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第6話 先祖の調べ方(百姓身分の場合)

戸籍(除籍簿)をさかのぼり、先祖の名前と住所(町名や村名)が分かったら、各市町村で刊行の市町村史で、先祖に関わる史料や記事があるかを探します。

昭和30(1955)年頃に市町村の合併が多く行われ、「昭和の大合併」と呼ばれました。この頃に、合併の記念事業として市町村史の編纂が相次ぎました。

さらに、昭和43(1968)年には明治百周年を迎え、さらなる市町村史などの自治体史の編纂が始まり、自治体史編纂ブームが起こりました。

それなので、各市町村には、たいていそれぞれの自治体史が刊行されています。

自治体史には、市町村と都道府県のものがありますが、前者を用います。

後者は、扱う地域が広いため、歴史上の人物か、地頭や大名などの領主、義民、地域の大物などでなければなかなか名前は出て来ません。ひもとくなら市町村史を調べた後でよいでしょう。

都道府県立図書館であれば、都道府県内の市町村史は揃えています。市町村立図書館であれば、近隣の市町村までは置いてあるでしょう。

どちらであれ、開架なら「郷土資料」のコーナーにあります。閉架なら館内の端末で検索して請求すれば書庫から出してもらえます。

また、国会図書館であれば、全国の市町村史が備わっています。

自治体史は、「資料編」と「通史編」に分かれているものが多いです。とはいえ、「通史編」しか刊行されていないところもあります。

ですが、資料を冊子に収めて刊行している場合もあります。冊子の場合、国会図書館では雑誌として扱っていることもあるので、書庫から請求する際は注意しましょう。

それでは、まず百姓身分の先祖の調べ方から説明します。先祖の住所を地名辞典で調べた際、町人の町や在郷町、あるいは村である場合です。

先祖が住んでいたところの市町村史を手にしたら、この「資料編」で先祖の名前を探します。

領主が町や村宛に発給した文書は、町年寄や村役人の家で保管されていたものが現存しています。発給した領主側に残っていることは稀です。

町や村から領主へ差し上げた文書も同様で、受け取ったはずの領主側にはもう残ってはいません。現存しているものは、差し上げた側の町年寄や村役人が保管用に作った写しです。

このように、史料(註1)は町や村の文書として伝わったものなので、それがどこの町や村のものかが明記されています。この町名や村名を見て、先祖の住んでいた町や村の史料を探します。

史料を見付けたら、そこに先祖の名前があるか確かめます。

百姓身分の場合、私的には苗字を使っていても公には名乗れません。それなので、何右衛門や何兵衛、何次郎、何五郎、何平、何作、何吉など、下の名前で探します。

また、村外の者についても記され、それとの混同を避ける場合、「何々村何之助」のように町や村の名前が頭に付きます。

町人(町に住む百姓身分)で商いをしている場合、「何々屋」のような屋号が頭に付くこともあります。ちなみに、商いをしていないのに、「何々屋」という屋号を名乗る者はならず者です。

さて、村内で取り決めなどを記した文書に、本百姓の戸主の署名と連判を記したものがある場合があります。これがあると、その村の本百姓全員の名前が分かります。

このような史料に目を通せば気付きますが、村の本百姓の場合、戸主で同名のものはまずいません。それなので、その村に先祖の名があれば、その人物が先祖で間違いはないでしょう。反対に、同名でも村名が違えば間違いなく別人です。

この方法で先祖の名前が見付かるのは、以下の場合がほとんどです。

①    先祖が代官、大庄屋、大地主、御用商人、大金持ちなど、地域の大物だった。
②    先祖が町年寄や村役人だった。
③    先祖が属していた町や村の人別帳が載っていたり、連判の文書があったりなど史料に恵まれている。
④    百姓一揆、打ちこわし、喧嘩、刃傷、犯罪などの事件を起こしたか巻き込まれていた。
⑤    誰かと揉めており、公儀へ訴えていたか、訴えられていた。
⑥    親孝行、救恤、人助けなどの善行を領主から褒賞されている。

身代が無い人の場合、④に該当しない限り、まず史料で名前が伝わることはありません。

ですが、案外、身代の無い人の子孫はいないと考えます。なぜなら、身代が無ければ子どもを育てることが難しいからです。また、貧しいながら育てても、その子もまた、子育てに苦労するでしょう。

しかも、当時、収入の多い職業は世襲です。たとえば、大工なら算術が出来なければ仕事になりませんが、その算術は家で教えました。算術は、加減乗除の算数ではありません。垂木の長さは直角三角形の定理(a^2×b^2=c^2)で求まるので、乗数や平方根を知らなければなりません。
よって、身代の無い人が子どもを育てても、就ける仕事が日雇いなどに限られてしまいます。

ただし、例外は非人です。非人は非人小屋に属しました。彼らは物乞いが生業なのですが、子どもを伴っていると施しが多いので、子どもが必要でした。

さて、上で領主側には史料が残っていることは稀と書きましたが、伊予国吉田藩伊達家由来の屏風の下張りから、大量の古文書が出て来たことがありました。

発見したのは清家金治郎という方で、そこには武左衛門一揆に関わる文書が多数含まれていました。

そして、その一揆に関わった多くの百姓衆の名前とともに、武左衛門の本名(上大野村嘉兵衛)も記されていました。これにより、武左衛門は実在した人物だということが分かる非常に大きな発見でした。これらは『屏風秘録伊予吉田藩史料』として刊行されました。

閑話休題。

「資料編」で先祖に関わる史料を見付けたら、「通史編」でその解説があるかどうかを探します。

また、地域の大物だった場合は、「通史編」にも名前とその記事がある場合もありますので、こちらも目を通します。また、都道府県史にも登場する可能性もありますので、そちらもひもときます。

図書館の郷土資料のコーナーには、市町村史の他に、教育委員会や郷土史家が記した文献が置いてあることがあります。

市町村だけではなく、地区の歴史について記されたものもあります。中には、原稿用紙に手書きのものをコピーして綴ったものもあります。こうした文献も先祖調べの助けになります。

ところが、江戸時代中期以前になると、極端に史料が少なくなります。以上の調べ方の限度は、江戸時代中期でしょう。戦国期まで遡れればかなりの幸運と思われます。

さて、せっかく先祖の名前が見付かっても、先祖個人の事績については全く記されていない場合がほとんどです。

エピソードの一つでも知ることが出来ればいいのですが、なかなかそういうことはありません。

そういう場合は、町や村の史料を多く読み、都道府県史もひもといて、その共同体がどんな暮らしを営み、何に苦しみ、誰と争い、どうやって危機を乗り越えて来たかを知りましょう。

それが、先祖の歴史です。

日本は、木造の家屋ばかりで、自然災害や火災の多い国です。石造りの西欧とは違い、史料の逸失が少なくありません。

それでも、わずかな手掛かりでもいいので、見付けることが肝心です。

註釈
註1 「資料」と「史料」を使い分けていますが、前者は現在のデータや計測値、文献などを含み、後者は歴史的な研究のための出土物や文献などに用いています。

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