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イエス・キリストの教えは人生への見方を全く変える「良い知らせ」です。 単に覚えたり知る…

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イエス・キリストの教えは人生への見方を全く変える「良い知らせ」です。 単に覚えたり知ることを目的とする学びとは違い、心や物の見方を変え、人格さえ変えることを目指してこの「良い知らせ」つまり福音を学ぶことについてあなたのヒントになることを紹介します。

マガジン

  • 聖文を学ぶ:モルモン書(2024)

    個人的な聖文研究のプロセスを公開します。 2024年はモルモン書を通してイエス・キリストとその福音を学びます。

最近の記事

モーサヤ1-3章:あなたの呼ばれる名〔質問を尋ねる〕

わたしのこのシリーズの記事では、わたしの毎日の聖文研究のプロセスを紹介しています。「わたしに従って来なさい」の読書ペースに合わせて、先週からモーサヤ書に入りました。この記事では、先週学んだモーサヤ書1-3章で、わたしがどのように聖文を学んできたかを分かち合いたいと思います。 さて、これまでのモルモン書の記録はニーファイから弟ヤコブに受け継がれ、さらにそれが代々その息子に受け継がれてきた流れの中で記されてきたものでした。その記録は余白の少ない小さな版であったために、特に重要だ

    • エノス1章:聖徒たちの喜び〔質問に答える〕

      今日は前回に引き続きエノス書から学んだプロセスを紹介していきます。エノスはニーファイの弟ヤコブの息子で、ニーファイの版を書き継ぐように父ヤコブから記録と責任を託されていました。恐らく、ヤコブが兄ニーファイから命じられていたように、限られた余白しか残っていない版に、最も貴いこと、俗世のことではなく神様にかかわる重要な教えや預言、出来事を書き残すようにと言われていたはずです(ヤコブ1:1-4参照)。 そこでエノスが書き記したのは、自分の生涯をまとめた記録で、特に彼の人生のターニ

      • エノス書1章:主の御霊は思いと心に働く〔質問を尋ねる〕

        この記事は先週のわたし自身の個人の聖文研究、特にエノス書を通して学んだプロセスの一部を紹介するつもりです。末日聖徒イエス・キリスト教会は1年を通して個人や家族の聖文研究をサポートするために「わたしに従って来なさい」を提供しています。先週の「わたしに従って来なさい」の読書範囲は「エノス書」、「ジェロム書」、「オムナイ書」、「モルモンの言葉」です。 エノス書は1章のみの短い記録ですが、この書の著者であるエノスの長い人生をギュウ~っと凝縮してまとめた記録です。今回の学習ではエノス

        • ヤコブ書6-7章:永遠の命を得るまで…続ける〔質問に答える〕

          これまで、ヤコブ5章で引用されていた「オリーブの木の譬え」から学んだプロセスを紹介しました。この譬えの引用にはヤコブにとっての明確な意図がありました。そのことについて学んだプロセスをまとめた記事はこちらからお読みいただけます。 そして、著者の意図を踏まえて「オリーブの木の譬え」から学んだことをまとめたのがこちらの記事です。 今回の個人的な学びを通して、この譬えが「果樹園の主人」と「オリーブの木」の関りを、比喩を用いて教えるものであることには重要な真理が暗に示されていると感

        モーサヤ1-3章:あなたの呼ばれる名〔質問を尋ねる〕

        • エノス1章:聖徒たちの喜び〔質問に答える〕

        • エノス書1章:主の御霊は思いと心に働く〔質問を尋ねる〕

        • ヤコブ書6-7章:永遠の命を得るまで…続ける〔質問に答える〕

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        • 聖文を学ぶ:モルモン書(2024)
          26本

        記事

          ヤコブ書5-7章:オリーブの木の譬え―わたしと家族の救い主〔質問を尋ねる②〕

          前回の記事では、モルモン書の中でヤコブが「オリーブの木の譬え」をなぜ引用しているのか彼の意図を学ぶことから始めました。前回の記事を読んでいない人は、こちらからお読みください。 このような前提に立ち、思いに浮かんできた今回の学習の取り掛かりとなる質問に入る前に、もうひとつこの「オリーブの木の譬え」の背景情報を整理しておきたいと思います。それは、もともとこの譬えを霊感されて語った本人である預言者ゼノスについてです。 ゼノスという預言者については、旧約の時代にイスラエルの民の間

