自分をよく知らないと我慢大会は一生終わらない
こんにちは、キャリアツーリズム®コーディネーターの古賀と申します。日替わりブログも早いもので5日目を迎えました。見出しの重さとは裏腹に内容は比較的ゆるいものになっているので、キャリアァ!自己成長ォ!!自己理解ィ!!!などと気構えずに(そんな人いるんだろうか笑)のんびり読んでもらえると嬉しいです。
①②が柔らかい感じなのに、なぜか③で突然釘を刺す口調になってるのが謎ですが始めていきましょう。
2012年春@桜木町
2012年4月。(当時でいう)東証一部上場メーカー、格安新築借り上げマンション、横浜桜木町住まい(正確には野毛)といった潤沢な福利厚生の揃った会社で僕の社会人生活はスタートしました。25歳まで福岡で暮らした僕にとっては桜木町・みなとみらいは文字通りまばゆい街でした(何度も言うけど正確には野毛)。なるほど、山崎まさよしが歌っていたのはこの街だったのかと、あらためて「One more time, One more chance」を聞きまくりました。加えて、曲中の桜木町駅はJR根岸線ではなく、今はなき東急東横線桜木町駅だということも学びました。
大手企業に入社できたし、給与もそれなりにいいし言うことなし。これから僕の人生がいよいよ始まるんだと、このキャリアを"勝ち取る"ためにこれまで僕はイヤイヤ機械系の大学&大学院に進学し我慢してきたのだと。よくやったぞ自分…。当時はなんの疑いもなくこれから始まる未来を楽しみにしていたのでした。
だいぶ前から気づいていた技術職の不向きさ
はい、もうおわかりかと思いますが、そんなワクワクした新社会人生活ももののみごとに打ち砕かれます。入社して半年、当時の僕はこう思いました↓
「思ってたのと違った…」
いや嘘つきました。正確には「気づいてたし違った…」です。僕の配属は設計部署だったのですが、実をいうと苦手意識が強いままに入社をしてしまいました。しかしながら当時は「せっかくここまで来た道なんだから」といったいわゆるサンクコスト効果が働き、不向きな自分を諦めきることができませんでした。
思えばそれまでの僕の人生は「いい高校に行けばいい大学に行けていい就職先に行ける」という大変安直な理由で進路を歩んできたために、その集大成である(と思いこんでいる)社会人1年目で退職してしまうことで、それまでの10年間の努力と時間を否定することが怖かったのだと思います。
「平日5日間我慢して働いて、土日思いっきり遊んで英気を養うんだ…そうしたらまだまだ頑張れる…!」
悲しいかな、英気が養われる日は一向に訪れず、とにかく日曜夜が憂鬱でした。ちなみに、同様に仕事がつらいと悩んでいた別部署の先輩にいたっては「金曜になると土日が来る→土日が終われば月曜が来てしまう→ヤバい」という謎のロジックから金曜夕方頃には「月曜日が来てしまうぅぅぅ!!」と頭を抱えて憂鬱になっていました笑
それはいいとして、ここでまず学んだこととしては「サービスや職種に興味がなくても、仕事と割り切って続けられる人は一定いるが、自分はそのタイプの人間ではない」ということでした。それを知ったにもかかわらず、当時は高待遇という環境下に甘んじて、3年続けてみようと思ったのでした。
我慢も限界にきた3年目
そんなこんなで気づけば3年目。大学院卒であった僕は一気に給与が上がったものの、それに見合うパフォーマンスは出せていませんでした。人によっては鋼のメンタルでのうのうと働き続けることもできたのかもしれませんが僕にはそれが耐えられず、『転職』の2文字がチラつくようになったのです。ただここからが問題でした。
辞めるのはいいとして、何をしたいのかがわからない…。気づけば大学・大学院入学&就職が人生のゴールになっていた自分としては、
・なぜ自分の人生なのに、自分が望む選択ができていないのか?
・なぜ「我慢すれば◯◯がかなうはず」という不必要な根性を持っているのか?
