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【ホラー小説】氷川の竹藪


※ホラー注意

自己責任でお読みください。
以下本編です。


まえがき

日本には古来より“禁足地”と呼ばれる領域が存在する。「一度踏み入れたら二度と帰れない」と伝えられることも多いが、正しくは「見てはならないものを見てしまったら帰れない」である。つまり、見てはならないものを見ない限りは生きて出られるのだ。しかしもし無事に出られたとしても、敷地を跨ぐ際には必ずお辞儀をせねばならないとされている。そうしなければ呪われる、と。
事実よりも大袈裟に伝承されているのは、犠牲者を可能な限り減らそうという人々の優しさだろうか。いずれにせよこの世ならざる者を見てしまった時には手遅れであるため、禁足地に立ち入るべきでないことは自明であろう。
”氷川の藪”もその一例であった。

これはとある男の日記を元に描いた物語である。

手記

その日、私は時間を持て余していた。
午前2時。寝ても良い時間なのだが、翌日も予定は遅いし、その日が平凡な一日だったから、一日が無為に過ぎていくのも嫌で、思い立ったように家を飛び出した。
家を出るまでは重かった腰が、外の空気を吸った途端軽くなった。ひんやりとした秋の空気が頭を冴えさせる。西の方へ目をやると、血のように真っ赤な色をした月が地平線の彼方へと沈んでいくところであった。
財布だけ持って自転車で飛び出してみたが、特に行く当てはなかった。近所は行き尽くしているし、どこか面白い場所はないだろうか。そう悩んでいると、ある場所が頭に過ぎった。以前から気になっていた竹藪だ。隣町のため少し遠いが、何度か藪の前を通ってみたことがある。しかし中がどうなっているのかまでは知らなかった。その好奇心のままに自転車を藪へと走らせた。

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その竹藪はJR氷川駅から穂尼岳に向かって坂を上っていった先にある。
入り組んだ谷を開拓してできたこの氷川町は、中心地である駅前でさえファミレスとコンビニは一店舗ずつしかない小さな町だ。明治の終わり頃には穂尼だけにも海にも近いという地の利を得て、林業が栄えたらしいが、とある災害をきっかけにこの町は衰退の一途を辿る。
今では町は閑散としていて、夜出歩いても薄暗い街頭がまばらに点在するだけだ。
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再び手記

人も草木も眠った町で、白色灯だけが目を覚ましていた。
氷川駅前を右折した私は、ひとっこひとり通らない車道をうねりながら上って行った。
5分ほど坂を上っただろうか。眼前に佇む宵闇の穂尼岳に別れを告げ、左手の脇道へと下っていった。ひんやりと湿気を含んだ空気が頬を撫でる。淀んだ空気の底に、竹藪はあった。

外周は竹でみっちり埋め尽くされている。深夜だからか密集しているからか、目を凝らしても1m先ですら見ることができない。
私はオカルトを信じていないから、怖さを感じることはないと思っていた。しかしいざ闇に対峙すると足は竦んだ。科学で超常現象を否定できたところで、闇への恐怖は人間に備わった根源的なものなのかもしれない。
とはいえ理性的に考えれば、住宅に囲まれた藪の中に危険が潜んでいるとは到底考えられない。強いて言うなら中に沼があったら危険なくらいだろうか。それすらも気を付けていれば全く問題ないはずだ。泥は人よりも重いのだ。
早速肝試しくらいの軽い気持ちで分け入ろうかとも思ったが、ここまで密集している箇所から入ると服が汚れてしまいそうなので、ひとまず一周してみることにした。
森と呼べるほどの広さはなかった。平地であれば高層マンションがひとつ建てられるほどの敷地だろうか。竹藪のへりをゆっくり漕ぎながらそんなことを考えていた。
と、2つ目の角を曲がったところで、予想外のものが目に映った。少し先の竹藪の中から青白い明かりが漏れていたのだ。目をやると、生い茂った笹の隙間から洋館風の建物が覗いていた。歴史の資料集で見たことのあるような近代的な作りの中に、どこか日本古来の侘び寂びも漂う、そんな建物だった。こじんまりとした正面広間には石畳が続いていた。頭上には「第二ふたば荘」という看板。壁には何台か自転車が寄せてあった。第一印象では洋館のように思えたが、目が慣れて細かい構造に目が行くようになると、おかしい箇所はどこにもないように思えた。その形状はコンクリートで覆われたただの直方体であった。竹藪の中に構える点を除けば、よくあるアパートである。
しかし、一つだけ、明らかに普通のアパートとは異なるものがあった。
階段。
階段だけが異質なのだ。
先ほど洋館風だと直感的に思ったのは、きっとこのせいだろうと思った。広い。そして長い。人が手を繋いで5人は並べるほどの幅広い階段が真っすぐと4階まで伸びている。4階から先は折り返して上に続いていそうだ。宮殿でしか見ないようなその階段だけが異質で、まるで異空間から転移してハマりこんだようであった。