          ヤコブ書5-7章:オリーブの木の譬え―わたしと家族の救い主〔質問を尋ねる②〕

          ヤコブ5-7章:オリーブの木の譬え―イエス様は諦めない〔質問を尋ねる〕

          モルモン書という書物は、イエス・キリストを証ししている聖典です。聖書で教えられている同じイエス・キリストの神性、その愛と憐れみ、御父の計画における役割と使命、無限の贖罪、救いがテーマとしてつらぬかれています。そしてそれは、イエス様にとって「わたし」がどのような存在なのか、限りなく広がり続ける広大な宇宙にあって、チリほどもないちっぽけな「わたし」にどれほどの大きな価値が見出されているのかという証を打ち立てるものでもあります。 もしあなたが、イエス・キリストとその教えに興味をお

          ヤコブ5-7章:オリーブの木の譬え―イエス様は諦めない〔質問を尋ねる〕

          ヤコブ書1-4章:主は純潔と貞節を喜ばれる〔質問に答える〕

          先週から2つの記事で、「主は純潔と貞節を喜ばれる」というテーマで学んだプロセスを紹介してきました。その中で、性や道徳に関するクリスチャンの価値観や教えを学ぶだけではなく、親として子供にこの大切なトピックを教えるという務めにおいて、自分を振り返り反省する機会を持つことができました。このトピックは、現代に生きる一人の人としても、親としても避けては通れないものですので、読者の皆さんにとっても役に立つ気づきがあればと願っていますし、皆さんのご意見や経験もコメントから共有してもらえると

          ヤコブ書1-4章:主は純潔と貞節を喜ばれる〔質問に答える〕

          ヤコブ書1-4章:主は純潔と貞節を喜ばれる〔質問を尋ねる②〕

          前回の記事では、ニーファイの弟ヤコブが当時のニーファイ人の男性たちに向けて彼らの伴侶への誠実さと献身に欠ける行いを責め、道徳的な清さを保つこと、純潔や貞節の尊さを教えていることから発展していった学びを紹介しました。前回の記事を読んでいない人はこちらからどうぞ。 ヤコブ書を読んでみると、ヤコブはかなり率直に純潔や貞節という繊細なテーマについて教えていると感じました。それほど当時のニーファイ人の状況と、特に男性の不道徳が家族に与えている影響は看破できない状態だったとも言えるかも

          ヤコブ書1-4章:主は純潔と貞節を喜ばれる〔質問を尋ねる②〕

          ヤコブ書1-4章:主は純潔と貞節を喜ばれる〔質問を尋ねる①〕

          前回の記事まで、モルモン書の最初の著者であったニーファイの記録から学んできました。今日からはニーファイの弟であったヤコブの記録であるヤコブ書から学びます。 ヤコブ書を学び始めるとまず冒頭で、ヤコブは兄ニーファイから受け継いだ記録を書き記すという自分の受けた務めについて説明しています。ニーファイからヤコブが受け継いだ記録(ニーファイの小版)には、いくつかのルールがありました。 これらヤコブ書の冒頭部分からわかるニーファイの小版の記録ルールは以下のようにまとめることができます

          ヤコブ書1-4章:主は純潔と貞節を喜ばれる〔質問を尋ねる①〕

          ニーファイ第二書31-33章:「キリストの教義」―すべての瞬間にイエス様に登場していただく〔質問に答える〕

          この1週間、ニーファイの記録の最後の部分に焦点を当てて学んできました。ニーファイと言えば、その記録の冒頭に次のような印象深い言葉から書き始めています。 ニーファイは冒頭からずっと一貫してイエス・キリストから受ける愛、慈しみ、深い憐みを通して人が生活の中で受けられる力、喜び、救いに焦点を当ててきました。彼は自分が記録を書き記す目的をたびたび確認しています。 ニーファイが記録の最後に書き残そうとした「キリストの教義」とは、まさに彼が歩んできた人生の中で学んできた「キリストの力

