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第54話 切れ目のない在宅検疫システム

 在宅検疫は水際対策の一部と考えるべきだろう。在宅検疫中は、「ウイルスが国土内には入っているが、街中にはまだ出ていない」からだ。台湾の在宅検疫システムは、今回のコロナ対策で構築されたものだといっても過言ではない。(在宅検疫対象者については、第53話参照。)

空港からの移動手段

 空港検疫が無事終了した人は、在宅検疫書を渡され、そのまま検疫場所へ速やかに移動しなければならない。空港から検疫場所までの移動手段は、指定のタクシーまたは自家用車に限定された。長距離の場合はバスが用意された。

 「防疫タクシー」「防疫バス」は2020年3月4日に始まったサービスだ。国内で最初に死亡した感染者はタクシーの運転手であり、中国からの帰国者を空港で乗車させたのが感染の原因だった(第16話参照)。以降、帰国者がタクシーに乗車拒否をされるケースや、タクシー運転手の感染リスクを懸念する世論などが散見された。

 そこで、交通部(国土交通省に相当)がタクシー会社と協力し、「防疫タクシー」を設立した。仮に乗客が感染者だったと後からわかっても、運転手が濃厚接触者にはならないように、適切な感染予防対策を実施するように運転手たちに指導した。3月4日にサービス開始。最初の1週間は試用期間で課題を洗い出し、すぐに正式運用となり、需要に合わせて台数を増加した。3月19日から始まった入国者全員検疫義務ルールのせいで一時的にタクシー利用者が急増し、空港での防疫タクシー待ちの列が長くなったが、数日で解消したと聞いている。

 同じコンセプトで「防疫バス」として長距離バスも用意され、遠方に住む検疫者に対して新幹線や鉄道の使用を禁じる代わりに、防疫バスで帰宅するように指示した。離島在住者は、国内航空便を使わざるを得ず、最初はマスク着用の上での国内線利用を許可していたが、4月1日からは本島で在宅検疫を終了させてから帰宅するように指示された。

在宅検疫の場所

 在宅検疫は、自宅またはホテルで行われる(一部の人は集中検疫所)。検疫場所は入国時に申告しなければならない。そして、一旦足を踏み入れて検疫が開始されると、14日間は外出禁止。また、検疫期間中に場所を変更することも原則許されない。

 自宅で適切な隔離生活ができない人や自宅がない旅行者などは、「防疫旅館」に泊まることができる。費用は自己負担。「防疫旅館」とは、既存のホテルが政府の指針に則って運営・提供している隔離対象者向けのサービスだ。食事提供やごみの回収は、ホテルが行う。感染予防マニュアルを政府がホテルに配布し、実地指導する。ホテルは、諸々点検を受けた後、正式に「防疫旅館」となる。

 これは、もともと台北市の取り組みとして2月末に始まったものだった。台北市では、帰国者がホテル側から宿泊拒否されるケースが相次いでいたため、市民とホテルの双方を守るための施策として取り組んだ。始めるにあたって、台北市が市立病院の協力を得ながら、ホテルの防疫マニュアル作成をした。市立病院の看護師が清掃やゴミ処理などについてホテルのスタッフを実際に指導し、その過程の中でマニュアルを完成させたらしい。現在の台北市長・柯文哲氏は、かつて台湾の臓器移植の仕組みを作ったり、台湾大学病院のECMOチームを率いたりしていた人物だ。なので、こういった作業工程の洗い出しや標準マニュアル作りにあかるく、業務を細部まで落とし込むことができたのだ。

 台北市での成功を見て、3月下旬より中央政府が金銭的支援する形で他自治体に同様の取り組みを推奨し、「防疫旅館」は全国に広まった。登録ホテル数は、最初は数軒だったが、政府の補助金や社会からの肯定的な評価のおかげか徐々に増え、様々な価格帯のものが用意された。台北市で価格が最も高い防疫旅館はしばしば満室になっていたと聞いている。

