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親と子の生活リテラシー<その3>「推し」について

◼️「親と子の生活リテラシー」の第3回です。

前回が「戦争」という重めの言葉でしたので、今回は「推し」です。振り幅がでかいな。長女小学校6年生が初音ミク「推し」なのです。それにしても、前回も今回も完全なアウェイだw 

拙宅では、小学校6年生の娘からの「推し」言葉が飛び交い出しております。


父「クリスマスのプレゼントは、何が希望かな?」
(長女はサンタ卒業しました。下の息子はまだ)

娘「ミクちゃんのアクスタ」

父「?。よーわからんけど、ミクは初音ミクね。で、どこで買えるの?」

娘「第二の実家で買えると思う。枯れてなければだけど」

父「??、第二の実家って、何???。ってゆーか、何語で話しているかわからない」

娘「アニメイトって言うお店だよ。アニメ推しにとって実家ぐらい落ち着く場所ってこと。ミク推しの聖地。アクスタはアクリル・スタンドだよ、そこで売っているグッズだね」

父「枯れるって、売り切れのことか?」

娘「そう、飲み込み早いね」

父「光栄です。だがしかし、スポンサーとしては、なんか嬉しくないな」


「推し」言葉が横行するのは仕方ないとして、文面にはありませんが、やや興奮状態で話してくるので、早口で聞き取りも難しいのです。「推し」には、子供も酔わせる成分が入っているようです。 どちらのご家庭でも、このような感じなのでしょうか。

今回は「推し」周辺の様子を生活文脈で理解することを目指します。

まずは生活思創に入る前のイントロから。

 子供の「推し」について、親からの管理の話。親側の「推し活」への気がかりはどの辺なのかを押さえておきましょう。

子供の「推し」を親が受け入れる過程において、親は子供にとってその推し(特定の人物、キャラクター、趣味など)が良い影響を与えるか、悪い影響を与えるかを判断する必要があります。この判断を行う際の視点や具体的な項目は以下の通りです。

1. コンテンツの適切性
評価ポイント: 推しのコンテンツが子供の年齢や成熟度に適しているか。
判断基準: 言語の使用、暴力や性的な内容の有無、倫理的・教育的価値など。


2. 当人への影響力
評価ポイント:推しの持つ影響力が子供にポジティブな影響を与えているか。
判断基準: 子供の行動や態度における変化、価値観や興味の広がり、自己表現や自己肯定感の向上。


3. 時間や資源の使い方
評価ポイント: 推しに関する活動が子供の時間や家庭の資源をどの程度占めているか。
判断基準: 学業、家庭内活動、他の趣味や活動とのバランス。


4. 社会性との関係
評価ポイント: 推しに没頭することが子供の社会的スキルや人間関係にどのような影響を与えているか。
判断基準: 友人関係、家族とのコミュニケーション、学校や地域社会との関わり。


5. 精神的・感情的な健康
評価ポイント: 推しによる子供の精神的、感情的な健康への影響。
判断基準: 子供の幸福感、ストレスレベル、自己像、感情的な安定性。


6. 金銭的な影響
評価ポイント: 推し関連の活動が家庭の財政に与える影響。
判断基準: 支出の範囲と持続性、子供の金銭感覚。


7. 教育的価値
評価ポイント: 推しの活動が教育的な側面を持っているか。
判断基準: 知識や技能の習得、創造性や批判的思考の促進。

生成AI

さすが、生成AIですな。一般論的な目配せの範囲です。全地球平均ですからね、新鮮さはないけど、手堅さは十分だ。せっかくなので、叩き台にして押し込みます。上記7つの要素を4つのマネジメント群に再整理してみました。

親としては・・・

全体管理:3「時間や資源の使い方」、6「金銭的な影響」が親としてはどうしても気になります。これは、他との生活リソースが絡むから、比較検討しやすいからですね。推し活全体のグロスで判断するのがマネジメントしやすいか。

個別管理:1「コンテンツの適切性」と7「教育的価値」は、親にとって相反する項目と見做せます。「お菓子にも栄養はある」し、「どんな薬にも副作用もある」とも言えるので、個別判断ですね。初音ミクの推し活動Aは○、推し活動BはXみたいな。