          ニーファイ第二書31-33章:「キリストの教義」―すべての瞬間にイエス様に登場していただく〔質問に答える〕

          ニーファイ第二書31-33章:永遠の命に至る道〔質問を尋ねる〕

          先週は少し体調を崩してしまい、毎週続けてきた記事の公開ができませんでした。気を取り直して、今週から改めて毎日の聖文の学びを公開していきたいと思います。 今週は、ニーファイ第二書31-33章が読書範囲です。モルモン書の最初の主要な著者であったニーファイの記録の結びの部分となります。 ニーファイはこれまで自分たちの家族が歩んできた旅路、その中で見出してきた救い主について記録してきました。ニーファイ第一書の終わりから、ニーファイ第二書の大部分、限りある版のかなり大きな部分を割いて

          ニーファイ第二書31-33章:永遠の命に至る道〔質問を尋ねる〕

          ニーファイ第二書11-19/20−25章:聖約とイエス様の愛〔質問に答える〕

          先週は、ニーファイが引き続きモルモン書の中で引用したイザヤの言葉から研究を進めてきました。ニーファイがその読者に勧めたように、イエス・キリストとその役割、わたしたちとの関係性に焦点を当てて学び、それを自分に当てはめることを通してイザヤ書が難解な預言ではなく、救い主イエス・キリストについてのシンプルで力強い証の言葉として感じられるようになります。「質問を尋ねる」の記事をまだ読んでいない方は、ぜひこちらからお読みください。 ユダヤ人と主との本当の関係を表す聖句 ここまで学んで

          ニーファイ第二書11-19/20−25章:聖約とイエス様の愛〔質問に答える〕

          ニーファイ第2書11-19章:イザヤの預言を自分に当てはめる〔質問を尋ねる②〕

          前回の記事ではニーファイがイザヤの言葉を引用した意図をくみ取って学ぶことについて焦点をあてました。まだ読んでいない方はこちらからお読みください。 イザヤの言葉を自分自身に当てはめるために ニーファイの意図に沿って、キリストを見出すためにイザヤの預言を学んでいきます。ニーファイはイザヤの言葉を以下のような焦点をもって学ぶように招いています。 救い主イエス・キリストがわたしたちにとって必要な理由 救い主イエス・キリストが中心に据えられた、すべての人を救う「偉大な永遠の計画

          ニーファイ第2書11-19章:イザヤの預言を自分に当てはめる〔質問を尋ねる②〕

          ニーファイ第2書11-19章:わたしは〇〇に喜びを感じる〔質問を尋ねる①〕

          わたしの聖文研究のプロセスを記事にして公開してみようという試みを始めてちょうど1ヵ月になろうとしています。42歳の誕生日から新しくチャレンジして、なかなか自分の考えていることや感じていることに至るプロセスを言語化するのは難しいなと実感しているところです。 拙い文章であるにも関わらず、この1カ月わたしが当初考えていたよりも多くの方が記事にアクセスしてくださっていることはおっかなびっくりうれし、です。今週も誰かのお役に立てれば、とはじめて行きましょう。 先週はヤコブが旧約の預言

          ニーファイ第2書11-19章:わたしは〇〇に喜びを感じる〔質問を尋ねる①〕

          ニーファイ第2書6-10章:聖約、贖罪、和解〔質問に答える〕

          2ニーファイ6-8章ではヤコブがイザヤの預言から引用して、イスラエルの家に対して主が交わされた聖約を明らかにしていました。今週は2回にわたり「質問を尋ねる」の記事でこの「聖約」についてどのように学んできたかを紹介しました。まだこれらの記事を読んでいない方はこちらからお読みください。 イザヤの預言:「聖約」の要点 イザヤの預言の引用を学んでいると、それらの預言の中に主が交わされた聖約について大きく2つの要点があることがわかってきました。 イスラエルは自らの背きのゆえに主か

          ニーファイ第2書6-10章:聖約、贖罪、和解〔質問に答える〕

          ニーファイ第2書6-10章:散乱と集合、贖い主〔質問を尋ねる②〕

          前回の記事では、ニーファイの弟ヤコブが旧約の預言者イザヤの言葉を民に教えることで、彼らのために約束された「聖約」について知らせようとしていることに注目し、「聖約」について質問を尋ねることを学習の取り掛かりとしました。前回記事をまだ読んでいない方はこちらからどうぞ。 まずは、ヤコブが「聖約」について知らせることを意図して引用したイザヤの言葉が記されている2ニーファイ6-8章を次の質問を念頭に再読しました。 主はイスラエルの家にどのようなことを約束しておられるだろう? 主が

          ニーファイ第2書6-10章:散乱と集合、贖い主〔質問を尋ねる②〕