 政府は、4月14日にはヨーロッパからの帰国者に対して、高齢者・乳幼児・慢性疾患患者がいる家庭では一律防疫旅館での検疫を義務付け、4月18日には東南アジアからの帰国者に拡大適用、5月2日には全帰国者に適用、とルールを拡大した。高齢者・乳幼児・慢性疾患患者を守るための措置だった。

集中検疫所

 台湾には、もともと集中検疫所はほぼ存在していなかったと思う。しかし、2月初めに武漢チャーター便帰国者を受け入れるために、急遽場所を用意し、その後、子連れ世帯が一緒に過ごせる部屋なども増やし、4月27日時点では2,126室まで増やした。突発的な事態に対応するためには余力を持つことが大事と考え、集中検疫所は稼働率約50%を常態としていた。そのおかげで、軍艦の集団感染が起こったとき(第44話)や、国境を閉鎖した国々からのチャーター便帰国者が発生したときなどに速やかに対応できた。また、集中検疫所の運営については、利用者から意見を吸い上げ、適宜改善を図った(例:子供用のおもちゃや絵本を用意)。

 空港検疫で検査が必要だと判断された人たちは、検体採取後は一旦帰宅し、結果が陽性だったら病院へ行くという流れだったが、4月3日からは検査結果が出るまでは集中検疫所で待機するという流れに変わった。24時間以内には検査結果が出ていたので、集中検疫所で1泊するくらいだったと思う。不満の声は聞こえてこなかった。

4月28日衛生福利部Facebook投稿より

集中検疫所4月28日


在宅検疫中の監視と支援

 在宅検疫者に対し、3月19日より電子的な監視システムが導入された。在宅検疫者は、携帯電話の位置を常時監視され(正確には、GPS情報ではなく携帯電話の通信信号を監視しているらしいのだが、技術的なことが筆者にはわからないので、正確な説明がここではできない。申し訳ない。)、設定されている範囲から出たり、携帯電話の電源がオフになると、自動的に警察に通知が届き、警察が状況確認をする。そして、指定された場所にいなければ、罰則適応され、さらに集中検疫所へ移動させられるようになった。

 3月19日以前は、こういった強い監視はなかった。では、どうしていたのか?その説明をする前に、少し前提知識を。
 台湾には里という行政単位がある。日本の市町村よりもずっと小さい単位だ。里には選挙で選ばれた里長がいて、住民の日常生活に寄り添った問題解決のリーダーシップをとる。里長職は、さまざまな経費をあてがわれるが、いずれも地域のために使うお金なので、基本的には無給だ。日本に当てはめると「町内会長」に近い存在だと思う。

 里長は在宅検疫中の隔離生活を適切に実施する上でのキーパーソンとなる。感染者や隔離者の個人情報は一般には公開されないが、住居のある場所の里長には知らされる。そして、里長が隔離者の世話をする。食事、ゴミだし、必要な生活用品、持病がある人の通院、親しい人の葬式など、出かけられない人はどうするのか?こういった困りごとを里長が窓口となって対応するのだ。毎日電話で状況をチェックし、同時に、在宅していることを確認していた。

 検疫人口が増え、里長だけでは対応が困難となり、3月1日に各地方政府が隔離者向けのケアセンターを開設し、より周到な支援が可能となった(第24話)。各地方自治体は在宅検疫対象と認定された市民が出歩かないよう厳しく監視すると共に、これらの人々が14日間の隔離生活を安心して過ごせるよう、さまざまな工夫を凝らした「隔離グッズ」を提供した。

TAIWAN TODAY (2020/3/10の記事より抜粋)
新北市

マスク14枚と、感染症予防のための公衆衛生情報が記載されたパンフレット、それに侯友宜市長からの手紙が入っている。パンフレットに記載された公衆衛生情報はオンラインでも見ることができるほか、台湾の三大動画配信会社のCATCHPLAY、myVideo、LINE TVから、これらの会社のコンテンツを14日間無料視聴できるアカウント及びパスワード各3000組が提供されている。

