エマコを決めたわけ

今日は、今やってる治療をしようと決めるまでのこの1ヶ月の背景について、振り返ってみます。

いろんな私が現れます。笑 それが、私です。


追加の治療が、必要になるかもしれない。

ゆっくりゆっくり上がってくる数値と毎週向き合い、3ヶ月。

じりじりと、そのときは近づいてきて、先生からやるとしたらそれは5剤併用の治療だと聞いた瞬間。

えっ。。。

5剤も?内容はどんな?

抗悪性腫瘍薬が追加になる。

エトポシド、メソトレキセート、アクチノマイシンD、シクロホスファミド、オンコビンです。エマコといいます。

。。。がーん😨

そ、それはよく聞く強力な本物の抗がん剤たちではないかー!!!

なぜ、そんな多剤。私がんじゃないよね。

赤ちゃんの細胞残ってるだけじゃなかったのー?(T0T)

放心、混乱状態。

自分のからだのなかで何が起こっているのかわからず、

そんな治療する必要があるのかもわからず、

やらなかったらどうなる?と聞いたら

末期がんのように、いずれ出血していのちに関わります。

と。

う、それは、知ってる。けど、聞いたの。

(最初に子宮内で出血したように。今転移してる肺や、ほっといたらいずれ頭や肝臓とかに転移する可能性もありそこで出血する。どうなるかわかりますよね。

最初の抗がん剤やるときにも聞いて、肺で出血したら血吐いて死にますと言われ、それはやだ。というやりとりを先生としたのを思い出しました)

でも、まだやる段階ではない。

数値が、倍増するように、がん、がん!と上がってるわけではないから、低空飛行で様子みることもできる。(あとでわかったのですが、前の治療がきいていて、息絶え絶えの細胞が、そのまま消えることもあるとのことで、様子を見ていたのでした)

それから数週間、仕事も手につかず、気づけばぼーっとしてました。 

消えることを祈りながら。

このとき、一年病と自分と向き合ってきて、長期の治療にも疲れていた。せっかく解放された矢先、また治療するモチベーションがまったくわかなかったのです。

不安だけがつのる。どうしよう。

新しく変わった主治医(信頼してた主治医はまたもや異動Σ(ノд<)。でも腫瘍専門の先生も一緒に診てくださってるので、この病院にいます。)に話しても、私の望んでる答えが帰ってこなくてよけいに不安が募る笑。

抗がん剤やるくらいなら、死を受け入れて死ぬまでいまを謳歌したらいいか、となげやりになったときもある。涙がどこかしこから溢れて一人夜な夜な泣いていた時もあります。自分こわいんやなあって、死んでもいいとかいいながら、まだ生きたいんだなあとか、泣いたから自分がどうしたいのかわかった。そんなとき、こわいんだ、そりゃそうだ、でも生きたいんだね、じゃあどうする?どうしたい?自分に投げ掛けていました。

やらなきゃ死を待つだけだと自分でも思っていてでもその踏ん切りもつかないし、まだまだやりたいことあるし、でも治療するに決心つかなくてモヤモヤしてた。

このモヤモヤとるにはどうしたい?

そこで、不意に思い立ち大学卒業以来連絡してなかった看護師の同期に相談しました。

これも本当に奇跡的なありがたいご縁なのですが、
診てくださってる腫瘍専門の先生が前に勤めていた某大学病院で同期が現役で働いてると。婦人科で。大学病院でも絨毛癌の患者さんは一年に1~2人。でも、一番近くで患者さんを見てる!

状況を聞きたい。

同期から、エマコの副作用や予後など事実を聞くことができて

結構しんどいんだなと印象を受けつつも、深刻さがわかったからこそ、生きる方法が今の時代、このご縁のもとでならあると思えて受け入れる覚悟が決まってきました。

とりあえず情報をえて、安心したかったんですね。

病は情報や薬による治療だけがすべてではないと、私は思っているのですが。だから、自分とも向き合ってきたんですが。(このへんも追々書きます)

このときは、情報がほしかった。聞けて良かった。

そして、また違う同期が、言ってくれた言葉。


生き抜くことを忘れないで。

生き抜いて熱く語ろう!って言ってくれたのです。


それを聞いてはっとしました。私、生きてはいけないとどこかで思っていたと。生きていいんだ!って、そう思えたのです。

どこまでネガティブになってたことか、自分でもびっくりしました。生きるのを諦めようとしてた。

気づいたら、

死ぬまでにしたいリストを作ってました。笑 

今思うとこわっ!

