全てを奪った。
お前のお爺さんの祐親を討つはずが射そこない、祐泰を討ったと聞いたときは、しくじったと思ったが、そのあとは上手くいった。自慢の息子を亡くした爺さんは、もう気力をなくしてのお。ふぉふぉふお。頼朝様の世になって、平家に与していた祐親は力を失い、伊東も河津も我が物になった。挙句に、忘れ形見のお主はついに坊主になるという。おっと、これはしたり。少々話し過ぎた。まあ、せいぜい励めよ」

箱王はぶるぶると震えた。

箱王はぶるぶると震えた。「今、ここでこの祐経を殺してしまいたい。今までは本当に父を殺したのが祐経か確証はなかった。しかし、ここまではっきり自白されてそのままにしておけない。兄者、兄者、この箱王はどうした良いのですか。一人で仇を討つことは許されましょうか。権現様、神社の境内で刀を抜くことは 許されましょうか」
祐経は今言ったことを忘れたように 親切ごかしに「袴や馬にも困っているのだろう。これからは私がなんでも助けよう。旦那がいると思って頼ってくると良い。そうは言っても今は何も差し上げるものがない。せめてこれをお納めなさい」と言って、赤木の柄に白銀の小刀を箱王に渡した。鞘には波と花菱、小柄には梅の精巧な彫刻があった。箱王はその刀で一刀(ひとたち)と思ったが、祐経はその刀を片手で抑え、もう一方の手で、頭を軽くたたいた。仲間の元へ去っていく祐経を 箱王は見送るしかなかった。

物陰に隠れて、悔し涙を流す 箱王のもとへ 別当様がやってきた。
「すべて見ていました。神社の中で、人傷沙汰をおこしてはいけないと 思ったのですか。
あなたは本当に分別のある方ですね。
どうなさいますか。このまま出家なさいますか」
「こんなに心に憎しみを持った者が、出家できるのでしょうか」
「修行が終わって出家をすると言っても、その先も修行は続きます。修行を続ける中で憎しみや煩悩が消えていけばそれはそれで良いと思います。
一方で、本望である仇討ちを果たしたのち、晴れ晴れとした心持で、出家なさるのも良いと思います」

それから半年後、箱王は十七歳になった。
いよいよ、次の都での受戒の式に出家することが決まった。

(やはり、開けても暮れても祐経の事ばかりを考えてしまう。このまま僧になっても、学問、勤行の時にも、元服して 兄と共に仇を討つべきであったと後悔ばかりしてしまいそうだ。その煩悩はかえって罪業となるのではないか。頭を剃る前に、兄上に相談するのが良いであろう)
そして、箱王は四年間過ごした 箱根の山を下りる決心をした。
中秋の深夜、一人静かに神社を出て山道を行く箱王の足元を美しく光る満月が照らしていた。そんな箱王をそっと見守る影があった。
「箱王、ここでの修行もそなたの心をすくうことは出来なかったか。これから、そなたの進む道は修羅の道だ。せめて神のご加護があるように私にできることは祈ることだけだ。今夜は月明りがある。箱王のために一晩中、経を上げよう」
別当の読経する声が静かな箱根の山々にしみわたっていった。
冴え冴えとした月は 曽我の里にも輝いていた。 「美しい月だ。箱王も見ているだろうか。いよいよ、明日 出家だな。二人で仇を討とうと 志した日から 十二年もの月日が流れてしまった。道は違えてしまったが これで良いのだろう。仇はこの十郎が討つ。箱王には父上と私のために 供養をしてもらおう。 そして母の支えになって欲しい。箱王なら立派な僧となることだろう。 十郎が感慨にふけっていると、ドンドンと扉を叩く音がした。
こんな夜更けに誰だろう。
「兄上」
「箱王。どうした。明日 出家するのではないか」
「 そうです。ですから どうしても今日中に兄上にお目にかかりたかったのです」
「 いったい… 」
「実は 先月、工藤祐経が頼朝様のお供で箱根大権現へ参りました。今までは父上を殺したのは工藤祐経と言われておりましたが、確証はありませんでした。 ところが祐経がはっきりと「自分が命じた。」と言ったのです。
『父上のことが嫌いだった。』と 『私が出家したら やっと枕をして高くして寝られる』と。そして私を挑発するように刺し刀をよこしました。 私はその場で切り付けようと思いました。ですが 寺院内で刃傷沙汰を起こしては 別当様に迷惑がかかるのではないかと 思い迷った一瞬に 抑え込まれて逃げられてしまいました。
その後はどんなに読経をしても修行をしても、無心になれず 悔しさが私の中を駆け巡るのです」
「 うーむ」
「このまま出家して良いものでしょうか。この悪念がなくならなくては 却って父上にとって罪業となってしまう気がします。 ただ母上は私が出家して僧になることを 切望しておられます。深山を一人きりで降りて参りました。 峰に登る時は父の恩の高いことを思い 谷へ下る時は母の徳の深さを思い。どうしたらよいかわからなくなりました」

参考文献 小学館「曽我物語」新編日本古典文学全集53

これは、原作大賞に応募するため投稿した作品です。
この続きは下記「月に導かれ」の中盤からお読み頂けます。


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