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人生の環境分析と境遇解釈<付録ツール:その2>

前回の付録ツールを補完してみました。パートナーとの生活が落ち着いたら、お互いの人生の積み残しへの取り組みの始まりなんだ、って書いててやっと言葉になった気がするのだった。したがって、シーズン3は人生後半の人々が読み手対象ですな。まあ、だからこそ、小生の境遇が重なるわけですけど。

 今回は、視点を変えて整理したものです。


◼️人生のコンフォート・ゾーン


図表94

 人生の積み残しの話は、つきつめると、生活のコンフォート・ゾーンが習慣を重ねているうちに、人生のコンフォート・ゾーンになっちまった人々の話 でした。

人生のコンフォート・ゾーンは4つの区分を作ります。「私の世界」、「私の価値」、「私が無関心な世界」、「私が無価値になる恐れのある場所」
 
 図表94で言えば、円の中は「私の価値に立って、私の世界で生きている」となります。円の内側は私からの生活への意識が十分に届いているので、中の出来事はコントロールできそうな気がする範囲と言えます。人は常に、人生のコンフォート・ゾーンの内側にいます。もちろん、コンフォートというと「わーい、なんでも僕はできるんだ!」みたいなイメージを喚起してしまいますが、ここでのコンフォートは人生の積み残しを感じない生き方をしている、っていう意味です。むしろ、一生懸命日々を生きているので、人生の積み残しやらに意識が向かないでいるような生活です。会社行って、家事をやって、子育てをしてとか、生活でやることへの意識は100%ですからね。人生の積み残しが入ってくる余地はありません。良いか悪いかではなく、生活を回していく中で迷いの起きない状況です。「なんか、もっとやっておきたいこと」を脇に置いても差し障りのない日常です。人生前半の社会人なんかは、どうやったってそうなりますよね。小生も子育てに没頭せねばならない就学前ぐらいまでは、人生のコンフォート・ゾーンでした。そこからのチャレンジまで手も回らないし、意識もいかないし。
 ああ、付け加えますけど、人生の前半なら仕事一筋もあるでしょう。仕事上のプロとしてのスキル習得も、社会人大学院などへ通ってキャリアをもう一段上げていくなんてのも入ります。でも、不快な日々ではないでしょう。大変さはあっても、今現在の行動に没入できれば、それは人生のコンフォート・ゾーンなんですよ。つまり、人生の終わりの後悔から逆算しない行動なら、すべからく、ゾーン内の話だってことですな。


◼️やや生活に余裕ができた時の漫然とした動揺

さて、家族生活、仕事生活が一段落すると、生活に余裕が出ますね。もちろん、金銭的な余裕は別でしょう。マンション買ったり、ローン組んだりとかなら、ますます入れ込んで稼がねばってなりますし、子供の進学でお金がかかりだすなら、これまた、ますます収入と支出に意識がいきます。しかし、これらは打ち手が決まったからが故の苦労なので、「こう生きれば、こういう人生になりそうだ」っていう見通しについては確実に高まってます。人生の後悔からの逆算はここにはありません。

 それ以外の生活の余裕について焦点を当てていきましょう。お金の反対側なので、好奇心サイドとも言えそうかな?w

 こういうこともありますよね。周囲を見渡すと、似たような境遇だと思っていた友人や知人が、「え?、そういう人生選択するの?」みたいな場面に出くわしてしまう。若い頃は生き方の違いとか言っても、選択肢の範囲が狭かったのに、年と共に、生き方の違いが大きな人生選択の違いになっていくのです。

図表95

 周囲との生き方の違いが目立ってくる時「果たして、このままでいいのかな?」という問いは、徐々に飲み屋だけでの話ではなくなってきますね。「田舎の実家に帰って、そこで介護しながら働く」とか「相方の独立がうまくいってきたから、そこでサポートの仕事をする」とか「地元の市議会に立候補することにした」とか、自分のコンフォート・ゾーンにはなかった生き方を間近で見聞きするようになると、動揺します。実際に自分に影響があるわけでもないのに、です。
 この動揺が自分に返ってきて「で、私は?」という純粋で面倒臭い問いになります。
 小生のサラリーマン時代の場合は、まあ、いつかは会社辞めてフリーランスにとか口では言ってたものの、何も行動を起こす気配はありません。良い学校入って、良い会社入って、定年まで行くが鉄板でしたからね。「人生のコンフォート・ゾーンで、今日もいえーい!」だったのです。ところが、小生30代のある日、親しい同僚が「親の会社継ぐので、ここ辞めます」って聞かされた時は動揺します。え?、そんな選択しちゃうの?、みたいな。初めてこの「で、私は?」という問いに囚われていくのです。腹まで問いが響き渡りましたね。

