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情緒ってそもそも安定するものじゃない

「情緒不安定」という言葉には少し違和感がございます。

それは頭痛が痛いと言っているようなもの。

情緒というのは、押し殺せば安定しますが、はなから不安定なものでございます。

生かすか殺すかの話なのです。

ただ、「情緒を殺す」という言葉に人は少なからず抵抗を感じますので、「安定、不安定」というあいまいな言葉で包んでいるのです。


情緒をどうしても殺さなきゃいけない場面。

それは社会ならびに対人関係でしょう。

たしかに情緒は半殺しにして大人しくしておいた方が円滑に行くことが多々あります。

自制心も大切だということに異論はありません。


ただ、世の中には感情豊かな人を好む人も案外多くいます。

それは、嗜好性の違いや人情から来るもの。


このからめるさんの動画を見れば分かるでしょう。

友達にいたら大変かもしれないけど、感情豊かな人を眺めていたい人は結構多いんです。

脳が柔らかくなるから。

ならせっかくここまでインターネットが発達したのだから、この場では情緒は解放した方がいいと思います。

情緒を眺めて楽しんでくれる人はいるから。

興味がない人は寄り付かないだけ。

それがインターネットです。


私は今、フリーターという「一日中情緒不安定でも問題ない」という特権を謳歌しています。

リハビリ中でもあり、修行中でもあり。

一般に修行僧は煩悩を殺すことが目的ですが、

私は煩悩を生き返らせる修行をしております。

でもこちらもなかなかにきついというもの。

そりゃそうでしょう。

僧侶は無の境地を求めて修行しているのに、その逆のことをやっているのですから。

沈んでいった時は本当にきつい

とはいえ総じて楽しいからいいんですけどね。こりゃまた滝行とは逆のことですからね。


昔の話。

実は私自身、感情で生きる人をそこまで好きになれませんでした。

ずるく映ったからです。

私は我慢しているのに、と。

でも我慢する必要なんて本当はないことが分かっていたから、ずるいと表情にも出さず押し殺して。

でもある頃からその悔しさの限界を越えてしまったので、私もみんなのようにずるく生きることにしました。

振り返ってみれば「ずるく思われそうだな」と自分で自分の足を引っ張っていただけなんですね。


いいですか?

情緒ってそもそも不安定なものなんです。

暴れ馬みたいなもんです。

生かしながら安定させるなんてできないと考えておいた方がいい。

あとはどう生きたいかですね。

暴れ馬を遠ざけて静かに暮らしたいか。

自転車を漕いで目標の地点に着きたいのか。

相棒の馬と色んな世界を見てみたいか。


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