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第8回展示会「戦争だ!女、子供も!ついでにビールも!」展、展示品を詳細に紹介。来られなかった方にも雰囲気を…

 2024年8月13日から18日まで、長野県長野市のギャラリー82で開いた第8回展示会の展示品を、会期の終了に合わせて記録の意味も含めて紹介させていただきます。実物の迫力を伝える、とはいきませんが、あの時代をモノにこうして伝えさせたんだなと、少しでも感じていただければ幸いです。そして、またの機会にはぜひ、その目でお確かめいただきたいと思います。

 現在、戦争を主体的に兵士として担った方はごくわずかとなり、戦争証言も被害体験に偏りがちで、それすら近い将来は無理になります。今でも各地へ侵略を繰り返した帝国主義時代の日本。同じ帝国主義陣営からも疎まれるほどそのとげを周辺国に伸ばした大日本帝国の行ってきたことを、歪曲する言説が後を絶ちません。都合の悪い証言には耳を塞ぐ、ひどい場合はその証言者への人格攻撃すら行われる時代。この中で、なぜ過去を一生懸命伝えようとするか。
 それは、過去の過ちを知ることが、未来へ進む道のりを再び誤らせない方策だと信じているからです。それ自体は何も語らない「モノ」たちに、意味を与えてあの時代をわずかでも再現し、伝えることができたらと思うからこそ、この10年、展示会を続けてきました。幸い、ネット社会は多くの人に有益な情報を伝えることが割合に可能になっています。ささやかですが展示会の全体を伝えることで、モノたちの声を少しでも届かせ、ひとりひとりの未来への行動のちょっとしたヒントにつながれば嬉しいです。
           ◇
 「第8回展示会あいさつ」
 信州戦争資料センターと公益財団法人八十二文化財団主催の展示会「戦争だ! 女・子供も!ついでにビールも!展」にお越しいただき、誠にありがとうございます。
 ロシアがウクライナに攻め込んだ戦争はまだ続いており、新たにテロをきっかけとしたイスラエルによるパレスチナ人への一方的ともいえる戦闘が始まったほか、ミャンマーなどの内戦もあり、日本をはじめ、多くの国が軍事費拡大の方向に傾いているのが現状です。
 大日本帝国は、世界で唯一の神の国という自尊心を臣民に植え付け国をまとめようとしましたが、同時に他国への蔑視感情も太らせ、戦争に明け暮れる日々。日中戦争以降、軍や国は庶民をどんどん巻き込みます。出征や徴用された男に代わって女性や子供も命令に積極的に協力していて、これは当時の教育の成果でもあったと思えます。一方、国はビールなどの嗜好品でなだめるようにして反発を抑え、増産の成果を広げようとし続けました。あらゆるものを吸い込んだ過去の戦争の姿から見えることを、現在や将来にどう生かすか、思いを広げてみてください。
   2024年8月13日 信州戦争資料センター代表

会場に掲げられた看板
会場入り口

 全体の展示はパネル19枚をかけ、国策紙芝居2組を展示し、展示台はオープン3カ所、アクリルカバー展示台3台を利用し、戦時下実物資料222点、その他当時の写真などを展示。展示数では、過去最高を更新したと思います。では、パネルを紹介し、その後、その他の展示物をできるだけ説明させていただきます。

展示前ですが会場には最初のパネルとして展示

 まずは、大日本帝国の教育方針、つまり教育勅語を紹介しています。複製品ですが雰囲気を伝え、忠義孝行の精神を重んじる教育の柱となった事実を伝えます。教育勅語と御真影を納める奉安殿、少年の兵隊年賀はがき、少女倶楽部の軍事関連付録と、忠義孝行に加え軍隊を身近なものとして伝えた環境が周囲にあふれていました。

滋賀県の国民学校児童の作品など

 そうした教育の浸透の結果が、作品にもあらわれます。学校も校報で家庭での戦争への心構えを説くなどしています。

子どもを取り巻く環境

 お菓子のポスターやチラシにもアイキャッチャーとして兵隊ごっこの子供が登場し、少女雑誌の付録に満州国の産物の地図がつく、といった状況です。

松本市出身の商業画家多田北烏原画のポスター

 これは日中戦争中のポスター。少年の戦争ごっこで基地に見立てたかやの質感を表しています。こうしたものがあちこちにあり、少年と軍を自然につなげます。

青年訓練所、青年学校関連の展示

 戦前の日本では、義務教育を終えた青年男女のうち、中等学校などに進学しなかった青年男女の受け入れ先として、青年訓練所、のちに青年学校が設けられました。日中戦争中の1939年に義務化されます。ちなみに男子の青年訓練所は800時間中、400時間が軍事教練。手前の教練銃は全木製で、一番安いタイプのもの。これでも銃の取り扱い、銃を持っての匍匐前進の訓練などには使えました。台上の写真は武器の更新をした記念写真。少ない町村予算でやっと上等の教練銃をそろえたので、記念写真をとるほどでした。こうして少年から青年へと移る時期から、軍事の基礎を叩き込まれていったのです。

国民学校の模型飛行機図面

 さて、時代は飛行機の競争となり、飛行兵育成が大きな課題となってきました。1941年に国民学校が発足すると、初等科から高等科まで、学年に応じた飛行機の製作が授業に組み込まれ、標準の設計図もつくられます。

国民学校高等科用職業指導掛図

 そんな基礎を経て、少年飛行兵への志願の道なども学校で紹介されました。

滑空機による訓練

 中等学校ともなると滑空機による訓練が奨励され、長野県の霧ケ峰高原では指導者の講習会も開かれるなどしました。朝日新聞社によるグライダー寄贈、南安曇農学校でのグライダー組立写真を併用しました。

