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19/1,000冊目 エロいんだけど読みづらい→ 与謝野晶子(著) 『みだれ髪』

読んだ1,000冊を紹介しています

3年と数百万円かけて1,000冊読んでみました。



与謝野晶子(著)『みだれ髪』

日本の歌人、与謝野晶子作の処女歌集。1901年(明治34年)8月15日、東京新詩社と伊藤文友館の共版として発表。表紙装丁デザインは藤島武二。

与謝野晶子『みだれ髪』の表紙は藤島武二によるイラスト。

女性の恋愛感情を素直に詠んだ斬新な作風は、当時賛否両論を巻き起こしました。1973年に、孫の与謝野馨(後の第74代内閣官房長官)によって主婦の友社から復刊もされています。

『みだれ髪』は、与謝野晶子が、雑誌「明星」などに投稿した作品を、与謝野鉄幹の編集で作られました。発表当時は晶子は鳳姓で、初版本も「鳳晶子」名義でした。『みだれ髪』発刊直後の1901年(明治34年)10月1日、晶子は鉄幹と結婚。与謝野姓となりました。『みだれ髪』の歌のほとんどは、鉄幹への強い恋慕の感情を謳ったものでした。「明星」の編集を行っていた鉄幹は、晶子の才能を認め、投稿を勧めていました。1900年8月、関西に来た鉄幹は晶子と出会います。既に結婚していた鉄幹は、晶子のために離婚しています。非難中傷が2人にむけられ、ゴシップ記事が出まわり裁判沙汰にまでなりました。晶子は、周囲の冷淡な目を振り払うかのように彼を想う歌を作り、ついに堺の家を飛び出して鉄幹のもとへ走ります。鉄幹も晶子への想いを受けとめ、歌集『みだれ髪』としてまとめあげました。

藤島武二

滞仏中の藤島武二

藤島 武二(ふじしま たけじ)(1867年 - 1943年)。明治末から昭和期にかけて活躍した洋画家。ロマン主義的な作風の作品を多く残しています。

『黒扇』 アーティゾン美術館(1908年 - 1909年)


与謝野晶子

与謝野晶子

与謝野 晶子(よさの あきこ)。1878年 - 1942年。享年63歳。日本の歌人、作家、思想家。本名は与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓は鳳(ほう)。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名から取ったもの。夫は与謝野鉄幹。雑誌『明星』に短歌を発表しロマン主義文学の中心的人物となりました。与謝野晶子は、1921年に建築家の西村伊作と、画家の石井柏亭そして夫の鉄幹らとともにお茶の水駿河台に文化学院を創設します。この学校は、男女平等教育を唱え、日本で最初の男女共学となりました。

有名な与謝野晶子の歌

「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」

「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」

「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」

「むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子」

「くろ髪の千すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる」

「人の子の恋をもとむる唇に毒ある蜜をわれぬらむ願ひ」

このようなストレートな恋愛表現は、慎ましやかな女性を善しとする当時の道徳観から見て、かなりセンセーショナルなもので、世間的に受け入れられがたいものでした。

感想

読んでもなかなか理解しづらくて。


この本で得たもの

  1. 明治初期の日本の気配

  2. 保守への反動と女性性のリストラクチャリングの混合した力

  3. 恋愛についての知見の深まり


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