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ベートーヴェンだけじゃない!?さまざまな“第九”

今年も残すところわずか。この時期になると、日本各地でよく演奏されるのがベートーヴェン作曲、“第九”こと《交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」》です。“第九”は、俳句における季語になるほど日本では年末に演奏されるのが一般的となっていますが、世界では一部のオーケストラを除き、こうした習慣はありません。とはいっても、ホールのこけら落としや歴史的な行事・出来事の度に演奏されるというモニュメンタルな側面は、世界共通でしょう。


この“第九”は知っての通り、楽聖ベートーヴェンが残した最後の交響曲。ベートーヴェンのこれまでの創作活動を総括するものでありながら、常識を破壊し新たな領域へと変革した作品でもあります。これだけ毎年毎年演奏されていながら、まったく飽きることのない奥深く魅力的な作品が他にあるでしょうか?毎回聴くたびに新たな発見があり、常に新鮮な気持ちになります。とはいいつつ、こうした第九の大量消費は、第九のありがたみを損なわせているような気もしなくもない、と私は複雑な心持ちでいます。

ということで、たまには他の作曲家による“第九”で、年末の第九演奏会を代用する機会があってもいいんじゃないかと思い、今回は「様々な作曲家たちの“第九”」をご紹介したいと思います。

完成された未完作品 - ブルックナー《交響曲第9番》


1824年のベートーヴェンの《第九》以降、9つ以上の交響曲を残した作曲家は多くはありません。そんな中、ブルックナーは、習作や番号無し(0番)を含めると実に11の交響曲を残しています。

ブルックナーの各作品には、多くの共通した特徴があり、そのことから「同じ曲を作り続けた」などと揶揄されることもありますが、良く言えば「一つの理想を一貫して求め続けた」ともいえます。ブルックナーの交響曲の理想として、ベートーヴェンの“第九”が常にありました。ブルックナーの楽曲の特徴の一つ「ブルックナー開始」は、弦楽器のトレモロで静かに始まるという特徴で、これはまさに“第九”の冒頭に影響を受けたものです。

そんなブルックナーが最後に行き着いた《交響曲第9番ニ短調》は、“第九”と同じ調性で書かれており、また前述の「ブルックナー開始」から徐々に盛り上がって爆発する、という形もまさに“第九”の冒頭の特徴を備えています。こちらの交響曲は1887年から取り組まれ、第3楽章まで完成されましたが、作曲者の死により未完に終わりました。第4楽章はスケッチで残っているので、専門家による補筆完成版というのもあり、ごくたまに演奏されることもあるのですが、第3楽章までの演奏が一般的です。
第3楽章は緩徐楽章(ゆっくりの楽章)で、通常の交響曲だと中間に置かれることが多いのですが、第4楽章が未完のまま作曲者がこの世を去ったため、図らずも緩徐楽章で全曲を終えるという形となりました。こうした「緩徐楽章で静かに終わる」という終わり方は、マーラーなど後の作曲家たちに大きな影響を与えることとなりました。ただし、ブルックナー自身は生前、《第9番》が未完に終わった場合、終楽章として自作の合唱作品《テ・デウム》を演奏してくれと言っていたようです。終楽章にオーケストラ伴奏の合唱曲を持ってきたいという彼の意思をみると、やはりベートーヴェンの“第九”を意識していたということがわかります。


死の肯定 - マーラー《交響曲第9番》

ベートーヴェンやブルックナーが第9番を書いてから亡くなったことから、“作曲家は交響曲を9つ書くと死んでしまう”というジンクスがささやかれるようになりました。マーラーは9つ目の交響曲を完成させたとき、そのジンクスから“第9番”と名付けるのを忌避して《大地の歌》という別の題名を与えたのです。マーラーは以前から“死”というものをテーマとして作曲してきましたが、この《大地の歌》も“死”との関連が深い作品でした。その第1楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」では「生は暗く、死もまた暗い」と歌われますし、第6楽章「告別」では諸行無常の世界観が表現されます。

その後、1909年にマーラーは正式に《交響曲第9番ニ長調》を完成させます。第1楽章冒頭のモチーフは、前作《大地の歌》の最後の「2度下行」の音形を引き継いでおり、まるで続きの物語のように感じる方もいるでしょう。この「2度下行」の音形は「告別のモチーフ」と呼ばれています。「告別のモチーフ」を含むいくつかのモチーフが提示される冒頭に引き続き、それらがうねるように絡み合って音楽が発展していきます。狂おしいくらいに高調したと思えばお葬式のように静まったりと、非常にダイナミクスの差が激しい作品です。第2楽章は一転して、ぎこちなくわざとらしいレントラー(ドイツの民俗舞踊)、第3楽章「ロンド・ブルレスケ」はグロテスクで悪魔的な音楽です。第3楽章が狂ったように突然終わると、それとは真逆の美しい第4楽章「アダージョ」に行き着きます。人生への別れともいえるこの作品は、終始、幅の広いゆったりとした音楽が続きますが、和声的に非常に複雑で、調性は不安定です。そして「死に絶えるように」という指示とともに、静かに全曲を閉じるのです。