環境管理:4「社会性との関係」は、推し活の範囲に応じて変化するので、基本は「活動の選択は、より小さい範囲ですることを良しとする」といった選択基準、または、事前に個別管理に回すって感じでしょうか。

管理無効:2「当人への影響力」、5「精神的、感情的な影響」について内面的なものですから、当事者以外は判断できません。親の管轄外。他の番号で不具合の兆候が出た時に初めて対応することになります。

・・・みたいな、子に対する親の「推し」マネジメント分類にすることができます。しかし、推し活に「良し悪しで判断する」軸を入れてしまうと、どうしても息苦しいものに見えてきますね。

まあ、イントロダクションとしては良しとします。まずは、最低限の押さえとして置いておきます。


◼️「推し活」を家庭生活に当てはめる3つの課題

今回は、「推し」を生活の中に組み込むための課題に焦点を当てます。だって、小生が推し用語を覚えておしまいでは、試考がないじゃん。

三つの課題を設定します。

課題1)「推し活」の行動単位の整理
推し用語は避けながら、親と子が推し活での行動について、共通理解をもつための行動カテゴリーを作成する。現場ではすぐに「推し用語乱立VS親マネジメント圧」が始まっちゃうので、まずは、アウェイとホームの間の中立地点を設置したい。「<シーズン2>親のファシズム・子のアナキズム」で出てきた「マニピュレーションの場から、コミュニケーションの場へ」の実践ね。(参照:三木 那由他『会話を哲学する/コミュニケーションとマニピュレーション』)

課題2)「オタ活」と「推し活」の生活思創的な比較
小生の若かりし頃はオタクという言葉しかなく、そこから時代が変わって、「推し」が出てきてます。また、知人の父親が息子と一緒にカードゲームの大会に出る、といった身近な話もあって、「これはオタ活」かな?なんて感覚で区分してます。どうも「推し活」だけでは生活への組み込みが片手落ちな気がするから。

課題3)「推し活」「オタ活」ならではの生活貢献は何か?
これはかなり挑戦的な課題です。「推し活」をあってもなくても良い活動で位置付けない。むしろ、入れ込むってことは何か特別な意味があるものと仮定してみます。家庭生活で家族全員に何か意義深い影響があるなら、それはどのようなものなのか?、を試考します。




課題1)「推し活」の行動単位の整理


アウェイとホームの間に、親と子のための中立用語を作成してみます。

 まず手始めに、「推し」を「推し活」という行動の塊だとして、親と子が生活で対等に扱えるようにします。推し活をアウェイ側で細分化してしまうと、コンテンツ分の数に分かれてしまうので無尽蔵で収拾がつきません。グッズの種類だけでも膨大。余計なお世話だけど、アニメイトの棚卸しはさぞ大変だえろう。いずれにせよ、このままでは「推し活」全体が第二の実家の分類のしきたりに従った状態であり、親(第一の実家?)にとっては混乱するだけの魑魅魍魎の世界なのだった。

 ここでは可能な限り汎用性のあるサブ・カテゴリーを設定して、中ぐらいの解像度(粗くもなく、微細でもない束ね方)を仮定してみました。ただし、トーン&マナーは、説教くさくないこと。「おい、また親父がつまらんこと言うとるぞ」を避け、「ふーん、結構、分かり合えるようになったじゃん」ぐらいは目指したい・・・。あくまでも希望。

図表114

 推し活の行動カテゴリーを6種類にしてみました。

まずは、大きな区分。推し活を2タイプに分割し、「推し事(おしごと)」と「推し物(おしもの)」としてみました。推し事はすでにこの世にある用語です。推し用語で市民権を得てるところを利用して、もう一つ並列に拡幅しました。「物(もの)事(こと)」に分けたのが「推し事」と「推し物」です。

 娘の初音ミク推しでも、コンサートなどのライブ(ボーカロイドでもライブなんだなw)は一期一会的なコトの場です。一方で、フィギュアやアクスタ(アクリル・スタンド)はモノですから、物理的なモノの所有です。
 物事での2分類のメリットは、のちの課題2にあるオタ活でも使えることです。

