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戦争でノリノリの明治の長野県人は、俗謡などを自費で出版していました

 帝国主義の時代、富国強兵、脱亜入欧で、その仲間に入ろうとした日本は、朝鮮に対する主導権争いから、1894(明治27)年7月から翌年3月まで続く、日本初の大規模な対外戦争「日清戦争」を展開。その10年後の1904(明治37)年2月から翌年9月まで帝国主義国家同士の戦い「日露戦争」をかろうじて制して列強の仲間入りをし、朝鮮の支配権を確実にすると同時に、中国大陸への展開の足場も確保しました。
 そんな鎖国日本から帝国主義陣営の一角を占めるに至った2つの戦争下で、長野県民がはしゃいで作り出した俗謡を手に入れました。表題写真と下写真は「日本軍日清戦争大勝利大和ぶし・上」です。

清国兵を踏みつける日本兵のイラストが。

 発行は1895(明治28)年1月21日。長野県上水内郡長野町(現・長野市)の個人が出したもので、8ページにわたって20の歌を書いてあり、価格は1銭5厘です。

流れるような字で中の人には読めない部分も。

 木版刷り、赤一色の目立つ作りです。当時の流れるような文字で、残念ながら、完全には読めません。それでも何とか読めた一部を紹介しますと「日本の軍人は、7万あまりのちゃんちゃんを やまとがたなでみなごろし」というように、清国の兵を「ちゃんちゃん」という蔑称を使ったうえ、表現もどぎついものです。
 発行時期は、日本軍が旅順や大連を占領、黄海海戦にも勝利してほぼ戦闘が終わろうという時期。最初は大国との戦争に不安だったのが、勝利を確実にしてうかれて作ったのでしょう。
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 こちらは、日露戦争時の「露西亜征バツ数へ歌」と、謡曲とみられる「露西亜征バツ」。いずれも一枚の神に活字印刷で、それぞれ定価2銭となっていました。発行は長野県更級郡八幡村(現・千曲市)の鈴木さん、著述人は更級郡布施村の宮入さんです。

こちらは活字印刷で、時代の差を感じます。

 いずれも発行日は、1904(明治37)年3月19日。戦争が始まって1か月余りしかたっていません。数え歌を見ると「いつも勇まし我が軍は連戦連勝大愉快」と浮かれっぷりは早いです。「仁川旅順の快戦は欧米諸国も舌を巻く」とし、仁川はともかく旅順の攻略や艦隊撃滅はまだなのに、もう終わったかのような書きっぷり。しかも、最後はウラル山脈を越えて攻め入り「露国を滅ぼし害を抜き 日本の国威を輝かせ」と〆ています。

歌のほうも、ロシア国内へ攻め入る妄想を広げています。

 なんといいますか、戦時に盛り上げるのはまあ、ありとしても、歌詞からは開戦したばかりなのに、不安感はみじんも感じられません。日露戦争の当初は、ロシアとの海戦勝利などで華々しく幕開けし、こんな雰囲気で一気にやっつけてしまえという高揚感に包まれていたのかもしれません。最終的に日露戦争は勝利しますし、第一次世界大戦でも青島のドイツ軍を破って中国に21箇条要求を突き付けて満州にさらに根づくほか、国際連盟から南洋の委任統治も受けます。
 連戦連勝の勢いでの、この歌のような浮かれた調子が、国家間の問題は軍事力で解決してしまえーという国民の意識を育んだのは間違いないでしょう。

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信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
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