見出し画像

【自分を満たすって】

鍼灸師で易占家の仙亀です。

何かを身につけてみようかなぁっていうとき、身近にあるテキストとか、教科書のようなものを手に取ることが多いのではないでしょうか。
僕が占いの勉強をしてみようかなぁっていうときには、やっぱり本屋さんに足を運んで、様々な本のタイトルからインスピレーションをもらったり、複数の本を乱読して、なんとなく学びたいものの世界観に触れてみたりしてから、自分の求めるものの方向性を定めていきましたねぇ。


今は便利で、ネット上にそんな情報はあちらこちらに転がっているみたい。
やっぱりネットも便利で、動画でいろいろな情報を配信してくれていたり、本よりももっと配信者の方のこだわりや思いのような、一般とは違った角度の情報を得られるユニークさがありますね。


そうした情報に飛びついて、なるほどなるほど、とありがたがっているうちは、まだまだ入り口。

でも、身につけようとしているものが、奥深いものであればあるほど、そうした巷に転がっている情報だけじゃ、満たされることはない。


それじゃあと、その道の人のもとに足を運んで、教えを乞う、なんてことをしてみるわけです。

その道の人は、自分よりもずいぶん先を歩いている人。

親切な人は、自分が歩いてきた道のりを、事細かに教えてくれる。
そんな情報を緻密に教えてくれたりするわけです。


ところがところが、そうした教えというやつに浸っているうちに、だんだん不満が生まれてくる。

ちょっと違うんじゃないかなぁ、っていう疑問とか、批判とか。
僕なんかは、人に教えを乞うのが苦手で、本を読んでいる段階から、こうした批判的な読み方をしていて、とても人に素直に教えを乞う、なんてことできませんでしたね。


通り一遍のとことに対して、疑問は批判、不平が生じてくる。
当たり前の根拠について、自分の考えとのずれなんかを見つけると、そもそもの部分から、学びをやり直してみたくなったりするわけです。

こうなってくると、ただ情報をインプットするというだけじゃ、身につけたいものが満たされないってことに気がついたりするわけです。

テキストや巷の情報やその道の人からの口伝。
どれも情報でしかない。

そんな情報を活用し始めないと、やっぱり自分のものにならないわけです。
こんなことに気が付くと、自分を満たすってことを、自ら積極的に進めていくことができ始める。

勉強って、勉め(つとめ)強いる(しいる)って書きます。

学習であれば、テキストを習っていればいいけど、勉強となると自分で組み立て作り上げていかないといけない。
自分のアタマで汗をいっぱいかく必要があるわけですよ。

そうして、勉強っていう取り組みをすることで、不足に気が付いて、自分を満たすというところまで、物事を深めていくことができるんじゃないのかな。

自分を満たしていくって、そんなわけで、けっこう熱いものだったりするわけです。

最後までお読みいただきありがとうございます。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?