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人は生きるために心も身体も潤いが必要~映画『渇水』レビュー~

映画『渇水』は、夫が観たがっていたのでAmazon Primeで一緒に観ました。

若かりし頃、立ち上げた会社の経営が上手くいかなかった時期に実際に水道を停められた苦い経験があったらしく…。

「水道停止の通知」は来ていたものの忙しさにうっかり忘れてしまい、ある日突然停められてしまったそうです。すぐに滞納金を支払いに行って事なきを得たようですが…。

水道の蛇口をひねっても水が出ない…その状況を想像するだけで恐ろしくすらあります。水は人間が生きるための”最後の砦”だと思うので。

『渇水』というタイトルは、文字通り雨が降らず日照りが続いて水が足りないことを表していると同時に、人の心の渇き…愛情に飢えた登場人物たちの心情の象徴でもありました。

舞台は群馬県前橋市。県内全域で給水制限が発令され、節水を市民に呼びかけていたある年の夏。

水道局に勤める主人公・生田斗真演じる岩切俊作は、同僚の磯村勇斗演じる木田と一緒に水道料金を滞納する家庭を訪ね、支払ってもらえなければその場で水道を停める仕事をしていました。

「規則ですから」と水道の元栓を「停水器」と呼ばれる鉄のカバーで淡々と覆っていく、岩切の能面のように無表情な顔が印象に残っています。

生田斗真は振り幅の広い俳優ですが、今回は笑顔を封印して徹底的に暗い岩切になりきっていました。

別な同僚が「こんなことを続けていたら、人間変わっていっちゃう気がして…。僕が僕じゃなくなってく気がして…」と口にしていましたが、あえて自分の心を失くして作業をしなければ、この冷淡に思われる仕事はこなせないように感じました。

滞納者たちの身勝手な言い訳や責める言葉を浴びせられて、とても平常心を保ちながらできる仕事ではないと。

「水なんか本来タダでいいんじゃないかな?」という「停水」された滞納者・伏見の言葉は、後に岩切が起こす”小さなテロ”への伏線だったのかもしれません。

岩切たちが訪問していた家の中に、父親が蒸発して母親も家に帰って来なくなってしまった、育児放棄された恵子と久美子という姉妹がいました。

最初の訪問のときには門脇麦演じる母親がまだいたけれど、男の元へ行ったきり姉妹は置き去りにされてしまい…。門脇麦は登場シーンがそれほど多くなくても必ず爪痕を残すさすがの演技力で、強烈なインパクトがありました。

一度は「停水」の執行を見逃してあげた岩切も、二度目は実行せざるを得ず。家中のありったけの入れ物に水を貯めておくことを姉妹に提案することしかできなかった岩切の心情を思うと複雑でした。

ある日偶然、家を出ていく母親を見かけて滞納金を支払うよう説得しますが、断られてしまいます。

岩切が「水道代も娘たちも放り投げてどこに行くのか?それでも親か?」と責めると「あんたはうちの旦那みたいに水の匂いがする。そういう男は、まともに家族も守れないの。あんたの家族は幸せなの?」と言われ、痛いところをつかれた岩切は何も答えられませんでした。

自分の家庭はといえば、親に虐げられて育ってきた岩切は息子・崇への接し方に悩み、妻とも距離をとっていました。そのせいで妻と息子は妻の実家に帰ってしまい、心が潤う場所のない岩切の心の渇きが日照り続きの町と重なって切なくなりました。

岩切は思い立って妻と崇に会いに行きますが、海へ行こうと誘ったら崇には拒絶され、妻からはもう少し時間がほしいと言われてしまいます。

その後家へ戻る途中で見た壮大な自然の景色…川の流れ、緑の木々から差し込む木漏れ日、水が大量に流れ落ちる滝。それらを眺めながらなにか意を決したような岩切でした。

母親が置いていったお金も底をつき、姉妹は万引きをしたり、公園の水を汲んで来なければならなくなりました。

やがて公園の水も停められてしまい、再びスーパーで万引きしようとした恵子を見かけた岩切は強引に恵子を救い出します。

そこからの展開はあまりに唐突で意外でありながらも、岩切や姉妹の鬱屈とした気持ちが解放された瞬間でもありました。

岩切は公園の水道管を開けて、ホースをつないで狂ったように放水を始めました。「大雨降らせてやろうな!カラッカラの町に」

虹ができたり、水を浴びながら大喜びではしゃぐ久美子を見て、最初は戸惑っていた恵子もやっと笑顔に。

これは節水制限されている中、しかも水道局員の岩切の起こした”小さなテロ”でした。それまで仏頂面で与えられた仕事をこなしてきた岩切の心の叫びでもあり、あの自然の中で目にした滝には及ばないものの、”心の浄化”のために必要な行動だったのではないかと感じました。

嫌なこと、マイナスなことをすべてこの水で洗い流してあげたい!自分の心も姉妹の心も!とびきりの笑顔の岩切は、むしろ清々しくさえありました。

岩切は警察に捕まり、辞表を書くように上司に言われました。姉妹は施設に入ることが決まりました。毒親に育てられるよりは、二人で生きる方が幸せになれるのかもしれませんね。しっかり者の恵子に、天真爛漫な久美子。子役二人ともにこれからの活躍が期待できる名演技でした。

釈放されて帰宅後に、恵子と久美子からもらった絵を壁に貼る岩切。それはあの公園での放水の絵でした。

最後に崇から海へ行きたいと電話がかかってきて、映画は幕を閉じました。

「停水」の仕事を木田に「俺だって好きでやってるわけじゃない。けど、嫌いでもない」と言った岩切の言葉は案外本音だったのかもしれません。

でも”家族”という存在のありがたみを痛感した岩切が自分の本当の心とやっと向き合えるようになったとき、最後のライフラインである”水”を停める「停水」という仕事からは脱したくなったんだと感じました。

岩切は仕事を失ったけれど、失いそうになった家族は取り戻して再生していけるであろうという余韻が残ったのが救いではありました。

人は心も身体も潤っていなければ生きてはいけないと、映画『渇水』は教えてくれたような気がします。

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