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簡単戦国解説10【槍の種類を教えて!】

 このコーナーでは戦国初心者さんに向けての簡単戦国解説を書かせていただいております。戦国時代や戦国武将さんに詳しくないという方にも、分かりやすくお伝えできるよう心がけました。出回っている文章情報よりふりがなを少し多めに記載しております。「それぐらい読めるよ!」って方も暖かく見ていただけると幸いです。

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 今回のテーマは【槍の種類を教えて!】 


 以前の記事でも書かせていただきましたが、戦国期における合戦での接近戦のメイン武器は長槍(ながやり)、もしくは長柄槍(ながえやり)でした。文字通り、長い槍です。この長槍を扱っていたのは足軽、いわゆる一般兵。

武将さんが使っていたのは単槍(たんそう)、もしくは持鑓(もちやり)。いわゆる普通の槍です。皆さまが想像する槍というのは、おそらくこちらの方でしょう。このように、一言で槍といっても種類があります。ですが共通の構造として柄(え・つか)、つまり持つ部分の長い棒の先端に穂(ほ)と呼ばれる金属製の刃物が付いております。そしてその先端部分を穂先(ほさき)と呼びます。

穂が柄に差し込まれて見えなくなっている部分を茎(なかご)と呼び、その部分に銘(めい)、つまり作者の名前などが刻まれ、穂の見えている部分の長さを刃長(はちょう)と呼びます。

穂先と反対側には石突(いしづき)とばれる金具が付けられていることも多く、地面に突き立てる用途で使います。穂先が折られた際など、この石突を武器とする場合もあったそうです。
 

槍の種類

長槍

長さは4メートルを超え、長いもので6メートルにも及びます。長いためしなってしまい、槍でありながら突くのはやや不向き。ですが、そのしなりを利用して叩きつければ甲冑を陥没させるほどの打撃力を出すことができます。また先述しました通り長槍は足軽、つまり一般兵の武器。使い方を習得するのに比較的簡単だったことから、戦闘経験の浅い農民兵でも扱いやすかったようです。そのため集団戦がメインとなった戦国時代、広く普及したようです。
さらには穂先を一方向へ揃えてつくりだす槍衾(やりぶすま)は簡単には敵を近づけさせません。

素槍(すやり)

穂先が直線的な形状をしているものは素槍と呼ばれ、もっともスタンダードなシンプルな槍です。穂の断面は平三角(ひらさんかく)の二等辺三角形であることが多いですが、正三角形や両鎬(りょうしのぎ)のものもありました。直槍(すぐやり)とも呼ばれます。
 

大身槍(おおみやり)

刃長が1尺(約30.3cm)を超える槍は大身槍と呼ばれます。金属部分が多いため重くなるので扱いが難しくなりますが、その重さによって突きだけでなく斬撃、つまり斬りつける攻撃でも高い殺傷力を出せる武器です。たとえ斬れなかったとしても、叩きつけられただけで打撃力も凄そうです。

片鎌槍(かたかまやり)

素槍のような両刃の穂の途中からも刃が生えている形状の槍を鎌槍と呼び、片側だけについているものを片鎌槍と呼びます。個人的には加藤清正が持っているイメージです。

十文字槍(じゅうもんじやり)

三方向に刃が出ており攻防にバリエーションが出せますが、そのぶん扱いは難しくなります。個人的には真田信繁が持っているイメージです。両鎌槍とも呼ばれます。

笹穂槍(ささほやり)

穂が笹の葉のような形状の幅広の槍です。戦国最強とも称される本多忠勝が戦場にて振り回した槍・蜻蛉切(とんぼきり)も、大身槍であり笹穂槍でもありました。
 

天下三名槍

数ある槍の中には名槍と呼ばれる槍があり、さらにその中にも、名槍中の名槍と呼ばれる三本の槍があります。
蜻蛉切・日本号(にほんごう・ひのもとごう)・御手杵(おてぎね)
この三本の槍は「天下三名槍」と呼ばれます。
 

蜻蛉切

その生涯において57回もの戦に参戦し、なんと無傷の本多忠勝。彼が愛用したのが蜻蛉切で柄の長さだけで6メートル、刃長は43.7cmにもなる大身槍です。扱うのは難しかったことでしょう。こんな槍を扱える本多忠勝さん、凄すぎます。さらには蜻蛉がその穂先に止まっただけで切断されてしまったほど鋭かったそうです。

彼は晩年、この槍を90cmほど短くしました。さすがに体力の衰えを感じたのかも知れません。現在は岡崎公園にあります「三河武士のやかた 家康館」にてレプリカが展示されております。
 

日本号

全体の長さは321cm、刃長はなんと79.2cmもありました。元々この槍は朝廷のものでした。それを正親(おうぎまち)天皇が、室町幕府第十五代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)に譲ります。そして織田信長の手へ渡り、さらに豊臣秀吉へと渡ります。

信長さんからもらった可能性もなくはないものの、後陽成(ごようぜい)天皇から拝領したという説もあります。秀吉は

「天皇のお体に触れたものを自分が身につけるのは恐れ多い」

と、立派なこしらえを用意します。天皇はこれを喜び、この槍に正三位(しょうさんみ)という位を授けます。秀吉は日本号という名前をつけて大切にしたそうです。凄いですね、位を持った槍なんて。

そして秀吉は家臣である福島正則にこの槍を譲ります。この福島正則は戦に強い猛将であるとともに酒豪でもあり、酔った勢いで賭けをして負けてしまい、この大事な槍を取られてしまいました。やっちゃいましたね・・・
ちなみに現在は福岡市博物館にて常設展示されております。
 

御手杵

全長は333cm、刃長は約139cmもありました。この槍を作らせたのは結城晴朝(ゆうきはるとも)。徳川家康の次男・結城秀康(ゆうきひでやす)の養父です。彼はこの御手杵を馬印(うまじるし)、つまり戦場で武将の所在を示すためにも使いました。武器なのに目印としても使われたということは、よっぽど目立ったのでしょうね。むしろ実戦で使うのではなく威厳を示すために作られたのでは? とさえ思ってしまいます。

やがてこの槍は松平大和守家(まつだいら やまとのかみけ)に受け継がれ、大切に扱われます。新たに熊毛で覆われた巨大な鞘をつくり、参勤交代(さんきんこうたい)の際これまた馬印として使われました。この鞘は高さ150cm、直径45cm、重さは22.5kg。熊毛で覆われているので、道中 雨に濡れると水を吸ってしまいその重さは37.5kgにまでなってしまいます。運ぶのが大変そうですね。

時は流れ御手杵は、東京の松平邸の所蔵庫へ。そして昭和20年(西暦1945年)、東京大空襲により焼失してしまいました。
 

はい、そんなわけで今回のテーマは【槍の種類を教えて!】でした。槍にもいろいろありますね。
そして、歴史的な文化遺産が戦争によって失われたというのは残念でなりません。

名槍や名刀といった武器があります。本来は武器として機能するものですが、時として別の価値がつくこともあります。作られた当初は武器であっても、それを使わなくていい時代ともなれば人々の見方は変わります。願わくばすべての武器が武器としての役目を終え、次の時代へ行けたら良いな~と思います。

戦国パンダ部長のⅩ(旧Twitter)
https://twitter.com/@sengokupandabc

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