『彼との会話』(創作小説)

私はその男と三度話したことがある。一度目は深夜四時、渋谷のビルの五階で。二度目は深夜二時、寝床であるコテージの二階で。三度目は夜十一時、彼とラーメンを食べた帰り道で。彼は育ちの良さを感じさせる麗しい青年でありながら、ふとした瞬間に消えてしまうのではないかと思わせるような独特な儚さも持っていた。普通の人間ではないような、一度彼を知ったら忘れられないような、そんな雰囲気のある男だった。これまで、私は彼のような人間に出会ったことはこれまでに一度も無かった。私はそんな彼に惹かれ、彼と会話する機会を三度得たというわけである。会話と言っても、ほとんど彼の語りを私がただ一心に聴いていたことを記憶している。小さく落ち着いた声で話す彼の語りはそれほどまでに私の興味を惹き込んだ。そんな彼との会話を私は覚えうる限り、ここに書き起こしておこうと思う。

第一の会話
「私は人間に不適なのだと思います。人間らしい見た目を取り繕うことはできても、人間らしい振る舞いをすることが本当に難しいのです。私は、人と信頼、友情、愛情を育む方法を知りません。傷付きたくないのです。人間は欲に取り付かれ、人を傷付けます。人間は愚かです。いや、一番愚かなのは私かもしれません。私は人間を恐れています。人が自分に牙を剥くことを常に恐れています。捨て身の愛を捧げてくれたあの子すら信じられなかったのです。何か裏があるんじゃないかと勘繰ってしまって…。私は人が私の話をしているだけでぞっとします。謗られているのではないかと思ってしまいます。私はこれまで出会った人とほとんど関係を断ってしまいました。人が怖いのです。過去の自分の愚かさを受け入れられないのです。ですから、私には大切な人など片手で数えるほどしかいません。彼らが私のことを大切に思ってくれているかはわかりませんが…。それでも私は愛、私は人間の愛を信じております。愛を、愛を探さなければなりません。愛が無ければ恐らく、私は生きていけないでしょう。」

第二の会話
「私の頭の中には悪魔がおります。悪魔は常に私に囁くのです。悪魔は私を休ませてはくれません。そのため私は常に考え続けなければなりません。また、悪魔は私を傷付けることを喜びます。嫌な記憶、空想の罵声、おぞましい幻想を日々私に浴びせ続けます。そのため、私はすっかり自分に自信を無くしてしまいました。ですから、私は努力してきました。しかし、それが足りているとも思えません。これまでいろいろ頑張ってきたのに…。どうですか、私は良い人間ですか?ああいや、答えなくても大丈夫です。答えにくい質問を、すみません。私は心の奥底では誰かに認めてもらいたくて仕方ないのです。でも、それすらおこがましいと感じてしまいます。誰かの優しさを受けることも、怖いのです。私のような弱虫は優しさですら恐れます。こんな自分に、お手を煩わせて申し訳ないなと…。ああ違いますよ!お節介だと言うつもりは毛頭御座いません。心から感謝しています。優しさも愛の形であると思います。私は世界が愛で満たされればいいなといつも願っております。」

第三の会話
「私はすべてを辞めてしまえればいいなと考えております。人間として生きるのはあまりに難しすぎます。なぜ生まれてしまったのだろう。何が正解なのでしょう。何を信じればよいのでしょう。私は酒を飲むことが出来ません。煙草も薬も吸いません。一時の安息すら享受することが出来ないのです。宗教や哲学に安寧を求めても無駄でした。普通に生きることがこんなにも難しいなんて私は知りませんでした。私は劣等感、コンプレックスの塊です。それなのに愛を求めてしまいます。自分の劣等感、コンプレックスを愛で埋めようとしています。結局、私は自分が可愛いだけなのです。自分が大切だから、何もできないんだ。求めるだけなんだ。ああ!私は本当にどうしようもない人間です。人を幸せにすることすらできません。それでも、おこがましい話ですが、それでも私は周りの人間の幸福を願ってやみません。」

彼とはそれ以来会えていない。どうやら私も彼に関係を断たれてしまったようである。

彼との会話は私の記憶に印象強く残っており、彼の知り合いとおぼしい人に彼について尋ねてみたことが多々あったが、彼らもまた同様に関係を断たれ、彼の現在を知る者はいないようだった。その中で、彼を知る一人の女性と食事に行く機会があった。彼女は彼と同じサークルに所属していたらしく、彼と一緒に食べたというラーメン屋を案内してくれた。店内は思いのほか静かで、私と彼女は彼の話をしながら彼が食べたラーメンを一心に味わった。私と彼女がラーメンを半分近く食べ、お互いに少しペースが落ちてきたタイミングで、私は彼女に彼が一体どんな人物だったのか尋ねた。

「優しすぎたんですよ。」彼女はぽつりとそう言った。
「私の知る彼は、優しくて、頭が良くて、綺麗な、普通のとてもいい人でした。」

(この物語はパロディであり、フィクションです。)

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