生まれたっぽい町⑥
先生と僕は、僕が卒園する一年前の年のアルバムを一緒に眺めた。僕の写真はないけれど、僕も園にはいたはずだし、年中行事なんかは一年でがらっと変わることもないから、だいたい同じ内容だ。
今の僕よりも十は若い、まだお嬢さんのような先生も集合写真に映っていた。
「この頃は組が花の名前やったんやな。運動会とか覚えてる?」
「はい、鼓笛隊で大太鼓たたきました」
「これ、大きい市民プール。覚えてる?」
「はい。水苦手だったので、足つかなくて怖かったです」
「これはクリスマス会。サンタさんの格好して」
「僕の時もやりました」
どれもこれも、ここへ来る前から覚えていることだった。あとから写真で見て補完したことも多い。今、蘇った記憶ではない。
「これは、作品展の写真やな」
それも覚えていた。しかし、僕の記憶とアルバムの写真は違った。
「あの、僕の時は、なんかクッキーとかの缶をトンカチでへこましたりして……」
「あー! あったあった!」
先生は今日会ってから一番の声を上げたと思う。
「あれは大変やったなぁ」
「そうだったんですか?」
「うん。あの年以来、一度もやっとらん」
なんだか嬉しかった。
僕は先生のことを知らないし、先生も僕のことを知らない。でも、僕と先生には同じ時間を過ごした者しか共有できない記憶がある。
僕は二十七年前、間違いなくこの町に住んでいて、この幼稚園で毎日を過ごしていたのだ。それを初めて実感できた。
来てよかったな。
幼い僕が喋っていた関西弁が戻ることはなかったし、心の奥に封印された忌まわしいトラウマが蘇ったりすることはなかったけれど、来た甲斐は確実にあった。
というか、トラウマなら蘇らない方がいい。
「いやー、それにしても、卒園してから来てくれる子なんて本当におらんよ。それも男の子でねえ」
先生はしきりにそう言った。
「噂を聞きつけたん?」
噂、とはなんのことだろう。
「ここ、なくなるんよ」
急にドラマみたいな瞬間が訪れた。
「え、そうなんですか」
僕が驚いていると、年かさの方の先生が補足してくれた。
「ええ。場所は変わりませんけど、認定こども園になるんですよ。園舎も建て替えてね。今度は二階建てになります」
認定こども園。
なんて現代っぽい響きの言葉だろう。子供もいないし結婚もしていない僕でも、ニュースで聞いたことはある。
そうか、なくなってしまうのか。
いつかこうして、また園を訪れれば、その時こそ何か劇的に思い出すようなことがあるかもしれない、なとど少し思ったりもしていたけれど、それは永遠にかなわないのだ。
改めて、絶妙なタイミングで来られてよかったな、
と思うとともに、
時間の冷たさが怖かった。
自分のいないところにも、時は流れている。
名張のテレビもデジタルになった。地理的に中京よりも大阪への通勤圏である名張はかつて、大阪のテレビを見ることができた。ところが、デジタルに移行してからの名張は三重県として一律に扱われており、中京のテレビ局しか見られないという。姉と一緒にアニメの「美味しんぼ」を見たよみうりテレビは、もう映らないのだ。
しかし、どんなに変わっていようと、変わったことにさえ気づかないほど当時のことを忘れていようと、僕がかつてこの町にいて、息をして転んで泣いて眠っていた事実は変わらない。
この日のこともいつか、ただの「記憶としての記憶」に変わっていくけれど、三十三歳の僕が名張を訪れ、この町で育った証を確かめた時間は、間違いなくあったのだ。
それをまた、確かめたくなるかもしれない。
でも気軽にはできないから、この日のことを記しておこう。ラベルを貼った引き出しの中身が、少しでも透けて見えるようにしておこう。書くという行為は、そのためにあるのだから。
あと、久しぶりに「美味しんぼ」を読みたい。