先祖之助

小学生の頃に時代劇を見て、自身の先祖について興味を持ちました。以来、図書館などで先祖に…

先祖之助

小学生の頃に時代劇を見て、自身の先祖について興味を持ちました。以来、図書館などで先祖について調べて来ました。このページでは、先祖の調べ方の助けとなるべく、史料の探し方から読み方、解釈などについて、歴史の話も含めつつ書き散らして参ります。

最近の記事

大相撲は人生そのもの

江戸時代に始まった大相撲が、興行として成功し今日まで続いている一因に、番付の存在があります。その左右を東西に分け、上から順に位、出身地、四股名を記します。 相撲だけではなく、役者や各地の名産品、金持ちの所得など、様々な番付が作られたところを見ると、日本人はランキングして並べるのが好きなのでしょう。 大相撲の番付は、勝ち負けの星の数だけで上下する至極明快な基準で編成します。例えば、九勝六敗と八勝七敗なら、九引く六で三点の勝ち越しと、八引く七で一点の勝ち越しとなり、前者は後者

    • 年貢を納めることは目出度いこと

      狂言で、百姓物という演目がいくつかあります。そのシテはすべて、年貢を都へ納めに行く百姓です。 私は、「佐渡狐」という演目を見たことがあります。 都の領主の館へ納めに参る越後と佐渡の百姓が、道中道連れとなります。離れ小島の佐渡ヶ島には、狐はおるまいと言う越後の百姓に対し、佐渡の百姓は、いない狐をいるといってしまいます。 しかし本当は狐を知りません。 いないはずだと言う越後の百姓。 そこで、都の領主の館で、裁いてもらおうということになります。 負けたくはない佐渡の百姓

      • 相撲は兵法

        相撲は実戦に通じる 大相撲は江戸時代初期の勧進相撲に由来し、四百年以上の歴史があります。当初は禁止されることもありましたが、やがて公儀より興業が許可されて支配の寺社奉行より鑑札が下されるようになりました。 そんな興業の相撲は、庶民を始め大名までも夢中にさせました。また、明治以降の政財官界の要人たちも同様でした。そのわけは、相撲は兵法だからです。 大名は石高一万石以上の領主で、武家の棟梁たる征夷大将軍の軍勢催促に応じる者のことです。この一万石というのは、ただ切りのいい数字

        • 博奕打ちと牛馬商と中古車販売

          中世では、人の集まる三日市、六斎市などの市には、賭博を生業とする博労{ばくろう}が、双六で客と金品を賭けて娯楽を提供しました。「東北院職人歌合」には、客に負けたのか、裸の博労が描かれています。 また、『太平記』には、支配者である大名たちが、闘茶で金品を賭けて興じていたことが記されています。 このように、当時は博奕が禁じられてはいませんでした。博奕が禁じられるのは、どうやら戦国時代に入ってからのようです。 禁じるのは、領主ではなく、村の中の掟においてでした。これを地下掟と

        大相撲は人生そのもの

          年貢の村請は豊かさの源

          日本人は、政府が怠慢であっても、文句を言わずにきっちりと税金を納める奇特な国民であり、欧米ではありえない、などと言う人がいます。そのわけは、戦時中に国家総動員のために始まった源泉徴収の制度のためと言われています。 また、幕藩体制期、つまり江戸時代に、検地で所得を把握された農民が、毎年せっせと年貢を納めていた名残りと言う人もいます。 確かに年貢はしっかりと納めていました。 その納め方は、村請と言って、徴税から納税までを村で責任をもって執り行う仕方でした。これは、中世から始

          年貢の村請は豊かさの源

          日本人の理想はやっぱり村社会か

          宮本常一著『忘れられた日本人』という本の「子どもを探す」という章に、親に叱られた男の子が家を出たまま行方不明になり、村(集落)の人たちが総出で探す話があります。 その子は、納屋でふて寝していただけで、無事見付かったそうです。ところが、村の青年の一人は、遠くの山寺まで探しに行ったため、見付かったという知らせの放送が聞こえずにずっと探し回っていました。 そして、遅くに帰って来て、すでに見付かっていたことを知りました。それなのに徒労を嘆くことも怒ることもなく、文句も言わず、

          日本人の理想はやっぱり村社会か

          第11話 百姓は行政の主体

          先祖を調べても、どうせ百姓なのだから調べる価値は無い、と思うのは誤りです。なぜなら、百姓は国の礎だからです。 何をもって礎と言うのかですが、決して、せっせと年貢を納め、支配者を支えて来たからという消極的なわけではありません。 むしろ各々が他者に働き掛け、互いに取り決めをし、積極的に動いて社会を築き、世の中が良くなるように努めて来たからです。 村の内にあっては、村請で徴税と納税を請け負い、その連帯責任のために五人組を設け、また結い(共同作業)を組織して負担の偏りを防ぎまし

          第11話 百姓は行政の主体

          第10話 宗旨人別帳と檀那寺の過去帳は先祖調査に使えるのか

          江戸時代には、人別改めという人口調査が行われ、その際、人別帳が作られました。 同時に、禁制のキリシタンや不受不施派(日蓮宗の一派)でないかを調べた宗門改めも行われ、宗門改め帳が作られました。 やがて、両者が一体となり、宗旨人別帳となりました。 この宗旨人別帳には、その村の本百姓の戸主や家族の名前、年齢、宗旨が記されました。当時の戸籍に当たります。 村や町ごとに作られ、村であればその長である名主(庄屋)の家で、町であればその長である町年寄の家で保管しました。これに目を通

