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1942年2月から導入の衣料切符制度、政府がいきなり導入。その後も手を変え品を変え、どんどん衣料品入手は窮屈に

 1937(昭和12)年7月から始まった日中戦争が泥沼化して何年も続くうち、物不足が深刻になります。もともと天然資源に恵まれない日本です。国内のストックは軍需に優先して回され、輸入も民需より軍需優先。さらに労働力とたのむ若者が次々と戦場に出ていきます。中国に大量の軍隊を送り込み、その活動を維持するだけでも大変な負担です。貿易が細って経済も弱って政府が打った手は、切符制度の導入です。
 生活必需品の配給割当(有料)の切符制度は1940(昭和15)年ころから各地で始まっていますが、繊維製品の流通を調整するため、政府が太平洋戦争突入後の1942(昭和17)年2月から実施したのが「衣料切符制度」です。1月20日にいきなり発表し、衣料切符を配布して使い始める2月までは、準備のため衣料品の販売が停止させられています。

「今日実施」との発表を使える1942年1月20日の大阪毎日新聞

 正式には「繊維製品配給消費統制規則」の導入で、各家庭の人数分が郡部で80点、都市部で100点ずつ、それぞれ渡されます。下写真はこの時に出されたもので、だいぶ使ってあります。ネルやさらしなど、販売量に制限がある製品には右側の端に見える制限小切符も必要で、点数を書いてある切符と組み合わせて購入することになります。

長野県松川村の世帯で使った衣料切符

 衣料品の購入の際には、製品に割り当てられた点数を同じ点数の衣料切符を出して買う仕組み。また、商品がない場合は切符だけ渡して注文し、届いたらお金を払って引き取るといった使われ方もしていたようです。下写真は、衣類や布の購入のため、衣料切符が何点必要かが一目でわかるようにした市販の一覧表です。(1942年2月当時)

日本織物新聞社発行の衣料品ごとの点数一覧
タオルや手ぬぐいは3点、ブラウスは8点など、すべて区分

 ただ、お金があり、切符があったとしても、モノが確実に手に入るというわけではありません。モノが手配できれば、という代物です。一方、切符をなくすと再発行してもらえません。長野県上田市の衣料品店は、顧客用に衣料切符入れを用意しました。長野県埴科郡でも、繊維製品販売事業者が同様の入れ物を作り、郡内の10600戸へ送っています。

上田市の衣料品店が出した衣料切符入れ
婚姻などには特別の配給もありました

 ただ、日中戦争の最中に太平洋戦争も始めてしまったことから、繊維製品の製造はひっ迫する一方です。男子の靴下の長さを短くして糸を節約するといった、些細なことまで行われるようになります。
 1943(昭和18)年1月、配給点数は変わらなかったものの、製品の点数が25%引き上げられ、新しい衣料切符も実質的に点数は郡部が60点、都市部で75点と引き下げられたようなものです。対策として、前の年の切符使用期間が延長され、使い残しを使えるように配慮しています。
 ちなみに、都市部のほうが点数が高いのは、出かけるにも一応の身支度が必要という理屈でしたが、農村中心の郡部からは、農作業などで服の消耗が激しいのに不公平ーという声も上がっていました。
 そんな声も勘案したのか一層の需要ひっ迫からか、1944(昭和19)年には都市部と郡部の区別を廃止して、数え年30歳未満の人には50点の第一種切符、30歳以上の人には40点の第二種切符とします。

1944年発行の第二種衣料切符

 一人当たりの点数が明らかに下げられていますが、意外に、この時代の未使用の切符が入手できます。前半の時代の切符は、期間延長などもあってほとんどは使用済みというのと対照的で、どうやら切符もお金もあってもモノがない、という事例が頻発したのではないかと考えられます。

上写真の裏。完全に未使用。
消費節約の掛け声をかけるまでもなく。

 そして、修繕を呼びかけていますが、修繕用の糸も制限小切符があったうえ、手に入りにくくなっていたようです。

未使用で残った縫い糸、足袋、タオルの制限小切符

 こうなると、いったいどういう暮らしをするか。衣料品修繕の手間賃も引き上げられ、役場の配給係が横領、都会では売っていないので富裕層が温泉地などに寄ったついでに購入して地元に行き渡らないなど、さまざまな問題が新聞をにぎわせます。しかし、根本的な供給がどうにもならないので、せいぜい取締り強化くらいしか方法がなく、それもいたちごっこだったでしょう。
 この衣料切符制度は敗戦後も続き、1947(昭和22)年に根拠法が「衣料切符規制」と変わっただけで、最終的に1950(昭和25)年9月20日に廃止されるまで続きました。

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