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小澤メモ|NOSTALGIBLUE|思い出は青色くくり。

14 青色パーセンテージ。

青レンジャイ、参上。
ヒーロー戦隊ものは、色によってキャラのパート分けがされていたと思う。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』でも、赤レンジャイ、青レンジャイ、黄レンジャイ、緑レンジャイ、桃レンジャイといった具合で、戦隊モノ的なおふざけシリーズを放送していたな。小さい頃から、祖母に赤が似合うといわれて育った。だからか、赤い服を着ること(着させられること)が多かった。必然、赤レンジャーキャラにされた。個人的には、青レンジャーのカテゴリーに憧れた。リーダーというよりは、(ほんとはそうじゃないのに)一匹狼の雰囲気を漂わせ、熱血というよりはクールで、叫ぶというよりはニヒルに笑みを浮かべる感じ。簡単に言えば、モテそうでかっこいい。かなり乱暴な分析だけれど、『ワンピース』でいったらゾロ、『水戸黄門』でいったらスケさん、『スラムダンク』でいったら流川くんか仙道くん、といったところだろうか。

青色のイントネーション。
日本で育つと、やっぱり青春という言葉となじみ深くなる。人によって多少の差はあるけれど、青春時代というのは、だいたい中学生くらいから高校生くらいの思春期と重なる時代のことを指すのかな。たまに、今も青春ど真ん中だよっていうオッサンがいるけれど、それは半分冗談か、そうでありたいという願望のようなことを言っているんじゃないだろうか。話が逸れるけれど、個人的には、枯れてゆくこと、年齢を重ねることは、残念なことではないと思っている。テレビでよく見る、娘や息子とお揃いのものを着て原宿を歩いて、「若い!」とか「美魔女、イケおやじ」とかってもてはやされてるエリアは苦手。それよりも、年齢のままにフィジカル的には枯れながらも、経験値や人生のエイピソードや知識をページにしてエレガントさや渋さ(じゃなくても、年相応のスタイル)で、娘や息子とかの話をゆったりと聞いてあげて会話を紡げるエリアが、素敵だなと思う。若いだけが人生か。永遠の若さは人類の欲求かもだけれど、それは摂理に逆らわないでいいと思う。

エドワード・ヤン監督のクーリンチェ少年殺人事件は夏の傑作。
話を戻そう。青春という、この限定的でとてつもなく可能性と不安定さがないまぜになった魅力的なキーワード。個人的には、それは、学生時代の特権でその後どんなに金持ちになっても手に入れることができない、まっさらなスケジュール帳のままのながーい夏休みとか、その夏の謳歌するヒマワリやセミたちのキラキラしたイメージとリンクしてしまう。夏といえば、映画『ベティ・ブルー』の舞台になったフランスのグリュイッサンの青空や、『グラン・ブルー』のようなエーゲ海の青い海だ。中国映画『青の稲妻』やエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』などでも見る、スコールの青い雨だ。夏と、映画と、どこかにひそむ(日本でいう)青春の影と、そして青い光景とが重なり合って、こちらの青色パーセンテージがどんどん高まってくる。そうなると、ギューンと胸がしめつけられたり、なぜか落ち着かなくなったりする。それは、子どもの頃に憧れた青レンジャイのようなクールさからはほど遠い。クールでもニヒルでもなく、感傷的で真っ赤な血中の青春喪失歌劇団が騒ぎ出す。青色に憧れながら、ずっとこちらの血は赤いままなんだな。14
(写真はウエストコースト、ヴェニスビーチ/2016年)

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