台北市
台北市が提供する「安心祝福包」3,000人分は、仏教系宗教団体の慈済慈善事業基金会と中美製薬から寄付されたもの。お湯で溶かして飲むことができる五穀パウダーや健康に良い雑穀、健康食品、それに慈済慈善事業基金会の創設者である釈証厳の発言集『静思語』、隔離者の平安を祈るストラップ、カードなど合計7点が入っている。隔離対象者の健康を飲食面から支えると同時に、その精神的支援にも焦点を当てたものとなっている。

宜蘭県
宜蘭県の「居家防疫安心包」にはマスク14枚、漂白剤、ごみ袋、せっけん、県産米などが入っている。また、花の種、植木鉢、培養土まで入っており、隔離対象者が植物を育てて時間をつぶし、「癒し」を得られるようになっている。このほか、中華電信、台湾大寬頻、台湾連線(Line TV & Music)、台固媒体公司などの協力を得て、映画、音楽、電子ブック、ドラマなどが14日間無料視聴できるアカウントとパスワードが入った「休閒包」もある。

花蓮県
花蓮県衛生局が用意した「居家関懐包」には缶詰、クッキー、即席めんなどのほか、体温計、マスク、消毒用アルコールジェル、沐浴グッズ、ティッシュ、それにスリッパ、ごみ袋、ハンガー、携帯できる食器セットなど日用品が入っている。女性には生理用品も提供されるなど、特別な配慮もされている。

桃園市
桃園市の「居家関懐包」には三大防疫物資が入っている。一つはストレス緩和を目的とした食品パック、次に健康で強い体を作るための「補食パック」、最後に消毒グッズを集めた「消毒パック」だ。スナック菓子、即席めん、オートミール、ミネラルウォーターのほか、薬膳料理で体を強くして欲しいと生薬(しょうやく)も入っている。また、台湾大哥大、中華電信など6社の協力を得て、隔離対象者がドラマを見たり、音楽を聴いたり、ネットショッピングなどをしながら14日間を楽しく過ごしてもらうサービスも提供している。

新竹市
新竹市の「居家関懐包」にはマスク、体温計、消毒液、ごみ袋などの日用品のほか、即席めん、スナック菓子、それに心理カウンセリングを利用できる専門のホットラインなどが提供されている。また、LINE Taiwanの協力を得て、動画を14日間無料視聴できるサービスも提供している。

台中市
台中市の「居家関懐包」にはマスク、体温計、台中市が在宅隔離・検疫対象者のケアのために立ち上げた「居家隔離及検疫関護センター」のサービス情報、市長の手紙、公衆衛生情報、電子ブックリストなどが入っている。

台南市
台南市の「関懐物資包」は、地元に本社を置く統一企業社会福利慈善事業基金会が寄付したもの。統一企業が生産する即席めん、飲料、缶詰などが入っている。慈済慈善事業基金会からも「安心祝福包」と名付けられたグッズが1300個寄付されている。隔離対象者のお腹を満たすものや、精神的支えになるようなグッズが入っている。

嘉義県・嘉義市
嘉義県の「居家防疫安心包」には体温計、マスク14枚、漂白剤、感染症予防に関する情報などが書かれた資料が入っている。嘉義市の「防疫安心包」には、マスク14枚、漂白剤、石鹸、ピラティスボールのほか、エクササイズ動画を視聴できるリンクが入っている。

雲林県
雲林県の「雲林防疫錦囊包」にはマスク、石鹸、タオル、生活必需品が入ったギフトセットに、感染症予防に関する情報を掲載したパンフレットが添えられている。また、雲林県でケーブルテレビの番組を配信する台湾数位光訊科技グループ(Taiwan Optical Platform)からアプリ「top news」のアカウントとパスワード300組が提供され、隔離対象者はすべてのチャネルを14日間無料視聴できるようになっている。

屏東県
屏東県では年中無休のホットラインを開設しているほか、ファイル袋に入った「屏安関懐包」を配布している。また、その内容は次第に充実している。当初はマスク、石鹸、カード式体温計、正しい手洗いの方法や、毎日朝晩1回ずつ体温を測るなどの注意事項が書かれたパンフレットが入っていたが、現在はこれらに加えてビタミン剤や消毒液なども入っている。