でも、そのときは真剣だったんですよ~。今なら笑ってしまうけど。それが、1ヶ月前。

同期がかけてくれた言葉で我に返り、さっそく生き抜いてやりたいリストに変えました。笑

そして、ついに先生からIC(インフォームドコンセント。治療の説明と同意)を受けます。

腫瘍専門の先生も同席です。

肺にあるのは、癌ではなくて、赤ちゃんの細胞なんだと、腫瘍専門の先生が教えてくださいました。
妊娠細胞だから自分のからだ(お母さん)にとって異物ではないから例え異常細胞でも自分の免疫が攻撃したり消すことはないんだと。だから、いわゆるガンとは違うんだそうです。だから、昔は抗がん剤がなくて、絨毛癌で転移してなくなる人が多かった。なす術がなかった。

今まで自分のなかで抗がん剤治療とあわせて自然療法や食事療法とかからだ暖めたり、免疫上げてできることやって自分で直すと腹くくってた自分がいたけど、そこを断たれたわけで。

お手上げです。 でも、すごくクリアなった。

なーんだ、きっと、赤ちゃんの細胞が私に教えてくれてるんだと思って。一人でがんばらなくていいって。頼りなさいって。
未熟な私に身を呈して教えてくれてる。そう思ったんです。
今まで自分のなかで何が起こってるのかわからないとやれない!って自分に責任持とうと思っていたけど、わからないなら身を委ねてみてもいいのか、って。そんな強情を手放しました。
だから、素敵なご縁で繋がって今ここにいて、目の前にやれる治療を提示してもらっていて、ありがたいなあと受け入れて。やる決心をしました。

腫瘍専門の先生は、私の質問のうらを鑑みて答えてくださるので、とても懐深くて安心できる先生で。本当におかげさまで、
生きるためにやろうと思って帰ってきました。
専門医の先生に出会えたことに心から感謝してます。このご縁さえもこの子が繋いでくれたのかな、と思ったりします。

もう泣けてきます。( ;∀;)

こどもたちにも、全部話してね。お母さん頑張るよ。って伝えました。

人は助け合いながら生きるもんだから、一人で抱え込む必要もなければ、がんばる必要もない。人を頼って自分をさらけ出して甘える。それでいいんだと、そんなことを体は病として教えてくれてるのかなあなんて思います。
人生ひとそれぞれ、いろんなことがあってほんとにいつなにがおこるかわからないけど、自分の気持ちを大切に、自分に素直に生きることっと大切なことなんじゃないかなあと思ってます。

といいながらも、気づけばまた一人でがんばろうとしてたり、

甘えてるからだめだとか、やりがちな自分(^_^;

まあ、それに気づいたらまたやってるわーと自分を俯瞰しながら、そんな自分を受け入れて、戻ったり進んだり立ち止まったりしながら、ゆっくり歩んでいます。

もう、どんな自分も自分だから、過去のたとえみっともない自分もそれはそれで自分なんだから、自分やるなーと誉めてあげて、不安定な自分だって、よしとする。こんな自分いたのー?っていう自分もようこそ、面白いねと受け入れて行こう。

そんな感じで、肩の力抜いてリラックスしながら、今は何も考えてません。笑

ただ、今の自分の気持ちやからだの感覚を感じて、ゆるりと過ごしています。

そうすることで、治療効果もあがり、副作用も軽く、見通しも軽いものになっていくといいなあと思いながら。

ちょっと病との向き合い方にまで話が飛びましたが。

長い話を最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。(゚ー゚*)


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