ここで話題は女性に移ります

 戦前の代表的な女性団体として、愛国婦人会と大日本国防婦人会を取り上げました。それぞれ飛行機献納運動や、戦地への慰問運動などを繰り広げていました。

大日本婦人会に統合

 しかし、国としては複数の団体が並立するのは統制上不都合として統合を呼びかけますが、最終的に閣議決定で3つの女性団体を大日本婦人会に統合し、1942年2月に発足させました。基本的に、家庭を担う女性という性質を利用した消費節約、勤倹貯蓄といった活動が中心に。また、農業団体でも女性を柱とするべく、講習などをしていました。

職場を支える女性と青年、子供

 中央の新聞は、国内の態勢強化のため、学生の徴集猶予廃止、男子の17職種就業禁止などを報じています。また、子供の見習い工募集、そして縁故などでの採用はできないとするなどして、重要産業を支えさせます。

女性の進出

 パネルでは、戦後の新聞で防空のための監視哨本部に長野県は全員女性をあてていたことを、活動中の写真と紹介。また、信越線戸倉駅は駅長と助役以外の27人の駅員がすべて女子になったと写真週報で紹介されています。ほかにも、女性ばかり目立つ航空機工場など、太平洋戦争下のひっ迫感が表れています。

女流美術家奉公隊の絵葉書

 一方、女性美術家も国策協力のため奉公隊を設け、全国で戦う少年兵の絵画展を巡回させます。百貨店や学校が会場で、母親に我が子を戦場へ送り出させる気構えを持たせる狙いがありました。また、参加した女流画家は地位向上や画材の確保など、それぞれの思惑があり、戦争に協力していきました。

国策紙芝居「雛鷲の母」

 それと呼応する形で、同様に我が子を進学させようとしていた母親が、教師の説得を受けるなどして息子が飛行兵に志願することを許し、忠義を尽くせと励ます内容です。さまざまな方向から、戦争協力の気分を盛り上げさせます。来場者からは「感動しちゃいけないと思いつつ、感動させられた」という声も聞かれ、効果のほどが感じられます。

ビールやワイン関連のパネル

 ここで、ビールの登場です。中元商戦などで普通に親しまれていたビールやワイン。ところが、砂糖やビールが公定価格を付けられたと報じる新聞。価格競争がなくなり、やがて配給割当(有料)となる過程で、嗜好品の菓子やビールは特配券で労働者の意欲を引き出す道具になっていきます。

展示台のビールとワインの瓶

 パネルの背後の展示台に、戦時下のワインの瓶、戦前から戦後まで、ラベルが変転したビール瓶を並べました。

満蒙開拓関連パネル

 再び、女性と子供に視点を戻し、満蒙開拓でパネルを作りました。初期の長野県の信濃村建設失敗、その後の教員赤化事件による弾圧が、汚名をそそげとの信濃教育会の指導の下、長野県の教員による積極的な義勇軍勧誘につながったのはまちがいありません。また、こうした少年が青年になる、あるいは先遣隊の男性の開拓者のための「花嫁候補」として、長野県内には企業ケ原女子拓務訓練所が設けられましたが資料がなかなかなく、ようやく所歌を入手し紹介させていただきました。

最期のパネル

 戦争になる以前に、女子の実弾射撃体験などが学校によって行われていましたが、1943年にもなると女学生も銃剣術を練習、女子青年学校も教練を重視。そして教育の成果で、国民学校の児童は「進学せず海軍兵学校に行く」と決意のはがきをおくるほど。弔辞は戦後のもので、満蒙開拓青少年義勇軍に参加した男性が現地で現役召集され、敗戦で平壌の病院に抑留中、病没したという内容。まさに、満蒙開拓青少年義勇軍の本当の狙いが凝縮されているように思えました。そして国内ではあらゆる団体が解散し、国民義勇隊の編成が進んでいました。こちらも、戦闘組織となる戦時教令が閣議決定され、戦闘部隊への変更方法も決定されて敗戦を迎えます。

平置きの展示台

 こちらでは、天皇の活用、兵隊と少年のイメージの抱き合わせ、少年戦車兵や海兵団への勧誘などの資料を並べました。

子どもから兵隊へ

 こちらの展示台では、戦争ごっこから教育を経て中等学校の教練、そして本当の兵隊となる「奉公袋」と流れを見せました。

愛国婦人会と国防婦人会

 愛国婦人会、国防婦人会の関連品を並列。長野県関連品が多いです。

最期の展示台

 大日本婦人会に統合されたあとの雰囲気、そして写真週報などの竹槍指導、末期の陶器製手榴弾と陶器製水筒などを展示しました。

長谷川町子さんの作品も載っていました

 ほかに教育勅語の精神を伝える「忠孝双六」などを展示し、防空監視哨を護る女性の国策紙芝居も掲示しました。最後に、当方が活動を始めるきっかけとなった、国民学校で使った木銃を、諏訪中等学校(現・諏訪青陵高校)の生徒が使った木銃と並べて、その思いを伝えさせていただきました。

手前が国民学校で使った木銃

 この木銃を入手し、小学生だった子どもに担わせたらぴったりだった姿を見て、こんなことを学校で再びさせる時代にしてはいけない、と思いを強くしたのがきっかけです。
 さまざまなことを一気に伝えてしまうので、消化しにくい面もあるかと思いますが、つい、あれも、これも、と膨らんでしまうのが毎度のことです。引き続き、収集、学習、発信に努めてまいります。

 また、会場で販売した第一回展示会で作成した図録、昨年作った牧内兵長回想録は、DMでの販売も受け付けていますので、興味がございましたら、遠慮なくどうぞ。



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信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
ここまで記事を読んでいただき、感謝します。責任を持って、正しい情報の提供を続けていきます。あなた様からサポートをしていただけますと、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できます。よろしくお願いいたします。