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なぜ僕は美容師になったのか

ゆるくて憎めない人とのつながり

僕は学生時代の時のアルバイトで11階建ての商業施設の中の1つの飲食店のホールでアルバイトをしていた。

そのビルの9階分くらいは全てアパレルブランドが占めていた。
各ブランドのショップ店員さんが人によっては多くて週に3回くらい僕のアルバイト先で休憩時間としてお茶やランチをして過ごしていた。
アルバイトを始めたての頃、当時のマネージャーから「真面目すぎる、面白くない、チャラくなれ」という毛染めは禁止なのによくわからない指令が出ていた。
昔から比較的記憶力は良く、常連のお客さんの顔もいつもの注文もある程度は覚えていた。

思い切って注文を取った後に「シロップは今日も2つでよろしかったですか?」と言ってみた。そしたらお客さんが机の上のメニューから僕の方に目を移して笑顔で「そうそう!ありがとう!」と言ってくれた。これが僕の中で働く楽しさになった。

そこからはどんどんチャラくなった。

「いつものでよろしいでしょうか?」「ベーコンカリカリにしときますか?」「あの辛いソースまた出しときますね!」全ては「そうそう、ありがとう」の為に。
なんなら「今日もカフェオレでよろしかったでしょうか?」「いや、今日はマンゴージュースにしとくわ」みたいな間違えることすら楽しかった。

さらに上級編。常連のお客さんの中にも何となくこっちの独断でなんかこのお客さんそういう接客苦手そうやな、と感じたらあえて会話のコミュニケーションを取らず毎回同じ注文やけどきっちり聞く、ということも楽しんだ。もはや話さないコミュニケーションですら楽しめた。

そんな感じで毎日楽しくアルバイトをしていた僕にもアルバイトではなく就職を決めないといけない時期がやってきた。当時僕は一度就活を終えていたけど自分がずっと人生をかけて楽しんでできる他の職種はないかと日々悶々としていた。そんな中いつも来てくれる常連さんが「実は子どもができてん、もうここに来るのも今日が最後やねん、いつもありがとうね」と言ってくれた。
何も言わずに来なくなったら良いものの、いちアルバイトの僕にきちんと別れを告げてくれたのが嬉しいとともに、赤ちゃんができてよかったなぁとか本当に赤の他人にも関わらず色んな感情でふわーっと心が満たされた。
この家族でも友達でも知り合いでもない、言語化の難しい人と人とのゆるい繋がりの仕事は一生飽きないんじゃないかとヒントを貰った。

ガチガチの人間関係は時にめんどくさく、ドライな人間関係は時に寂しい。その間のゆるい人間関係の構築が当時居心地良く感じた。

ロボットに取って代わられない

美容師という仕事は少なくとも僕が生きている間はロボットに取られないと信じている。
僕が生きてきた30年間の間でもアナログからデジタルへの移行が目まぐるしく起こり、今は空前のAIブーム。
大好きな旅行も窓口まで行かずに予約ができて、知りたいことはスマホでほぼ全て解決する。
今まで不便だったことが便利になるのは快適で、今後も今不便なことを便利にしようと色んな人や企業の努力によって解消されていくんだと思う。
もし美容院での人の手による施術がAI化されてロボットが行うようになることを現実的に考えたら喜ぶ人はめちゃくちゃいると思う。美容師との会話ってめんどくさいしヘアスタイルも思い通りにならない時もあるし行きたい時にお店は閉まってるし何ならお店まで行くのも面倒。
そんな人にとっては今の美容院のシステムは「不」そのもの。
それでもAI関連の書籍には将来的になくなる仕事と残る仕事の中に美容師は残る仕事として位置付けられている。あらゆる書籍の中でAIの苦手分野とされている3つのポイントがあった。

①創造性②共感③器用さ

これは全て美容師に必要なスキル。(全て努力で養えると思う)
これらを踏まえても美容師の仕事を全てカバーできる日が僕が生きてるうちはこないと思うけど何が起こるかわからない未来。

話を戻して今後美容師のAI化がリアルになっても、人との会話や人の手による施術への安心感や繊細さ、カウンセリングの充実感や美容師との前述のゆるいつながりなどを求める人は必ずいると思っているし、減ったとしても美容師の仕事が無くなるほどのインパクトはないと思う。
でも大してお客様に寄り添うカウンセリングや施術もなくヘアスタイルに満足もできず、むしろ美容師の対応などに腹が立つくらいならロボットに淡々と施術される方がマシ。

抽象的な「人間力」がより一層試される時代になる中で美容師の真価が問われる日がくる、と思って日々仕事に取り組む姿勢が大事かなと思う。
ロボット美容師がうじゃうじゃいても自分のところに施術をしに来てくれる人がいることを信じてこの仕事を選んだし選んでいる。