さて、今度はその2タイプの中身を整地します。「推し事」で3タイプの活動、「推し物」で同じく3タイプの活動でまとめてみました。合計6活動(2X3)ってことになります。

  一応頭文字Cでくくれるようにしたので、「推し活の6C」になります。これはトーン&マナーに留意したもの。マーケティング・コンサルの性(さが)だな。わしゃ娘に雇われたコンサルかよ、そんな気分。



<推し事>系の行動分類

Crew(クルー): 推しの現場に参画する。コンサートやイベントなどのライブに「推し」としていくのは、もはや「推し」のスタッフの一員です。

Chasing(チェイシング):推しの最新情報を追いかける。「推し」からの情報発信や他の「推し」からの関連情報のチェックなどを集めて、今後の行動を計画する

Communication(コミュニケーション):推しのコミュニティで交流する。「推し」仲間が集まるリアル、バーチャルな場でのコミュニケーションをし、共感や親近感を醸成していく



<推し物>系の行動分類

Collection(コレクション):推しのグッズを収集する。推しに関連するグッズ類を購入して、集める。

Creation(クリエイション):推しの創作物を作る。ライブで使うオリジナルのアピール・ボード作成や、推しキャラを使った二次創作などの作品まで、推しに創発された制作すべて。

Curation(キュレーション):推しの関連物を身辺や身近に配置する。自分の持ち物や、勤務先、自室に推し関連の表現物をディスプレイしたり、コーディネートしたりする。

図表115

 これら「推し事」と「推し物」には比率があります。推しているコンテンツ(娘の場合は初音ミク)や、ご本人の年齢による活動範囲や、趣味嗜好の違いによって配分が変わります。図表115はそのイメージ図。
 やや、抽象的で一般的な言い方をするなら「推し事」は世界観重視で自分の身の置き方・行動が変わります。同様に、「推し物」は価値観重視なので、自分の基準でモノ選択が変わっていきます。


図表116

 特に「推し物」は金銭的なリソースを使いますし、逆に「推し事」は時間的リソースを使います。 このぐらいの粒度にしておくと、「今年のCrew(クルー)活動は春・秋の2回ぐらいにして」とか、「Collection(コレクション)活動に注ぎ込みすぎでないか?」とか、「Curation(キュレーション)活動は自分の部屋だけにして」とか、言えます。 

 そこそこ具体的でありながら、個々の購入や行動を批評しなくて済むので揉める確率が下がるのではないかと期待してます。少なくとも、親の極端な発言であろう「初音ミク推しは、もうやめて」よりは地に足がつく気がしますw。




課題2)「オタ活」と「推し活」の生活思創的な比較

「推し活」の内側の解像度の話が課題1でした。今度は、生活視点で眺める「推し活」の外側についてです。

 「推し活」と「オタ活」がどう違うかは、どう調べてもばらつきがあります。生成AIからは以下の引用となってますが、これはあくまでも一視点です。
 


焦点の違い:
「推し」は特定の人物やキャラクターへの熱烈な支持を指すのに対し、「おたく」は特定の趣味や分野に対する広範な知識と情熱を意味します。

行動の範囲:
「推し」の行動は特定の対象に対する支持や愛着に限られることが多いですが、「おたく」はその趣味や分野全般にわたる活動や知識を持つことが特徴です。

社会的認識:
「推し」は比較的特定のファンダム内で使われる言葉ですが、「おたく」はより広範な文化的な趣味や行動様式を指し、かつてはやや否定的なニュアンスを持っていましたが、現在では多くの場合、単なる趣味の深い愛好者を指す言葉として受け入れられています。

生成AI

 
 他にも、昔がオタ活で、今が推し活みたいな時系列変化での関係説。オタ活が大きな括りで、推し活はそのなかの部分という関係説。まあ、いろいろってことなので、小生も生活思創での定義を作って、進めても良さそうと判断しました。


図表117

ここでは、「推し活」と「オタ活」はサブ・カルチャーの中で並行した存在と見立てました。図表117参照 2つの活動の違いは、サブ・カルチャーからの出自が異なるという試考です。

