あの日、僕は「関口訓充のポスター」を壁から外した。
飛行機
関口が移籍したーーー。
2012年のオフ。当時の僕が「応援していた選手」だったベガルタ仙台の関口訓充は、浦和レッズへと移籍しました。
関口は、2010年、2011年ごろから、僕が本格的にベガルタ仙台の試合を観るようになるのとリンクするように、日本代表に選ばれ、サムライヘアーであの「雨の等々力」のピッチにも立ちました。若くやんちゃ全開なキャラらしく、右サイドをドリブルでガンガン攻めるスタイルがとても魅力的で、大好きな選手でした。
よく覚えているのは、2012年、第5節の磐田戦のゴール。そんなガンガンとタッチラインを駆け上がるだけじゃない、スコアメイクできる選手だと証明するようなゴールでした。
ゴール後、青いキャプテンマークを巻いた杜の都のドリブラーは、「飛行機ポーズ」のセレブレーションで、アップするサブのメンバーの方へ向かいながらサポーターと喜びを分かち合いました。
その時の姿のポスターを、たしか雑誌だかの付録についていて、買って部屋の壁に飾っていました。僕の部屋の壁には、ずっと、関口がゴールパフォーマンスの「飛行機ポーズ」をしていたわけです。
そんな2012年のオフ。彼は、移籍していきました。
その日を境に、僕は、関口のポスターを壁から外しました。
外したポスターの関口は、本人が移籍しても変わらず、「飛行機ポーズ」でゴールを喜んでいました。
関口ガガンガン
浦和レッズ、セレッソ大阪と経て、2018年春。
彼は、40番を背負って、ベガルタ仙台へと帰ってきました。
ビッグクラブや偉大な選手、指導者たちとの出会いが、彼を強く、大きく、そして落ち着いた選手にしていました。
2019年に、背番号が伝統の7番になっても、ドリブルで持ち上がっても簡単に仕掛けない、味方が上がる時間を稼ぐようなプレー、ゴール前での落ち着きなど、まさに「大人な選手」になって帰ってきました。もちろん、代名詞の韋駄天は健在。
そして、2019年の第16節東京戦。
ボックス内で、1vs1となった関口は、ボディフェイクで相手DFの重心をズラすと、ゴール右隅にコントロールショットを撃ち込みます。春先の失速で苦境に立つチームを救う先制ゴールでした。
その時です。
その時、関口は、あの日の、彼がキャプテンマークを巻いてやっていたのと同じように、サブメンバーに向かってあの「飛行機ポーズ」で駆けていきました。
外したポスターのなかで止まっていた時間が、
再び、
動き出す。
まるで、7年前のあの日の続きを見ているようでした。
7番
どんな場所にいても、どんな境遇であっても、変わるもの、変わらないものがあって、関口はそんなことをこの仙台という土地で体現している選手なのかもしれません。
僕も、昔と住む場所も環境も変わっていますが、今はブログという新しいスタイルでベガルタ仙台と関わっています。
昔は、学生だったのでお金の余裕もなかったですが、今は遠征に行けるぐらいには独り立ちしましたし、僕もまた、いろんなことが変わっていくなか、変わらずベガルタ仙台を応援しているなと感じます。
そして壁には、
7番。
関口のユニフォーム。
ポスターではなく、黄金と黒のユニフォームが飾られています。
幾多のゴールと、セレブレーションとともに。
あの日と変わらず、僕の部屋の壁を飾っています。
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