について、今更ながら疑問を抱くようになりました。何をしたらいいかもわからずとにかくこの時期は人に会って話を聞くようにしてました。旧友と会ったり、はたまたネットでライドシェアを募り、はじめましてのかたと横浜から福岡へ20時間かけて車で帰省したりと(何気にすごいことしてたな当時笑)、とにかく自分が考えていることをいろんな人に話してまわりました。今思えばいわゆる壁打ちというものをこのときやっていたんだと思います。
飽きっぽい自分にとって飽きのこない人材紹介業
いろんな人に会っていた数ヶ月でしたが、結局何がしたいかはわからないままでした。その一方で自分の特性ははっきりと分かってきました。それはずばり「飽きっぽい」ということ。「長続きするのだろうか…?」という不安で職選びが難航していた矢先、転職エージェントで働くというのが選択肢として出てきました。当時の自分はこんなことを考えていました。
それまでは「なぜ好きなものがないんだ(≒ダメだなぁ)」だとか、「好きなものがないといけない」とかいう価値観に縛られてましたが、時間が経つにつれいい意味で諦められたというか、そんな自分を受容できるようになりました(せっかくなので以下は最近の僕のツイートです。自己受容ってほんとだいじ)。
人材紹介業、いざやってみるとこれがとにかく面白い。気づけば9年続けていました。大手志向で学生時代就職活動をしていた身としては、世の中にはこんなに面白い企業があって、こんなにいろんな人がいるのだと知れたことは大きかったです。華やかなことばかりではなく泥臭いこともしんどいことも経験してきましたが、人材ビジネスは無形商材であるからこそ、自分を信頼してもらうための振る舞いや考え方など最低限のビジネススキルは身につけられたかなと思っています。
安定志向だった自分が気づけば複業人に
実は昨年、長らく働いてきた人材紹介業から離れ、2ヶ月ほどのキャリアブレイクを経て、複業人してキャリアを歩んでいます。不安がないといえば嘘になりますが、不確かな未来であっても自分で道を決める面白さのほうが今は勝っています。昔はあれだけ安定志向だったのに不思議なものです。誤解を恐れずいうと、今でもやりたいことというのはなく、どちらかというと「好きな仲間達とともに切磋琢磨して、社会に必要なサービスをつくっていける環境で働きたい」という価値観のほうが強いため、明確な「やりたいこと」よりも「ありたい姿(状態)」を大事にするタイプなんだと今更ながら気づきました。
「自分を知る」は早ければ早いほどよい
正直な話僕自身は、20代後半~30代前半になっても自分とはなんぞやがわからず自己分析本なんかを読み漁ってました。読み漁るけどワークがめんどくさくて書き終えられないし、書けたとしても自分自身が疑っちゃうもんだから結局分析できたのかも信じられず…笑
ほんとに今更なんですが、人と対話を重ねていくなかで自己理解が深まり人との違いも分かり、いい意味で諦められる部分も見えてきた、自己受容できるようになってきたのがここ最近の話です。そのくらい自分を知ることって難しいんですよね。
悩み悩んだ時期が続いたからこそ今があるという謂(いい)もありますが、正直自分を知るというのは早いに越したことはないと思ってます。だって自分のことわからないのってつらいもん笑
とまぁそんな感じで自分のダサさみたいなものもさらけ出しながら自己紹介してみました!ありのままを受け入れられていない人なんかに届くといいなぁ…。僕らのやっている「キャリアツーリズム®」、唯一無二の不思議な感覚が味わえるキャリア開発プログラムなので、ぜひ興味のある方はご連絡ください!
====お知らせ====
弊社せんのみなとは2024年5月2日㈭にキャリアツーリズム®福岡の街歩きプログラムを実施いたします。それに先駆けてキャリア開発プログラム(1か月を予定)を4月半ばより開始いたします。
2021年3月の創業以来、千葉県香取市の古民家のプログラムを皮切りに、和歌山県の熊野古道、宮城県の南三陸と「非日常体験で行うキャリアプログラム」を広げてきました。
・自分らしい転職を成功させた人
・起業の道を選び自信をもって日々を過ごしている人
・現職にやりがいや楽しみを見出し日常が非日常になった人
など多くの人が輩出されてきました。
皆様、共通していたことは「今回こそは…」と一歩前に進むためにキャリアツーリズム®を活用してくださったことです。
旅の終わりは、自分らしい人生の始まり
4月半ば開始のプログラムも自分らしい人生の始まりとなる、旅の終わり(福岡の街歩きプログラム)をご用意いたします。
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