 まず、サブ・カルチャーは、主流であるメイン・カルチャー(=マス・メディアがコンテンツとして扱うもの)から離れたところでスタートしている、と考えます。

<推し活>
マイナー、つまり、まだ多くの人が知らない、そして、うっすらとした温度差がある。推しの熱量を注ぎ込んでメジャー(量的)への成長に沿った活動と設定します。
 衝動エネルギーは「推し活」ではノリ(覚醒性)

・推し物(おしもの):ノリを尊ぶテーマパーク的な価値観で行動する
・推し事(おしごと):ノリを共有するフェス的な世界観で行動する

<オタ活>
主流から外に置かれている抑圧感が感じられます。あれは好きな人だけがやるもの的な、うっすらとした境界線に対して、オタからの豊穣さを与え続けてマイナー(質的)からの開放を目指す活動と見做します。
 衝動エネルギーは、「オタ活」ではレア(希少性)

・オタ物(おたもの/おたぶつ):レアを尊ぶ博物館的な価値観で行動する
・オタ事(おたごと):レアを共有する競技会的な世界観で行動する

ちなみに、小生の生活思創は「オタ活」に区分できます。脱境界線と希少性の追求って矛盾する対極性の関係だから、統合願望が強いのだ。下位分類の「オタ事(おたごと)」ではCommunication(コミュニケーション)がメイン行動。「オタ物(おたもの)」ではCreation(クリエイション)がメイン行動っすね。

ふむふむ「見通しがいい感じがするぞ」(一人ゴチ)

 ノリの良い「推し活」がサブ・カルチャーを牽引する時代というのは、メイン・カルチャーがかなりバラバラになった証のようなものなのだろう。オタクが「オタ活」として洗練されてきたのも、メインとサブのカルチャー分割がなくなったからとも言える。
 どれもこれも、押し込んだ人が楽しめたら「それはカルチャー」であり、集団から見て大きい存在がメジャーなのではなく、個人から見で偉大な存在がメジャーさ、そんな時代なのだろう。 




課題3)「推し活」「オタ活」ならではの生活貢献は何か?

 家族それぞれが新たな「推し活・オタ活」を持ち込んでくるのが平時なのだ。新しい推し先が初音ミクと代わっては、続いていく。そしてまた、子供の持ち込む「・・・・が好き」に対立するように、親が反応する「・・・・には関心がない」とかが繰り返される。生活エネルギーのロス率高くないですか?

 そこで!、課題3の話に集中しましょう。

 中心となりそうな手順は、圏論的アプローチ(上)です。圏論的アプローチにある図式主義とは対称性の活用なので、すでにある生活の何かと対称性があると試考します。


「生活思創を試考する」から再掲

 今回は「ペット飼育」との対称性から、未知の意味を抽出しようとしています。付け加えますが、対称性を求める対象はなんでもOKだよ。まあ、近しいと感じるものが進めやすいけど。

 「家庭で、家族が何かを愛でる」という意味合いから、「ペットの飼育は同じような文脈を持つのでは?」という仮説を押し込んでみます。

「ペットの飼育」と「推し活・オタ活」が生活にもたらす意味を対称性から、問いを立ててみたのが図表118です。


図表118


「推し活・オタ活」と「ペット飼育活動」が最下段の層で対を組みます(図表118の最下段「親と子がコミットする活動」)。

 最上段には生活の現場がどの辺にあるかを入れてみました。「推し活・オタ活」も「ペット飼育活動」も、普通の家庭生活ではなかった新たな存在感をもたらします。「推し活・オタ活」を生活場面の拡張と考えるなら、準・家庭という場ができ、「ペット飼育活動」は生活メンバーの拡張なので、準・家族という存在になります。完全な同一ではないけど、ほぼ同じ群としましょう。

そして、この真ん中に「新たに足される親と子のリテラシー」を設定すると何が語れそうかを考えることができます。ここでも圏論的な対称性を適用してます。まずは「ペット飼育活動」では死生観が新たに親と子のリテラシーに入っていくだろうと試考しました。

 ここでの選択は任意ですが、死生観を選んだ理由は明確です。

 ペットの代表格は犬・猫です。愛するワンちゃんや、ニャンちゃんは飼い主よりも早く他界するのが常態ですから、小さいとは言え、そこにいる家族は皆「死ぬってなんだろう」に向き合います。これはペットを飼うことの本題ではないものの、親と子が手薄なリテラシーを深める機会になります。

さて、それでは今度は反対側にある「?」には何が入ると「見通しの良い」話になるだろう?

