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「Mr.サンデー」の特集で取り上げられた『教育虐待』は「他山の石」ではないのかもしれません

先日の「Mr.サンデー」の特集で取り上げられていた『教育虐待』。仕事柄身近なところで実際にこういう親御さんたちを数多く見てきたので、胸が締め付けられるような想いでした。

私自身は幸い親から「勉強しなさい」という言葉を言われたことのない子供時代を過ごしてきました。こんな風に書くと「自分が”いい子”だった自慢ですか?」とか「勉強しなくても頭が良かったってマウント取りにきてますか?」とか、今のネット社会ではこういった言葉を投げかけられてしまうことになるのかもしれませんね。ネット民に書かれるコメントがあれこれ浮かびます。

ごく冷静に自分の子供時代を振り返ると、単に『優等生でいる自分が好きだった』という一言に尽きるような気がします。いわゆる世間的な”いい子”で居続けることで、親には文句を言われないし学校の先生には好かれるし、マイナス要素が何もなかったからそうしていたという感じだったと思います。自分が無理して演じていたというよりは、そうした方が楽だったというのが当時の私の本音だったのではないかと自己分析してみたりします。

正直子供の時の方が精神的に大人だったのかもしれませんね(笑)。

もっとも、私たちの時代は【公立小学校⇒公立中学校⇒公立高校⇒どこかの大学】というレールが当たり前で、今のように過剰な『中学受験熱』もなかったので状況は大きく異なると思われます。「公立より私立の方が優れている神話」や「公立より私立に行く方が幸せになれる神話」とか、今の偏った親御さんの考え方には驚かされることが度々あります。

一体いつからこんなに『中学受験熱』がヒートアップしてしまったんでしょうか?

第一志望の学校に入れる子はほんの一握りで、大多数の子は第二志望、第三志望、滑り止めの学校に通うことになり。たった12歳で「不合格」というレッテルをいくつか背負わされることになる子が沢山いるという現状が私は可哀そうでなりません。

自分の意志で『中学受験』の道を選択する子供がどのくらいの割合で存在するのか、明確な数字を知りたいものです。『中学受験』は私にはどうしても『親のための受験』にしか思えないんです。子供の本当の気持ちはどこかに置き去りにされてしまい、知識をただ詰め込むだけの辛く苦しい数年間を過ごすことになる子供たちが増えているということに対しては、日本の教育はどこか間違った方向に進んでやしないかと危惧してしまいます。

今回番組に出演していたGさん親子。今は互いに笑い合える関係性になっているけれど「親がレールを敷いてあげないと立派な大人になれないって大方の人はそう思っていると思う。」と発言したGさんの言葉は非常に重いと感じました。

自らがそういう考え方のもと、次男に対して相当な『教育虐待』を強いてきた過程があり、だからこそ「死ねなくてごめん。俺なんかが生きててごめん。」と不登校になった次男が口にした言葉を聞いてやっと自分が我が子に対して『教育虐待』をして追い詰めてきたということに気づいたという現実。ここまでの状況にならなければ『教育虐待』に気づけないということの恐ろしさ。

この親子はほんの一例に過ぎず、水面下では相当数の『教育虐待』が日常茶飯事で行われているはずです。「我が子のためにやってあげている」という想いや責任感がいつからか歪んだ熱情や固執に変貌してしまい、それはもはや『教育熱心』を通り越した『教育虐待』そのもの。宮根さんは二つは紙一重と言いましたが、まさにその差は神のみぞ知る、他人が立ち入れない聖域のようなものだと感じます。

昔、母親の敷いたレール通り公立の中高一貫校に入学し、その後勉強について行けなくってドロップアウトしてしまったある女の子がいました。その子の母親の言った一言を私は生涯決して忘れることはありません。

「この子は私の失敗作ですから」

お腹を痛めて産んだ我が子を一体何だと思っているんだ!と、その時は怒りや悲しみといった類の感情を通り越して、どう形容していいのか分からない感情が渦巻いていました。実の親から『失敗作』と言われたその子の気持ちを想うと泣けてきました。

子供は決して母親の持ち物ではありません。いい大学に行けば高価なブランド品のバッグ?いい大学に行かなければ安物のバッグ?我が子を値踏みするなんて、親のすることなんでしょうか?

その子の妹は、母親にとっての立派な『成功作』になりました。都立T山高校に入学し、現役でK応大学へ進学したそうです。『失敗作』と言われた子は、今は自らが母になりました。自分の母親と同じことを我が子にはしないで欲しいと願わずにはいられません。

人は自分がされたことを自分では決してしないと思っていても、つい母の背中を追いかけてしまう生き物だと思うからです。

大好きだった樹木希林さんの『一切なりゆき~樹木希林のことば~』という本の中にこんな名言がありました。

子供は飾りの材料にしないほうがいい

うちは父母ともに芸能界で問題を起こす路線をずっときてて(苦笑)、立派な家庭は築けなかったから、子供は読み書きソロバンできて友達がいればそれでいいやと思った。だけどいまの女の人って、子供を踏み台にしちゃうでしょう。子供も自分の飾りを満足させるナニカだと思ってる。だから人と比較して落ち込んだりするんであって、子供は飾りの材料にしない方がいい。

「一切なりゆき~樹木希林のことば~」

この言葉は実に本質を捉えた素敵な言葉だと思います。

他人に対して自分がどれだけ一生懸命親として頑張っているかをアピールするためとか、単なる見栄とか、そんなことで大切な子供を利用しないであげて欲しいと思います。子供と自分は別々の生き物であって、自分で選択したレールを歩いて行くのを静かに見守るのが親の役割だと私は思っています。

もちろん実際親になればそうはなれない危うさを私自身秘めていたからこそ、子供を産むという選択をしてこなかったのかもしれませんし、一筋縄ではいかない非常に難しい話だということも分かっているつもりです。

でも、もしも今自分が『教育虐待』をしてしまっているのでは?と不安に感じている親御さんがいるならば、相談できる機関もあるでしょうし、勇気を出して一歩踏み出すことも必要なのかもしれないと感じます。

いい大学を出ていい会社に就職することだけが全ての時代ではなくなりつつあると思うので、一人ひとりの子供たちの個性を活かした多角的な人生設計をしやすくなるような世の中になっていって欲しいと思います。

長い長い文章を最後まで読んで頂き、ありがとうございました。







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