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本と旅する京都 第壱回 天龍寺 前編

慌ただしい毎日のなかで、心を落ち着ける時間を本とともに過ごす。最近、少し本との付き合い方が大人になったような気がします。同じように、昔はせっかくの京都だからと綿密に計画を立て、あちらこちらを訪れた観光地を本を携えじっくりと楽しむ。自分の心と向き合いながら、ゆったりとした時間を過ごす、SENSE OF WONDERの本と旅する京都のご提案です。

11月初旬、紅葉はまだ早いだろうかと思いながら訪れた嵐山は、思いのほか色づいていました。翠さんの白い紬と紅葉の帯が、青から黄色、そして赤とグラデーションしていく紅葉の小路に映えます。十数年ぶりの天龍寺。今回持参したのは『忘れてきた花束』糸井重里です。

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天龍寺は1339年足利尊氏を開基とし、後醍醐天皇の菩提を弔うために創建されました。何度も戦乱や火災に見舞われ、建物は再建されたものばかりですが、一般的によく知られている『曹源池庭園そうげんちていえん』は、夢窓国師むそうこくしが作庭した約700年前の面影を色濃く残しているそうです。
大きな池を前に、西側を向いてまず座ると、そのあまりに広大でぬけた景色に、ほうっと全身の力が緩みます。それから南側を見ながら座るのも、絶対忘れずに・・・こちらからの景色も、山の紅葉と相まって心が震えるものでした。座禅・マインドフルネス、「心を無にする」というとむつかしいけれど、このきもちのいい場所で、この場の空気、山、木々、すべてと共に、ここでたゆたう。あぁ~~きもちいいなぁ~と息を吸う。
それから、吐く。そんな風に、ただここにいることを全身で喜ぶ時間。
きっと極上だなぁと思います。
と翠さん。

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禅とは、精神を統一して真理を追究するという意味のサンスクリット語を音訳した「禅那ぜんな」の略で、坐禅修行をする禅宗をさす言葉です。簡単に説明すると、自分自身の存在の真実を探すこと。自らを律し、すべてのものに感謝し、ムダを省き、生き方を見つめ直すこと。そんな根本的なことが禅につながります。庭を望む方丈の縁側に座り、暑い日も寒い日も、戦乱の中でさえ、ただそこにあり続けた庭園を眺め、自分と対話してみる。ふと、『忘れてきた花束』のページを無造作に開くと、そこに問いや答えがあるかもしれません。

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『忘れてきた花束』
この本は糸井さんのすべてのことばの中から
「小さいことば」を選んで
1年に1冊ずつ出されているものです。
このシリーズが好きです。
中の言葉は
順を追って読むというより
気が向いたときにぱっと開いてみるような。
そんな「言葉との出逢い」が楽しい。
ほっとしたり
気付きがあったり
新しい感覚を考えるきっかけになったり。
2015年の「小さいことば」
として発刊されたこの本は
表紙の美しさも秀逸。
旅のお供にカバンの中に忍ばせて。
ただあるだけで、美しい気配の漂う
こんな本と旅をするのはいかがでしょう。
そして本のなかの言葉たちは、
色あせず、決して古くなることがないね。

松尾 翠

池泉回遊式ちせんかいゆうしきの庭園には紅葉だけではなく、様々な草木が植栽されています。季節の移ろいを感じながら庭園を散策し、ふと立ち止まって本を開くのも新鮮です。寺院内にも庭園内にも腰を落ち着けるポイントがあり、散策中でも本を開ける場所がたくさんあります。

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庭園をゆっくりと散策した後は、雲龍図を拝観するために法堂はっとうへ。現在法堂はっとうの天井で睨みをきかせている龍は平成9年、日本画家・加山又造画伯にて描かれたもの。入口から出口までぐるりと歩く、どこからでも自分を睨んでいるようにみえる八方睨みの龍は、加山画伯が最後に目に墨を入れて命を吹き込み、完成させたそうです。どこにいても目が合う龍に見透かされながら、また自分と向き合うのも心の浄化ですね。

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⇒続きは後編へ

出演=松尾翠 撮影=佐賀裕子,岡田亜理寿 文=佐賀裕子 スタリング=Madam Yumiko

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