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征夷大将軍の歴史

征夷大将軍とはそもそも何でしょうか?
武士の頂点というイメージですがいつから存在するのでしょう?
今回は征夷大将軍について解説します。


征夷大将軍の歴史

最初の征夷大将軍が誰かご存知でしょうか?
学校の授業を覚えている方坂上田村麻呂と答えるかもしれませんね。
実は坂上田村麻呂は2代目なんです。
では初代征夷大将軍は誰でしょうか?

最初の征夷大将軍

初代征夷大将軍は「大伴弟麻呂」(おおとものおとまろ)という人物です。
平安時代の人間で、蝦夷(えみし)と呼ばれていた東北地方を征服するために任命されました。
「征夷」とは「蝦夷(えみし)を征伐する」という意味なのです。

坂上田村麻呂

ではなぜ坂上田村麻呂が初代征夷大将軍として習うのでしょうか?
それは大伴弟麻呂は坂上田村麻呂の上司で、実際に現地で戦い蝦夷を征服したのは坂上田村麻呂だからです。
そして大伴弟麻呂の次が坂上田村麻呂が征夷大将軍に着いたため、初代征夷大将軍は坂上田村麻呂と言われているのです。
つまり大伴弟麻呂は書類上の初代という認識でもいいかもしれません。

幕府を開いた征夷大将軍

鎌倉時代に入ると、征夷大将軍の意味合いが変わります。
それまでは東北地方を制圧する役職でしたが、武士の頂点としての意味合いになったのです。
そして幕府を開く権利とセットで考えられるようになります。
ここでは歴代の有名な征夷大将軍を見ていきましょう。

源頼朝

武士として初めて征夷大将軍になった人物。(彼の前に木曾義仲が任じられていたという説もあります。)
源平合戦に勝利した頼朝は、関東に武士の政権を作ります。
皆さんご存知の鎌倉幕府です。

ではなぜ頼朝は征夷大将軍の地位を欲したのでしょう?
頼朝が望んだのは「征夷」ではなく、「大将軍」のほうであったと言われています。
朝廷から軍を任せられる役職が欲しかったのではないかという説ですね。
朝廷からのお墨付きがあれば、全国の武士を従わせる大義名分ができるわけですから。

頼朝の直系の征夷大将軍は三代目・実朝で途絶えますが、その後も朝廷から皇族を迎えて将軍職は残ります。(実権は執権の北条家。それも末期にはお飾りになります。)

足利尊氏

二つ目の幕府・室町幕府を開いた足利尊氏。
元々は鎌倉幕府に仕えていた武士ですが、幕府と朝廷が戦になった際に裏切り戦果を挙げます。
鎌倉幕府滅亡後、当初は天皇中心の政治に戻す動きが朝廷内で強くありました。
しかし尊氏は当時の天皇と対立し、別の親王を皇位に即位させ征夷大将軍になります。
こうして武士と政府である幕府体制は続くことになります。

ちなみにこの際、皇室が二つに割れ南北朝時代が訪れることになります。
この対立は室町幕府三代将軍・足利義満の時代まで続きます。

徳川家康

3つ目の幕府、江戸幕府を開いた徳川家康。
室町幕府の力が弱まった、戦国時代に生まれます
織田信長により室町幕府が実質的に滅び、関ケ原の戦いで勝利し全国を平定したことで征夷大将軍になります。

幕府の力を盤石なものとし、260年に渡る平和な世の中を作りました。
当時は武士のトップ=征夷大将軍ですから、家康が幕府を開くのは自然な流れだったのでしょう。

まとめ

もともと征夷大将軍は朝廷が任じた、東北地方を征服する組織のトップでした。
それが時代が下るにつれ、武士のトップとしての役割に変わっていたのです。

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