マーラーはその後《交響曲第10番》に取り組むのですが、完成しないまま亡くなります。生涯において「死」をテーマに作曲し続けたマーラーは、最期には「死」を肯定するかのように《交響曲第9番》を書き、その初演を聴くことなく50年の人生を終えるのでした。


“第九”の名を借りた肩透かし - ショスタコーヴィチ《交響曲第9番》

第九には、「9つ書くと死ぬ」というオカルトめいたジンクスとは別の、もう一つの強迫観念があります。それは、ベートーヴェンが書いた第九のような壮大な作品を書かなくてはいけない、という気負いのようなものでした。ショスタコーヴィチも、9番目の交響曲を書くとき、当初は合唱付きの記念碑的な作品を思い描いており、また聴衆やロシア政府もこうした壮大な作品を期待していました。しかしショスタコーヴィチはその構想を突然破棄し、 “壮大”という言葉とは真逆の、ギャロップのように軽快で規模も比較的小さい《交響曲第9番変ホ長調》を、1945年に発表しました。全曲に渡って、ベートーヴェンよりも前の時代のハイドンやモーツァルトのような、古典的な交響曲をパロディにしたような曲調です。ショスタコーヴィチは悩んだ挙句、“第九”という言葉の持つ力を逆手にとって、見事に肩透かしを食らわせたのでした。それは彼のお茶目な一面でしたが、当時はスターリン政権。ショスタコーヴィチはそれによって共産党に目をつけられてしまい、命の危険に晒されることとなりました。


“謎” - ヴォーン・ウィリアムズ《交響曲第9番》

イギリス最大の作曲家の一人であるヴォーン・ウィリアムズは、大器晩成型であり、(作曲家としては)非常に長生きした作曲家でした。最初、《田園交響曲(第3番)》に代表されるような、印象派的で牧歌的な作品を作る作曲家として知られていましたが、2つの戦争(第1次大戦・第2次大戦)の影響もあってか、《交響曲第4番》では、一時凶暴な作風へと変化します。次の《交響曲第5番》を作曲した時、作曲者はすでに70歳。普通の作曲家ならすでに“晩年”と言われる歳であり、多くの聴衆はこれが彼の“ラスト・シンフォニー”になるだろう予感しました。しかしそこから85歳でこの世を去るまで、さらに4曲もの交響曲を書きあげたのです。

そんなヴォーン・ウィリアムズの真のラスト・シンフォニーである《交響曲第9番ホ短調》は、かなり不思議な作品です。編成は一般的な3管編成のオーケストラですが、3本のサクソフォーンが編成に入り、その響きは独特なものになっています。演奏の箇所によってはジャズのように聴こえるところもありますが、大体は曲の持つ重苦しさを高める役割をしているように思えます。彼の作品の特徴でもある“映画音楽的な親しみやすさ”は影をひそめ、最初から最後まで“謎めいた何か”が付きまといます。そう、この交響曲を一言で表すなら“謎”です。この作品の最後の部分では、トゥッティ(全合奏)のロングトーンの減衰とともにハープのグリッサンドが幻想的に響き、どこかまったく違う世界へと旅立つかのような雰囲気を与えます。マーラーの《交響曲第9番》の最後が「この世との別れ」であるなら、ヴォーン・ウィリアムズの《交響曲第9番》の最後は「異世界への旅立ち」と形容できるでしょう。この作品を書き上げ、自作の初演を聴いた4か月後、作曲家はあの世へと旅立つこととなりました。

“第9番”であることの特別性

ベートーヴェン以降、交響曲の番号には、単に作られた(あるいは出版された)順番を表すという以上の意味が仄めかされることとなりました。例えば第3番なら「英雄」を少しは意識をするし、第5番は「運命」を、第6番は「田園」を意識します。日本の作曲家、吉松隆の《交響曲第5番》は、ベートーヴェンの《運命》と同じく「ジャジャジャジャーン」と始めているほどです。そして第9番は、これまで見てきたように、多くの作曲家が特別な意味を感じる番号となっています。それぞれの作曲家が“第9番”という番号の重みを意識し、個性的な傑作を生み出しました。日本では年末の季語ともなっている“第九”。その“第九”という季語は、もっともっと多くの作曲家の“第九”を演奏するようになれば、さらに深みのあるものになってくるんじゃないでしょうか。


Text by 一色 萌生


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