アレキシサイミア
こんにちは。
本日もご訪問くださり、ありがとうございます。
「アレキシサイミア」という言葉。
本日セッションの練習にお申込みくださった方から「アレキシサイミア」という告白を受けました。
私自身初めて聞く言葉だったので、どのような意味かをお聞きしたところ、
自分の感情を言語化することが苦手ということと、体感覚が乏しいため心身の不調に気づきにくく、何かしらの身体からのアラートを検知できず重症化しやすい傾向にある。とその方は説明くださいました。
クライアント様からその説明をお聞きしたとき、ちょっと手強いセッションになりうるかもと思いました。
ただ、セッションをお受けすると決めたのなら、最後までクライアント様にとって最善のセッションを行うしか道はない。
少し大袈裟かもですが、そのような感じでセッションに臨みました。
自分の体験したことのない感覚のシェアを受けた時それは想像の域、
その想像すらその方が感じている感覚を感じることはできないなということを 学んだセッションでした。
当たり前のことですが、その当たり前のことを目の当たりにした
感じなのです。
その方が身体を通じて伝えてくれるメッセージをただ受け取り、
そのメッセージに 導いてもらいながらセッションをしていくというか、
追っていくそのような感じでした。
分からないことがあってもいいんだ。その時点では、分かろうとすることも手放していいのかもしれないなと思いました。
必要だったら、恐らくここは外せないよということはきっと伝えてきてくれると思うのです。
セッション後、後学のためにアレキシサイミアについて調べていたところ、
現在学んでいるアーキシングメソッドのCREDOさんのブログの記事を見つけました。
本当にそうだなぁと感じたので、一部抜粋になりますが、シェアさせてください。
なんだろうな。今はカチコチの大地なのかもしれない。
だけれど、セッションを受けようと選択した時点で、
そのカチコチの大地に鍬を入れて、ちょっとずつ、ちょっとずつ大地を耕して、ほわほわは豊な柔らかい大地にしたいんだ。
と身体が伝えてくれようとしているかもしれないな。と、そんなことを思いました。
クライアント様自身、感情を言語化することが難しく、身体の感覚が分からないと言われていましたが、体感覚や感情が大事だと思い、セッションの申し込みをされたと仰られてました。
一番誰よりも分かりたい、分かってあげたいというそのご自身の気持ちが何よりも大事なのではと思いました。
おしまい。
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