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小澤メモ|NOSTALGIBLUE|思い出は青色くくり。

52 本格的冬支度前の乾燥肌ならぬ感想水分。

2020年冬支度のためのインプット。
歳を重ねるほどに、灼熱の夏から凍てつく冬が好きになっている。30代は、灼熱の太陽の下、積乱雲とヒマワリが直立っぷりを競い合うようにしている夏が、まだまだ一番好きだと言い張ってきた。なんの意味があるのかわからなかったけれど、夏だよねやっぱりと自分へ虚勢を張ってきた。しかし、40歳を過ぎた今では、もう認めてしまう。冬っていいね。冬の澄んだ夜気って、寒いけどい心地いいね。ということで、原色コントラスト強めの夏から180度チェンジ、青の絵の具を溶いたバケツをひっくり返したような透き通った冬がやってくる。度々、書いてしまうが、個人的な冬支度としては、衣替えよりもまずは映画『スナッチ』や『リトルダンサー』や『ドラッグストア・カウボーイ』なんかを見て、(冬ってスタイリッシュでいいじゃない!)っていうマインドセットをする。そんな今日この頃。歳を重ねるほどに、手の油分が減って、ペンを持つにもスッカスカな感じだけれども、せめてメンタルには潤いを与えてあげたい。今日この頃にインプットした映画に本に舞台について少々。ちなみにシャワー後のオヤジ肌には、チャントアチャームのディープモイストオイルを少々。それがモア・ザン・ベター。

2020年冬前の映画観賞と読書。
最近見た映画たちの中で、よかったなあというのは、2015年のアイスランド映画『好きにならずにはいられない』、2018年制作『ガルヴェストン』。どちらもハリウッド的ハッピーエンドって感じじゃないと思ったら、どちらもヨーロッパの監督だった。くそったれでしみったれのヒエラルキーの中で、ささやかな、しかも束の間のあったかいもの。その刹那的なあったかさは、真冬の空の下で、寒風に身を晒しながら、手に持ったコーヒーカップの分だけホッとする感じ。冬支度しているときに、ちょうどいい映画だった。本は、中村文則さんの『逃亡者』が面白かった。これまで中村さんの作品は、ほとんど読んできたけれど、『A』と『私の消滅』は、中でも個人的に好きな作品だった。今作品は、それらを凌ぐ傑作だった。これまでの作品以上に、思いきり踏み込んだ、社会に対する作者の言いたいことがしっかり、しかも小説として書かれている。政権体制や、戦争、人々や宗教が浮き彫りにする不合理や自己矛盾に対して、さらには電車のシートで無意味に足を大股開きする人やSNSでフィクニュースを祭り上げるようなことにも触れている。

2020年冬前、ふにおちた。
小さなことも大きなこともささやかなことも荒唐無稽なこともすべてはこの大地の上で繋がっている。それを再確認できる1冊。主人公が言う、公正世界仮説についてはまったくもって同意してしまう。当然、アンチからの過剰反応や拒否反応もあるだろうけど、それも承知の上で書こうとして書いている。それが、ストンと、面白かった。読みながら、そのどこかで、どちらも好きな本の『革命か反抗か。カミュ=サルトル論争』とか『僕のなかの壊れていない部分』(白石一文著)を思い出していた。本質的というか理性というか、そういうのは同じ基質な気がした。こちらは、著者である中村さんと会ったことないのに、これほど、作者や主人公と会話している気にさせてもらった本はないとも言えた。すべての物語は自分たちと無関係じゃない。すべての物語は自分と繋がっている。迫害され、転がされても、誰かが明日とか物語を繋げてくれたから、今がある。だから。この命は必死に使う。自分もこの命で自分の物語を行け。そう投げかけてくる。好きになる本と巡り会ったとき、それは得難い友だちと出会えたときのような気持ちになる。

2020年冬前の観劇。
コロナ禍になって、スポーツは対人なしのバスケットのシューティング(デカフ・モーニング・クラブ)やジョギングばかり。それまで月に2度は行ってた映画館。見たい映画がなくても、バターをかけた体に悪いけどたまらないポップコーンと映画館そのものが好きだから行ってたけれど、それもネットフリックスやアマゾンプライムやDVD再生ばかりになってしまった。演劇も、3月に井上ひさしさん戯曲の素晴らしい作品を見たきりだった。そして冬前。深まる秋。夜気はひんやりしてきて心地よい。久々に演劇を見た。木ノ下歌舞伎『糸井版摂州合邦辻』の再演。ひどく乱暴に端折ってしまうと、歌舞伎演目の現代化でオピニオンする木ノ下歌舞伎による、糸井幸之介さんが演出した、江戸時代の人気・浄瑠璃作品『摂州合邦辻』の音楽劇。内容は、ネタバレしてしまうので割愛するけれど、久々に見た舞台が大当たり。とても良かった。とくにグッときたのは、玉手御前が俊徳丸を追って出奔するときの羽曳野との夜のとばりの押し問答。このときの玉手御前は間違いなく妖女だった。冬の月を眺めてた玉手御前に俊徳丸が話しかけ、ひらひらと舞い降りる雪をつかもうと手が触れ合う、回想場面。このときの玉手御前は間違いなく故郷を思うひとりの美しい少女だった。そして、父と母を前にしてどこまでも詭弁をふるい強く妖しくあろうとした娘と親の思いがぶつかりあう場面とその後。このときの玉手御前は間違いなく強くて健気で心やしい虎だった。

冬の月夜にグッとくるだろう『月の伴奏者』。
主演の玉手御前を演じた内田慈さんがとくに素晴らしかった。妖しかったり、艶やかだったり、チャーミングだったり、色っぽかったり、素直だったり、その演技と声の振り幅とトランディションに圧倒されてしまった。そして。劇中、彼女が独唱する『月の伴奏者』。これがとても素晴らしかった。心が奮えた。その美しくて強い、そして冬の月夜のようにどこまでも澄んだ歌声は世界を変える力がある。と思った。ちなみに、ざわざわとした喧騒。役者たちの会話。抑揚のある演技の応酬。そういう音が散らばる最中、突然に歌い出し、その場の空気から情景から人々の表情までをガラリと一瞬で変えてしまう彼女の『月の伴奏者』。あとで、思った。映画『フォー・ザ・ボーイズ』のベット・ミドラーが歌うビートルズの『IN MY LIFE』。ベトナム戦争の最前線にいる兵士たちを慰問したベット・ミドラー演じる歌手が、(故郷の恋人や家族から遠く離れてしまっているためにサカリがついていた兵士たち)散々冷やかされて、歌うどころではない環境下になっている。それでも、いきなり歌い出す。すると、さっきまで騒いでいた血気盛んな兵士たちの顔が変わる。誰もが、故郷の何かを思い出している。誰もが静かに自分の思い出の場所を辿っていた。歌舞伎や浄瑠璃を題材にした作品ながらも、洋画の名場面を思い出させてしまう、そんな唯一無比の舞台だった。52

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