気づけば私は好奇心のままに足を踏み入れていた。
はじめのうち、石畳を抜けるまではただのアパートだと思っていたので、何も気にせずに進んでいった。不気味さを感じ始めたのは階段を数段上った時のことだった。
顔に蜘蛛の糸が絡んだのだ。それも一本ではなく。長いこと人が通っていないのだろうか。
だが時間帯が時間帯なのであり得ないことではなかった。みなが寝静まってから蜘蛛が一生懸命に張ったのかもしれない。けれど、もしこの階段が長らく使われていないのだとしたら?そう考えて私は背筋がひやりとした。アパートに明かりはついている。だから使われていることは間違いなさそうだ。となると、何か危ない組織のアジトかもしれない。実は裏口が正規ルートで、表玄関は不法侵入者を排除するための罠なのかもしれない。そんな考えが頭を巡った。
しかし、そこで引き返すという選択肢は頭にはなかった。なぜなら、あと数歩上がってしまえばアパートかどうかはっきりするからだ。部屋番号が書いてあることさえ確認できれば、アパートと見てまず問題ないだろう。第一、外にアパート名だって立っていたし、門に鍵がかかっていたわけでもない。これを不法侵入だと言われたらたまったものではない。
だから部屋番号の有無を確かめたいという気持ちが強く、階段を引き返すよりも数段上ることを選択した。
私は音を立てないようにゆっくりと扉に近づいてみた。果たして、そこには「301」の文字があった。私はほっと胸を撫で下ろした。これはアパートと見て間違いないだろう。竹藪の中のデザイナーズマンションと言ったところか。
私の頭からはもう心配事がなくなっていた。アパートなのだとしたら、深夜に帰ってくる人だっている。アパートの住人かどうかを判断する術もないのだから、私が入ったところで怒られることもない。多少闇への怖さはあれど、何も怖がることがないのだ。
この時点で私は、夜の散歩を楽しむ心持ちに戻っていた。
階段が折り返す4階まで上ればアパートの反対側が見えそうだ。そこはどうなっているのだろう。やはり竹藪が広がっているのだろうか。高いところから見渡したら竹藪の全容が分かるかもしれない。私はその景色が気になって、住人に迷惑をかけないよう足を忍ばせながら4階まで上って行った。
そこからはやはり竹藪が見えた。夜の光に照らされて笹が青く揺れていた。竹藪の隙間からは橙色の明かりが火垂るのようにぽつぽつと見える。家の明かりだろうか。闇に紛れた穂尼岳は心なしか大きく見えた。身体を乗り出して下を覗いてみると、そこには水が広がっていた。境目がはっきりしない。竹藪が飲まれているようだった。水面には反射した白い月が揺れていた。
その時。どこかでガタっと物が落ちる音がした。聞こえた音はその一回だけだった。しかし。一歩ずつ。それは音もなく。こちらへ近づいてくるようだった。背後に感じるその気配に全身の毛がよだつ思いがした。私は恐る恐る今来た階段を振り返ってみた。
そこには。何も見当たらなかった。
だが何かが近づいてくる気配はひたひたと強まっていった。
張りつめた空気の中で、その正体を確かめたいと考えた。しかし、上へと続く方の階段はどうしてか、金縛りにあったように見上げることができなかった。
ひたり。ひたり。
目にも耳にも届かぬそれを私は全身で感じ取っていた。
まるで血管が凍るように何もかもができなくなった。
気づくと私は、いや、私の足が階段を滑り降りていた。
そのまま大急ぎで自転車に跨り、呼吸も忘れてその場を去った。

そこからのことはあまり覚えていない。
覚えていることと言えば、氷川駅を通り過ぎた頃、顔に蜘蛛の糸が絡んでいることに気づいて振り払ったくらいだ。
翌朝、気になって地図で調べてみたが、その竹藪にアパートのような建物は載っていなかった。
少し変だとは思ったが、もう前日の恐ろしさは薄れつつあった。
冷静になって考えてみると、別に音が聞こえたわけでもあるまいし、あの気配は自分が創り出した妄想だろう。やはり闇の不気味さというのは計り知れない。興味深い体験だった。

しかし、あの日からずっと何かが気がかりで、頭に残っている。別に罪悪感を感じる必要もないだろうし、どうして心に引っかかっているのか自分でも分からない。
早くこのしこりを取り去りたい。
なんとなくだが、あの場所へもう一度行けばすっきりする気がする。
明日の昼間、謝りに行こうかと思う。


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※この物語は全てフィクションです。言い伝えも含め、登場するものは事実とは一切関係がありません。



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