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スペシャルドラマ『欽ちゃんのスミちゃん 〜萩本欽一を愛した女性〜』”愛のカタチ”は夫婦それぞれ

「24時間テレビ」の中で放送された単発スペシャルドラマ『欽ちゃんのスミちゃん 〜萩本欽一を愛した女性〜』。放送前から興味がありました。

欽ちゃんといえば「視聴率100%男」と言われた、日本を代表するコメディアン。

でも欽ちゃんの私生活はずっと謎のヴェールに包まれていて、これまで奥さんがどんな人だったのか、詳しく明かされることはなかったと思います。息子さんが三人もいたことも、全然知りませんでした。

欽ちゃんを知った頃はすでに大人気だったので、下積み時代があったことなど微塵もイメージできませんでした。

浅草にあった劇場で、スターになることを夢見ながら雑用をこなしていた駆け出し芸人の欽ちゃん。その欽ちゃんが心奪われていたのが、のちに欽ちゃんの奥さんになる踊り子のトップスター・畠山澄子さん。スミちゃん役の波留が、本当に美しかった!!

やっと舞台に立てるチャンスをもらったのに、欽ちゃんはセリフが出てこなかったり、上手くいかなかったり…。

「欽一、お前さ…辞めんなら早い方がいいぞ。ハッキリ言って、お前コメディアンにむかないと思う」

あの欽ちゃんが、先輩芸人にこんなことを言われていたなんて驚きでした。凹んでいた欽ちゃんは、仕事の後に一人黙々と舞台で練習するスミちゃんの姿を見て、落ち込んでいる暇はないと気持ちを奮い立たせました。

東八郎が欽ちゃんに目をかけてくれていたこともあり、先輩芸人が休んだ舞台の主役に突如抜擢された欽ちゃん。演技は下手くそで、先輩たちに助けられてばかり。でもお客さんからの拍手のきっかけを与えてくれたのは、他でもないスミちゃんでした。実はスミちゃんは欽ちゃんのファンで、密かに応援してくれていました。

劇場の芸人さんはある程度経験を積むと地方の旅回りをするのが決まりで、欽ちゃんもいよいよ旅立つことに。その送別会の席に、なんと憧れのスミちゃんが!

スミちゃんは別れ際、欽ちゃんに自分のしていたネックレスを渡し「お金に困ったら質屋に入れたらいいよ」と。実は欽ちゃんはこのネックレスを、今でもずっとお守り代わりに大切にしているのでした。

地方巡業から戻った欽ちゃんの家に、スミちゃんがたびたび訪れてはお味噌汁を作ってくれたり、殺風景な部屋に″ほおずき″の鉢を持って来てくれたり、一つひとつ家電を増やしてくれたり、なにかと世話を焼いてくれるようになりました。

「欽ちゃんは必ずスターになるから。なれる、欽ちゃんなら。必ず…」

初めは苦手だった坂上二郎から誘われ、一度だけの約束のコンビのつもりが大人気に。その後「コント55号」で一躍大スターに。スミちゃんの言葉の通りになりました。

劇場を久しぶりに訪れると、スミちゃんは踊り子を辞めていて行方知れず…。多忙になった欽ちゃんの心の支えは、スミちゃんからもらったあのネックレス。

スミちゃんが以前くれた”ほうずき”の鉢を思い出し、ほうずき市に行ってみるとそこにスミちゃんが!スミちゃんはもう住む世界が違うからと、身を引こうとしていたのでした。そんなスミちゃんに欽ちゃんは「好きだ」とやっと告白して、二人は付き合うことに。

欽ちゃんは仕事終わりにスミちゃんの家に通うようになりました。幸せな時間を過ごしていたけれど、ある週刊誌に二人のことがすっぱ抜かれてしまい、スミちゃんは再び欽ちゃんの前から姿を消してしまいます。欽ちゃんの子どもをお腹に宿したまま…。

そこから欽ちゃんは驚きの行動に出ます。引退覚悟で記者会見を開き「結婚しています。子どももいます」と、既成事実として報告してしまいました。スミちゃんにまだ結婚の許可ももらっていないのに。

スポンサーやテレビ局への事前の根回しなども必要だったし、スター芸能人として当時はご法度だったにもかかわらず、記者たちに温かく祝福されて無事に事なきを得ました。

その後実家にいたスミちゃんと再会して、二人は今度こそ本当に結婚しました。

そこから欽ちゃんの快進撃は続き、看板番組が次々と生まれ、「24時間テレビ」「仮装大賞」の司会などなど。どんどん多忙になる欽ちゃん。

欽ちゃんが神奈川県の山の中にある我が家に帰れるのは、ほんのわずかな時間だけ。一年に3回くらいしか帰れなかった年も。欽ちゃん自身が「夫としては最悪だね」と言っていましたが、正直スミちゃんはよくこんな結婚生活で耐えられたなーと感じました。子どもたちも、ずっと父親不在で寂しかったと思います。

年齢を重ねてからも茨城ゴールデンゴールズの監督、駒澤大学入学…欽ちゃんは自分のやりたいことをやりたい放題。

2016年スミちゃんに肺がんが見つかり、余命宣告されました。それでもスミちゃんは「はぁ…そうですか。頑張って闘います」と。この言葉からも、スミちゃんは心底強い人なんだと感じました。

スミちゃんが病気になって、結婚して初めて二人きりの時間をゆっくり過ごせるようになったことが皮肉ではありましたが、その時間はかけがえのないものになったと思います。

スミちゃんをお見舞いに行った欽ちゃんに「ありがとうね」「ホントにありがとうね」。欽ちゃんは、スミちゃんからの「ありがとう」が本当に嬉しかったみたいです。

スミちゃんが亡くなる直前、欽ちゃんが「僕もありがとうだった。スミちゃん、ありがとうね。ありがとう…」。

それを聴いたスミちゃんが欽ちゃんの手を握り返し、最期に言った言葉は「欽ちゃん、行ってらっしゃい」と。この「行ってらっしゃい」の意味を欽ちゃんは考えあぐねていましたが、その真意が判明します。

欽ちゃんのどこが好きなのかを妹に聞かれたときの言葉。

「私がず~っと欽ちゃんのファンだから。最初にファンになったのも私だし、最期までファンだったのも私。欽ちゃんが好きなことをしている姿が一番好きだから。どんどん外に出て活躍してほしいの」

これこそが、スミちゃんの本心だったんですね。スミちゃんは、自分自身が大ファンだった欽ちゃんがどんどん大スターになっていく姿を見ているのが幸せだったんでしょう。

自分は子どもたちをしっかり育てて家庭を守り、欽ちゃんにはやりたいことを好きなようにやってもらいたい…こういう”内助の功”もあるんだと学ばせてもらいました。

今でも欽ちゃんは毎月舞台に立ち続けているそうです。「行ってきます」とスミちゃんに声をかけて舞台に向かう欽ちゃん。寂しいけれど、スミちゃんが好きだった欽ちゃんとしてこれからもずっと生き続けていくんですね。

”愛のカタチ”や”夫婦のカタチ”は十人十色ですが、欽ちゃんとスミちゃん。二人にしか分からない絆が確かにそこにあって、二人が幸せならばそれでいいんですよね。

夫婦はこうでなければとかではなく、二人が最期の瞬間この人と結婚して幸せな人生だったとそれぞれ感じることができたなら、それが最高ですね。こういう愛し方も素敵です。

じんわりと感動が押し寄せてくるドラマ『欽ちゃんのスミちゃん 〜萩本欽一を愛した女性〜』。観ることができて良かったです。ほっこり愛を感じたい方にオススメします。

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