小生は「聖俗観」(せいぞくかん)を入れました。初音ミクは推し当人にとっての神であり、尊いものになっています。それでいて、アクスタになったら、これはイコンでありながらもグッズであり、お金次第の世界にどっぷり浸かったものです。この聖俗という矛盾を統合するのが「推し活・オタ活」という見立てになります

 聖俗観。ここは任意なので、なんでも良いのです。迷います? そうはいっても絞り込むことができますから、大丈夫。複数あっても「見通しの良さ」が「清々しさ」を生んでいるものを選べば良いのです。

 生活思創の方法論では、カテゴリー越境です。越境は別のカテゴリーに境界線を越えていけばいいわけです。越境の方角は自由なので、基本は360度の全方位の別カテゴリーと思えるものを入れることができます。「死生観→聖俗観が小生の越境ベクトル」です。

図表119


・死生観:
 
強い喪失から立ち直る感覚の言葉たち。親子が死を語る時、生も意識されます。こういう場面での会話は、ペット飼育活動ならでは登場する深いお題でしょう。
 もちろん、すでに人間の家族全体が生と死に囲まれていますから、死生観はペットだけがもたらすものではありませんね。でも、人の生き死には大きすぎて扱いに困るものです。出産も葬式も巻き込まれることで精一杯だったりするし。
 そう、ちょっとでも家族が死生観に触れ合うことは、生や死に戸惑うことに対して、少しだけでも「見通しの良さ」をくれるものだと思うのです。

・聖俗観:
 
強い没入感を伴うのが推し活であり、オタ活です。ここからある日、醒めるのです。「え?、私って何してたのかしら」的なw。醒めた自分を客観視するとか、醒めた子を直接見る親という状況は、それなりに貴重な体験です。
 人生では何かに入れ込むことは日常茶飯事です。恋あり、仕事あり。しかし、「なんであんなに入れ込んでたのかな」という醒めた感覚は、「これもいつか醒めるのかな」という洞察をくれます。普段の家庭生活だけではなかなかない体験です。



娘「推し活も深いね」

父「なんか、聖俗の世界までくるってことは、神聖な活動なところがあるってことだな」

娘「初音ミクは神だからな」

父「今のところだけど。おまけにお布施バッチリしてるし」

娘「子供が入れ込めてるってことは、親も救われてるってことだよ」

父「さすがに、父は初音ミクを聖なるものには見れないなあ。でも、俗なものとして見下したり、無関心を決め込むことはしない。誰にとっても聖域はあるんだ」

娘「ネタとして元も取れたし!」

父「どうかな?、次の推しが来て、新たな貢物を欲するんじゃないのかな」




◼️聖俗観の逆対称性から、死生観を試考する(おまけ)

 聖俗観って単語が出たところで、追加で試考してみましょう。

 あくまで余儀だよ。

 聖と俗が一体になったところで「醒め」になるらしい、そんな流れが浮かんできました。今度は、これを死生観に逆対象として持ち込んで試考します。生と死を同じように組み込むなら、生と死が一体になったところで「立ち直り?」があるらしい。そんな文章になります。
 
 ここで無理やり悩んでみます。

 生と死が一体になったところで立ち直るって、何を意味してるのかな? 立ち直るってことは定常状態に戻るってことだぞ、ふむ。生と死は相補性があるとしたら、人生が終わったら何かの普段が始まることになるのかなって、そんな読み方ができる。

「聖と俗で平常」のセット。「生と死で平常らしき何か?」のセット。では、「何か」を埋めて下さい。

 まるで物質と反物質のような。輪廻転生でもない死生観。何それ? いよいよ深そうな穴を垣間見た気がするw

まあ、生活思創を超えているので、今回はこの辺で。

Go with the flow.

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