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小澤メモ|NOSTALGIBLUE|思い出は青色くくり。

47 カルチェラタンの驟雨。

十分に話してきた2人の後年10分。
リュクサンブール公園を通り抜けて、5区へと向かう。周辺は、フランスの名門、ソルボンヌ大学を中心とした学生街として知られている。といっても、キャンパスライフを垣間見たかったわけではない。カルチェラタンにある、一軒のレストランを目指した。テラスとバーカウンターに、いくつかテーブルがあるだけの、パリではいたって普通のレストラン。かつて観た映画のワンシーンが忘れがたく、その後、心のある部分のスイッチとなってしまったセリフや演技がある。それは、このレストランのテーブルで繰り広げられたものだった。登場人物はジーナ・ローランズとベン・ギャザラの初老の2人。ボルドーのグラーブ産のワインが注がれたグラス越しの10分に満たないテーブルトーク。

亡き監督へのオマージュ。
2人は、一度もグラスに口をつけることなく、それぞれ店を後にする。夏夜のパリに消えるジーナを見届けた後、支払いを済ませようとするベンに、オーナー役のジェラール・ドパルデューが「お店のおごりです」という。そこで、すべてを察したベンがウィンクして店を出る、その最後の立ち居振る舞いまで完璧だった。この短編が、名作『グロリア』などで知られる故ジョン・カサヴェテス監督へのオマージュでもあったというのは、だいぶ後になって知った。ジーナ・ローランズはジョン・カサヴェテス監督の妻で、ベン・ギャザラは監督の作品によく出演していた俳優で盟友とも言われていた。そんなベンも、今はもうこの世にいない……。目指したレストランで、そんなことを考えながらしばし佇んでいると、青かった空に真っ黒な入道雲が立ちこめてきた。と思ったら、激しい雷雨となった。雷は大の苦手だ。これは困った。

驟雨から鐘の音、晴れ。
ギャルソンにタープがかかっただけのテラス席から奥のテーブルへ移動したいと言った。そしたらどうだ、彼はとても不思議そうな顔をして、「どうしてそんなことを言うんだい? ほら、見ろよ。みんな楽しそうに空を見てるじゃないか。だから、君への答えはノーだ」なんて言う。ていよくあしらわれた気もするが、たしかに雷を怖がっているのは自分だけだった。みんな、土砂降りの雨に打たれるのは嫌だが、雷は夏のパリの風物詩って感じで、良い意味であきらめているようだった。東京にいるときなら、すぐに建物の奥へと逃げ込んでいたに違いない。しかし、なぜかそのときは名前も知らない彼の言うことに乗っかる気になった。「アンカフェ、シルブプレ」。テラスでやり過ごすことに決めて、(ケセラセラ)とかって思いながら、ベン・ギャザラにでもなった気分で時を過ごした。彼が生きた時間から抽出した10分の短編にも満たない、薄っぺらな旅人だったとしても、気分だけでもそうしたかった。驟雨は、ほんとに10分くらいのことだったかもしれない。見上げると空には再び晴れやかな青色が広がり、ゴロゴロと遠雷がしているだけだった。もうすぐ20時になるというのに、夏のパリの夜はとても明るかった。47
(写真はパリで一番オーセンティックなビーフシチューを提供してくれるCafe des Musees/2019年)

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