ずっと勉強を続けられそう

髪型に万人共通の正解はない。
ある人から見てダサいと思う髪型もある人から見たらオシャレに見えてたら正解になるし、100人いて100人変な髪型と言っても本人が満足していたらそれもある意味正解になる。
でも誰が見てもこの人にはこの髪型が絶対に正解!っていう髪型はないと思う。
僕も来てくれるお客様にその日の正解を目指して向き合っているけどある人から見たら「いや、前髪もうちょっと長い方が良いんじゃない?」とか「もうちょっとパーマ強い方が良いんじゃない?」とか色んな人それぞれの正解があると思う。
僕も今の自分の髪型が最も最適な正解かは分からない。だからカラーもしたくなるし伸ばしてみたくもなるし短くしたくもなる。
でもその今日の正解に向けてのお客様との模索が楽しいし、正解がないということは一生向き合っていけるものだということ。

僕は施術をさせていただく時に、お客様の髪型への満足の追求は当然のことで、この人の奥さんが良いって言ってくれたら良いなぁ、職場で好評だと良いなぁ、今度のママ友の会で褒めてもらえたら良いなぁ、とかお客様との会話の中で出てくる色んな方面も意識しながら施術をさせてもらっている。なるべく多くの人が正解と思ってもらえるように。

僕は元々小さい頃から正解があるものが好きだった。
鎌倉幕府を開いたのは源頼朝で、本は英語でbook、臥薪嘗胆の読み方はがしんしょうたん。
先に正解があってそれを覚えて点数を獲得することに夢中で根っからの文系だった。論理的に物事を考える脳がなかった。もはやこれは勉強というより暗記。暗記で大学に入ったようなものだった。
大学に入って遊び呆けてろくな歳の重ね方をしていかずに就活に突入すると急に今までと違って正解がなくなる。受験勉強の時は暗記によって得点を重ねて大学に合格することが正解になってしまっていた。その先の大学に入ってからの正解は考えたこともなかった。
ある日は食品会社の面接に行き、ある日は化粧品会社、ある日はテレビ局に行った。
会社の理念や従業員の数や事業内容を暗記しても面接には受からない。そもそも自分が社会に出てから何がしたいのかの何となくの正解もわからない。とりあえず流れにそって就活をした。そんな中でその時の自分の心の声だけに従って自分の中の正解なんじゃないかという美容師の世界に飛び込んだ。

社会人になってからは将来こうなりたい、あれをやりたい、そこに辿り着くプロセスを情熱は保ちつつ論理的に順序立てて考えるように意識し始めた。
ないけどあるかもしれないその時の正解や合格を探しながら働く中でやっと暗記から勉強の領域に入れたかな、と思う。

そんな毎日頭を使わせてくれる仕事こそ美容師であり、ずっと人として学ばせてもらえる仕事だと思ってこの仕事を選んだ。

なんかかっこいい

「美容師」って聞くとおしゃれ、服装が自由、などのイメージがある。僕もそう思っていた1人で美容師ってなんかかっこいいな〜って気持ちがあった。
そこに当時の僕のひねくれた性格に加えて若気の至りもあって、THEサラリーマンの象徴のスーツや黒髪が魅力的に見えなかった。サラリーマンをやったこともないのに全て右ならえ右に見えてワクワクしなかった。まあいざ美容師として就職しても、服装こそ自由なもののゴリゴリの体育会系でアシスタントはお店の歯車中の歯車でそんなかっこいい理想は一瞬で消え去ったけど現実はそんなもん。
当時、美容師になると決めた22歳の僕はなんかかっこいい、オシャレそう、ずっと興味を持って勉強できそう、お客様と仕事を通じて末永いお付き合いがしたいっていう基本的に自分にベクトルの向いた仕事選びをしていた。

いざ美容師になってお客様が自分の施術で喜んでくれるように、周りの人から褒められるように、楽しくて安心した時間を過ごしてもらえるように、といった感じでやっと自分だけではなくお客様にもベクトルを向けられるようになってきた。

振り返っても本当に未熟で自己中で愚かな22歳だったと思う。人の為に誰かの為に、って心から思わせてくれる仕事に出会えて感謝の毎日。
でもある意味未熟な分、大学の法学部出て美容師ってなんかかっこええんちゃうか!とか周りと一緒はなんか嫌!とか興味あるから長い人生ちょっとやってみよか!ってノリで行動できたからこそ今がある。

真面目に後先考えることもなく、なんとかなる精神で仕事を選んだ結果、特に今まで美容師になって後悔をしたことがない。
今も自分の仕事はなんかかっこいい、って思って働いてる今日この頃です。




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