          第10話 宗旨人別帳と檀那寺の過去帳は先祖調査に使えるのか

          第9話 先祖を調べられない身分

          これまで戸籍と市町村史を用いた先祖の調べ方を紹介しましたが、この方法では調べられない人々がいます。 それが、被差別民です。 被差別民には、さまざまな人たちがいましたが、大きく分けると、エタと非人、その他の三つに分けられます。 差別の由来は、エタの場合は職業蔑視です。 彼らは皮革の加工などを生業としました。その原料となる斃れ牛馬を無料で取得出来る権利を持ちました。 地域によっては、領主への役として牢番を、地域への役として街道筋の木戸番を務めました。 浅草に弾左衛門というエ

          第9話 先祖を調べられない身分

          第8話 武士の格

          武士、侍と一口に言っても、階層的な格に分かれており、その上下には雲泥の差があります。 一万石以上 禄高一万石以上は大名です。 一万石以上の者は、戦陣において、一軍を率いることが出来ます。 前近代の軍制において、独立した作戦行動を行える単位を「備{そなえ}」と言いました。近代の軍制における師団に当たります。 ひと備は230人ほどですが、侍身分ではなく荷物持ちなどを務める中間{ちゅうげん}・小者も含みます。 徳川幕藩体制においては、一万石以上の大名は、征夷大将軍たる徳

          第8話 武士の格

          第7話 先祖の調べ方(侍身分編)

          戸籍(除籍簿)で調べた先祖の住所が武家町だった場合、侍だった可能性があります。 まず、この住所から主家を割り出します。 江戸の武家町であれば、徳川将軍家直参(旗本・御家人)かその家来(陪臣{ばいしん}・又家来{またげらい})の可能性があります。 地方の城下町なら、大名が主家です。 徳川将軍家直参であれば、旗本・御家人の人名録が刊行されています。官途や役職の経歴、さらには簡単な系譜も載っています。 大名の家臣を調べる場合、市町村史だけではなく都道府県史にも目を通します

          第7話 先祖の調べ方(侍身分編)

          第6話 先祖の調べ方(百姓身分の場合)

          戸籍(除籍簿)をさかのぼり、先祖の名前と住所(町名や村名)が分かったら、各市町村で刊行の市町村史で、先祖に関わる史料や記事があるかを探します。 昭和30(1955)年頃に市町村の合併が多く行われ、「昭和の大合併」と呼ばれました。この頃に、合併の記念事業として市町村史の編纂が相次ぎました。 さらに、昭和43(1968)年には明治百周年を迎え、さらなる市町村史などの自治体史の編纂が始まり、自治体史編纂ブームが起こりました。 それなので、各市町村には、たいていそれぞれの自治体

          第6話 先祖の調べ方(百姓身分の場合)

          第5話 先祖の住んでいた村や町について調べる

          明治中頃に作られた戸籍までたどると、江戸時代に生れた人の名前と住所が分かります。 番地までは分からなくとも、村や町の名前は分かります。 ちなみに、江戸時代以前の行政単位は、国{くに}→郡{ぐん・こおり}→郷{ごう}→町・村で、「郷」が無い地域も少なくないです。 この町や村が共同体の基本単位です。 江戸時代の人々は家に属していました。身代がある家なら、家族だけではなく、使用人や小作人も属していました。そして、家の主である家長は、百姓身分であれば町や村などの共同体に属して

          第5話 先祖の住んでいた村や町について調べる

          第4話 先祖の調べ方

          先祖を調べるには、系譜をたどるのが一番です。 そこで、まず自身の戸籍をたどります。戸籍を辿ることで、私の場合、7代前の人まで遡れました。 本籍地の市役所、もしくは役場へ行き、自身の戸籍謄本を請求します。部署は、たいてい「市民(区民、町民など)課」です。 請求用紙が記入台にあるので、必要事項を記入します。 戸籍は、「抄本」ではなく、「謄本」を請求します。謄本は戸籍の全体を、抄本は個人の記載事項の抜き書きといったところでしょうか。 以前、戸籍制度の不備を突いたなりすまし

          第4話 先祖の調べ方

          第3話 家紋から先祖が分かるという嘘

          ちまたには、「家紋からあなたの先祖が分かる」という言説があり、書籍も出ています。 結論から言えば、家紋から先祖は分かりません。 多くの人々の先祖は、百姓身分です。彼らが家紋を使い始めたのは江戸時代中期ごろと言われています。この頃から用いる必要が出て来たのでしょう。 百姓身分の多くは、村に住んでいます。現在の大字の古い集落は、前近代の村に当たります。静岡県袋井市のように、郷(複数の村を含む行政単位)の場合もあります。 さて、この村は、いくつかの組に分かれています。いくつある

          第3話 家紋から先祖が分かるという嘘

          第2話 苗字から先祖は分からない

           図書館に行けば、参考図書のコーナーに、 「姓氏大辞典」  など、苗字の由来が記された事典類があります。古代氏族や公家、大名などの来歴を知るにはたいへん重宝します。  ですが、多くの人々の先祖の調査には役に立ちません。なぜなら、多くの人々は、権門勢家や名門の子孫ではないからです。  江戸時代、支配層である侍身分は、当時の全人口の1割にも満たない数でした。  しかも、この侍の人口の中には、徒士{かち}のみならず、足軽や若党も含んでいます。彼らは、戦時、馬に乗ることの許されぬ

          第2話 苗字から先祖は分からない