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休みに何か理由を付けないと安心できない、戦前の観光ー現代も同じか

 日中戦争中の1939(昭和14)年3月ごろ発行された、琵琶湖の観光船案内パンフレットを入手しました。

日中戦争下ではありますが、観光案内は健在だった様子

 いきなり表紙に「明日の勤労のために」と明記してあります。

働くための休養だと?

 パンフレットでは、「偉大なる復興国」「盟邦ナチス独逸」と最大の形容詞でドイツの労働と休養の徹底をほめそやしています。

ドイツの休養戦などの紹介

 そして日本も「働きに徹底し休養に徹底しよう!」として「明日への活動に備えよう」ーと続け、日本を代表する琵琶湖で祖国愛を深めてほしいとします。
 さらに、五ケ条の御誓文を刻んである「誓の御柱」が聖島、多景島にそびえたっているので「ああ、この御柱こそ新日本興隆の基であり、日本国民精神の礎である」とし、「日本国民はこぞって奉拝せねばならない」と強要し、びわこ休養船こそ銃後国民の最も良き心身の鍛錬道場である」と締めくくります。休養ではなく、鍛錬だと…。

びわこ休養船の案内
写真グラフにも傷痍軍人の写真でさりげに国策協力を示します

 まあ、ここまでは民間会社の戦時下の生き残り策として、時局に迎合した文章を連ねたかと同情できる面もあるかと思いますが、こちらの「日本観光連盟」のステッカーもごらんください。

何しに観光に?

 文面から間違いなく戦前のもので、健兵健民運動が盛り上がった1940(昭和15)年ごろに作られたのではないかと推定されます。
 7・5調のリズム感がうまい、ということは認めてもいいでしょう。しかし前段の「つくれ同胞良い体」、「みがけ御盾となる心」という後段の文。せっかく休養や観光に行くのに、体を鍛えたり大君への忠誠を確認したりせないかんのか? ゆっくり休養して遊ぶと、なんで素直に言えないのか?
           ◇
 休まず何かをすることが、とてつもなく価値があるとする思い込み。その時流に載せていくための表現。戦前の資料集めていると、そんなんばっかりでいやになります。そして、この、なんでもいいから鍛えなさいという風潮、今もごっそりと残っていませんか。江戸時代の人たちのほうが、もっと時間をうまく使って豊かな生活をしていたのでは。

 「遊びをせんとや 生まれけむ」

 この言葉を失った社会に、活力は期待できませんよね。

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