 多くの場合、図表95のように、慣れ親しんだ生活が「なんかこのままで人生行けるんじゃないの?」みたいな根拠薄い説得力で自分をその気にさせないんですよね。そう、逃げる理由はいくらでも作れるんですね。しかし、周囲の人生選択を見せつけられて、自分もコンフォート・ゾーンの外にそれらしきものをチラチラ目をやってしまうのです。大人のヴィゴツキー効果かw(気になったらヴィゴツキー検索してね)


◼️人生の積み残し解消の3ステップ

図表96

意識がコンフォート・ゾーンの外に向かい出すと、まずは好奇心レベルですけど、外側の情報に敏感になりますよね。いままでは無関心だったのに、なぜか、アンテナだけは外に張ってきます。

 介護と仕事の両立をしている人、家族での会社運営の実践者、地元の市議会議員など、機会があれば話だけは聞きにいくようになって、まずは、漫然とした動揺を、具体的な「できそう・できそうもない」の動揺に転換させます。この時、自分が人生の積み残しへの興味関心が結晶化していくと、。これ「できそうもないが、これだったらできそう」に変わっていきますがステップ1

「これだったらできそう」を言語化して、計画っぽくするのは、頭の中だけならいくらやっても実害はありません。通勤の電車の中とか、仕事合間のカフェで一息だとかにも、自然と考えるようになります。環境分析はここでのフレームです。「やるなら、こうやる」が自分の言葉で(セミナーの講師の受け売りじゃなくて)組み立てられるなら、ステップ2終了。

 前回も中心テーマにしたけど、単なるやってみたいことではなく、人生の積み残しなら、スルーできない自分の覚悟を確認せねばいけません。ステップ2までは理性でいけたけど、ここからは「やらねば、死に際に後悔しそう」の切実な思いが必要となります。ステップ3の境遇解釈からは過去の自分の覚悟の仕方に意味を与えます。
 まあ、ステップ3で足踏みしちゃって、今はまだ保留という選択もあるでしょう。(定年退職してから再検討しますみたいな)ただ、そのまま持ち越しにするということは「コンフォート・ゾーンが強化される」ということを知っておく必要があります。慣れ親しんだ状況に、もっと慣れ親しんでしまうわけです。先送りは人生の後悔確率を高めるのです。


図表97


この人生の積み残しへのチャレンジとは「私を再生させる」ことです。チャレンジがうまくいかなくても、コンフォート・ゾーンを出たという事実は残るのです。視界は確実に広がっていますから、人生の見通しは良くなります。


◼️ゾーンを作っているのは、いつも私の信念

最も重要なのは、自分の刷り込まれた信念です。もちろん、信念全てを否定するのではありません。信念は常に古くなっていく宿命にあるのです。
 信念を守る生き方が先行した時、人生の積み残しへの無関心が始まります。「人生? そんなもんでしょ」みたいなコンフォート・ゾーンでまとめにかかってしまう態度は、万物流転を無視してる生き方です。ここに禍根が残るのです。


図表98

 自分で作った人生のコンフォート・ゾーンは、自分で拡張するなり消去するなりできるはずです。しかし、人生の後半になればなるほど既存のゾーンを守ろうとするエネルギーでいっぱいいっぱいになっていきます。

 人生のチャレンジを放置し、人生の積み残しを単なる幻想と嘯いてコンフォート・ゾーンを確固たる世界とする人にとって、人生へのチャレンジという行動やチャレンジをサポートする人々の存在は目障りになってきます。だって不愉快ですよね。自分が「ない」と主張しているものに取り組んで「清々しさ」を醸し出している姿を見るのは、ゾーン内で我慢してやり過ごしてきた自分を否定された気になるからです。そうなると、足の一つでも引っ張ってやろうと思うのも無理からぬ所業とも言えます。そして、痛ましい。

 すでに年配である自分が言うのもなんですが、年上の人が語る自分の人生の境遇解釈には、聞き手にとっても生きるヒントがあります。でも、人生の環境分析はまったく役に立ちません。当たらんしw
 若者からは好奇心を学び、中年からは環境分析を学び、年配からは境遇解釈を学ぶ、ってことでしょうか?

Go with the flow.


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