高雄市
高雄市の「隔離包」は10点のアイテムが入っている。パンフレット2点、サージカルマスク14枚、カード式体温計1枚、石鹸、ティッシュ、漂白剤、それにレトルト食品、公衆衛生についての説明動画が入ったディスク、それに収納袋など、いずれも隔離対象者にとって最も必要な「基本アイテム」だ。特別なのは、台湾人との婚姻によって台湾に移り住んだ東南アジア出身者を対象として、東南アジア各言語で書かれたパンフレットも用意されていることだ。14日間の隔離生活における注意事項などが書かれている。添付のディスクに入った動画でも、生活環境の消毒や正しい手洗いの方法などについて各言語で説明している。

 検疫中に外出し、処罰されるケースもあったが、ほとんどの人は在宅検疫に協力的だった。それは、法的な拘束力に加えて罰則・監視といった抑制力が働いたのは間違いない(3月19日の携帯電話位置監視システム導入によって、外出違反者は導入前30%から導入後0.3%へ減少。6月1日政府発表資料より。)が、人々が納得感を持って協力できたのは、支援体制が整っていたからだと私は思う。

検疫中の健康観察

 在宅検疫者には、1日1回の検温と健康状態の報告が義務付けられ、地方自治体の担当者が、1日1回電話で状態を確認していた。4月3日にはHTC DeepQ社とLINE社が共同開発した人工知能アプリ「疫止神通」が導入され、アプリを通じてこれらの報告が可能になった。全員がアプリを使ったわけではないが、利用者アンケートによると、評価は上々だった。アプリ経由のデータは、検疫者追跡用のデータベースに自動的に取り込まれ、より効果的な生活支援が可能となった。

 1月当初は、期間満了後に自動的に隔離生活解除となっていたが、4月初めごろから解除前に電話インタビューでの健康状態の最終レビューを行うことで、ウイルスを見逃さない体制を強化した。例えば、在宅検疫中、数日間下痢症状があったが、牛乳を飲んだせいだと思って特に報告せず、レビュー時にそのことを話してPCR検査を受けたら陽性になった、という事例があった。

罰則と補償

 台湾では、検疫指示に従わなかった場合、10万~100万元(1元=約3.5円)の罰金に処せられる。無事検疫満了したら、1日1000元の補償金を申請可。2年以内であればいつでも申請できる。6月7日の発表では、累計15万人近くいた在宅検疫者の内、違反者は677人だったとのこと。

まとめ

 台湾の在宅検疫システムは、走りながら構築されたコロナ対策の代表例だ。空港から検疫場所まで、検疫開始から終了まで、穴のないシステムとなっていったことが伝わっただろうか?6月9日時点のデータでは、全感染者443人中、在宅検疫中に発症して検査・診断に至ったのが117人。そして、検疫者からの二次感染はわずか3人(第32話)。もし在宅検疫制度がなく、この117人の感染者が市中に入っていたら、結果は随分と違うものになっていただろう。

 強制力のある隔離は、日本には存在しない。政府がそれを国民に強いることを望んでいる人が日本にどれくらい存在するのかはわからないが、台湾では、大多数が「強制」を望んでいたように思う。一方で、繰り返しになるが、「多少の不便はあるが、できるだけ快適な隔離生活」を台湾政府は目指した。隔離者を協力者と捉え、社会のために隔離生活を送ってくれている人たちをみんなで応援しよう、と政府はメッセージを発信し続けた。人権と個人のプライバシーを尊重したシステムになったと私は思う。

 6月3日時点の集計で、在宅検疫者は累計146,202人に上った。ピーク時は1日5万人以上の在宅検疫者を抱えていた。山あり谷ありの中で、よくぞここまでやってくれた。検疫に協力した人、それを支えた人、全ての人に感謝したい。台湾を守ってくれてありがとう。

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