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ブルックリン物語 #39 メキシコ紀行(前編)〜Easy Living〜

モレという料理がある。メキシコでは一般的にソースという意味。ブルックリンの僕が住む地区にあるメキシコレストランでは「モレ!」とオーダーをすると「煮込んだチキンと豆とご飯の盛り合わせ」が出る。チキンにはたっぷりカカオを溶いたソースがかかって。これには様々なスパイスが入っていて一見キッチュなようで実は深くて神秘的、どこか懐かしい味だ。

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アミーゴSenriがメキシコでコンサートをやることになったのには理由がある。榎本植民団と言われる移民たちが明治時代に夢とロマンを求めて南メキシコに渡ったのが120年前。日本から遠く離れた地で苦労を重ねて農場を開拓し、水力発電機を架設。また医師としても現地の人々を救ってきた。メキシコ革命、第二次世界大戦という動乱の時代に翻弄されながらもメキシコの地域社会を献身的に助け、住民から尊敬され、その足跡が重なって、メキシコでの日本に対する親愛感情を生んだ。そして日墨協会が生まれたのは60年前。日系人とメキシコ人の絆と交流の場所として会館も寄贈された。

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「大丈夫? 朝早いからまだ目が開いてないんじゃない?」

5時半の約束で起きたのが5時半きっかり。手当たり次第の荷物を抱えて家から飛び出して迎えに来た車に乗り込んだのだ。折原美樹ちゃん(マーサグラハム舞踊団プリンシパル)の言葉に頷きつつ、

「1分下さい。パスポート、グリーンカード、衣装、譜面……大丈夫だな? うん、大丈夫」

まだ薄暗いクイーンズの空を眺めながら、車はJFK空港へとゆっくり滑り出した。

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日墨会館が老朽化し、次の世代に残して行くためにも資金が必要だという話をANAアメリカ最高責任者のK氏に聞き、同じように海外で踏ん張る僕としては、是非コンサートを開きその収益を建物のメンテに使ってもらおうと思い立ったのがこの旅の始まり。友人であるK氏が会社としても力を貸してくれ、現地のYAMAHAも楽器提供などの協力を申し出てくれた。

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「元々、ハイロ(メキシコ人ダンスフェスオーガナイザー)が開催するグアダラハラでのダンスフェスの予定があったのよね。なかなかそっちがセットできなくて、日墨のコンサートメインのこの旅が持ち上がったのよね」

僕はこのイベントに美樹ちゃん以外にもメキシコのアーテイストに参加してほしくて、プエルトカンデーラ3の出演も決まる。日墨会館補給工事の資金作りであり日墨友好コンサートでもあるイベントがいよいよ始まる。

メキシコといえばディエゴ・リベラ、リベラの妻のフリーダ・カーロなどのアーテイストも有名だ。オクタビオ・パスなどの文学はノーベル文学賞を受賞している。

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実は26年前ユカタン半島を車で横断したことがある。カリブ海沿岸、ユカタン半島の先に位置する観光都市カンクーン。ここで車を借り、世界遺産のチチェン・イッツァ、森林の中のパレンケ遺跡、ハンモック生産で有名なメリダ、メキシコ中央平原の標高2100mに位置するサンクリストバルデラスカサス、水の色が真っ青な滝があるアグアアスール、トニナー遺跡で有名なオコシンゴ、ツクリストバルグテイアレスそしてそこから空路でメキシコシティへ。

車の旅は街から街へ曲がりくねった山道を含め表情のある地形をひたすら走った。カラフルな民族衣装を纏うインディオの人たちとすれ違い、フリーダの絵の背景のような美しい花の町や荒涼とした森林、砂漠を抜け、街に着くとトルティーヤにサルサソースをのせ、むしゃむしゃお腹を満たす。太陽に追われ月を追いかけた時間。

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「その旅の途中グテマラ国境辺り、その頃なんでもござれの性格の僕は、片手で写真撮りながら、もう片手でハンドル握ってたのね」

リアシートで思い出話を美樹ちゃんに始める僕。

「ブレーキが左折カーブで効かなくなった。驚く暇もなくスローモーションで崖から落ちた。ゆっくり草木が左右に流れ空中から谷底へ車は落ちて行ったんだ。死を意識するときって不思議なもんで、滝で泳いだ後だったので水着の格好のまま発見されるのは嫌だなってまず頭をかすった。そこかよ? って感じだよね。大きな幹の木株が一つあり、ラッキーにもそこに後輪が挟まった。グラグラグラ〜。車は雨に打たれながら真横になり止まる。そのときの車輪が回る音、今でも覚えてるよ」

「よく生還したわよね。それはものすごく意味のある出来事だと思う」

天に向かってドアを開け、降り続く雨に打たれ木の枝に赤いバンダナくくりつけ、数時間沿道のカーブで振り続けた。1時間に1台ほど車が通るが、皆一様に「おお、大変なことになってる」と言い去ってしまう。結局何番目かに通りかかった家族が次の街からクレーン車を呼んでくれ、7時間後に救い出された。もう暗くなり始めていた。

フリーダの絵に時々出てくる不安な雲一面の空。同じ色だった。

「僕はその時メキシコで九死に一生を得た。だからいつか機会があったら又メキシコに戻って何かメキシコ人に恩返しできればと思っていたんだよ」

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