見出し画像

善し悪しの基準

物事の善し悪しは、それを感じる側の捉え方で変化する。

体調のあれこれで、体重の増減が激しい。

健康指数的には「ちょうどいい」くらいだったはずが、行き過ぎたダイエットも伴って「健康を害する激痩せ状態」に陥った。
今はその状態からは脱したけれど、ピークの時はそれでもまだ痩せ足りないと思っていた。
骨が浮き出るアバラには目もくれず、お腹周りのない肉を無理につまんで「ほら、まだこんなに太っている」と嘆いた。

今思うと明らかに思考が捻じ曲がっていて、正しい判断ができない状態だったと分かる。そして今は、こうして捻じ曲がっていたのだと思えるまで回復したんだと安堵している。

パーソナルカラー診断は、洋服選びにもコスメ選びにも、いつの間にか欠かせない存在になった。
パーソナルカラーはとても役立つものだけれど、私はそれに縛られすぎずに好きな色を好きに身に纏うのが良いんじゃない?と思っている。お気楽な感じで。

最近ある記事で「ブルベ冬は妬まれる」といった内容を目にした。
詳しく調べてみると、日本人の割合としてブルベ冬が少ないこともあり、ブルベ冬向きの洋服やコスメが少ない、とあった。そこでブルベ冬人間は、「自分に合うアイテムが少なくて困る」と感じる。その困り事を誰かに話せば、それを聞いた"ブルベ冬に憧れを抱く人"が「自慢された」と感じる、だから割合の少ないブルベ冬は妬まれる、という内容だった。

その記事が真実かどうかはさておき、私は典型的なブルベ冬だ。
好きな色も似合う色も、ブルベ冬に合うとされる色が多い。似合わない色も然り。
そしてさらに、「なかなか自分に合うアイテムが少ない」とも感じている。

それが妬まれる対象になるなんて、これっぽっちも考えたことはなかった。ブルベ冬向きのアイテムが少なくて困る、といった話を誰かにしたことは(記憶の限り)一度もないけれど、その困りごとが聞く人によっては自慢話になるかもしれないことに驚き、困惑した。

自分の体型に自信がないとき。必死にダイエットしているとき。
「太りたいのに太れない」と、痩せていることに困っている人から相談されたら、私は自慢話だと捉えてしまうかもしれない。食べたら食べた分だけしっかり肥えていく側からすると、食べても食べても太らないなんて魔法なのかと羨んでしまう。

けれど太りたいと願う人は、本当に太りたいのだ。痩せたくて悩むように、痩せていることに悩んでいるのだ。

パーソナルカラーの一件は、これと同じだった。

自分がどう思っているかと、相手がどう思っているかは違う。
人は、当たり前すぎてこのことをついうっかり忘れてしまう。

自分では太りすぎと感じる体型も、相手にとっては健康的で素敵なものかもしれない。痩せても痩せてもまだ痩せ足りないと思う一方で、相手には痩せすぎで不健康だと見えているかもしれない。

健康的とは言えない痩せすぎの状態から、今度は一気に増量してしまった。体調のあれこれがあって今回の体重の増減は自分ではどうすることもできなかった。それなのに今の自分を「良くない」と蔑んでいた。太っているからだめだ、と。

体型に関するコンプレックスが染み付いていて、克服したと思っていたものも簡単に蘇ってくる。
今抱える痩せた太った問題はどうしようもできないことだったのに、自信が削がれ、鏡を見るたびに落ち込み、ブカブカになった服を処分して、キツくなった服を脱ぎ捨てて、どんなときも「これは本当の自分じゃない」と否定した。

けれど先のパーソナルカラーの件を知って、自分の基準が絶対ではないことを思い出した。
実際、自分では太りすぎたと感じている今の私を見て、「健康的で良い」と言ってくれる人もいる。

何が良くて何が悪いか。何事も良いように捉えることができるし、悪く捉えることもできてしまう。
それなら私はどんな状態でも良いところを見出したい。悪いことしかないと思える中にも、存在するはずの良いところを見つけたい。

肯定的になって、自分をもっと愛してあげたい。優しくなりたい。

そうやって視野を広げて、自分以外の人にも優しく広い心で接していられる自分でありたい。


ここまで読んでくださってありがとうございました♡スキもコメントも幸せです。そしてサポートしていただけたらとんでもなく励みになります。活動のインスピレーションを得るためやハッピーを集めるために大切に使わせていただきます!