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楽しいと思う事を仕事にするには

世の中には色々な仕事があるけれど、たくさんの人が

つらい、楽しくない、やりがいがない、などネガティブな事を

思いながら、しかし仕事とはそういうものだと割り切って

頑張ってやっている人が多いように思う。

逆の視点で見れば、つらかったり大変な事を乗り切るために、

その対価として給料をもらっている、というように考えれば

ポジティヴな思考とも考えられるかもしれない。

ただ世の中には、楽しみながらお金を稼いでいる人も

少なからずいる事が事実だと私は思う。

何故なら自分もその一人にあたると思うからだ。

自分はニッチではあるが専門的な技術を持って作業をする仕事をしている。

元々は趣味でやっていた事を、今は生業として、10年程やってきた。

もちろんそれをやるにおいて、きつかったり大変な事ももちろんあるが、

全く興味のない仕事できつい、大変だと思うような事に比べれば

100倍マシであるし、その対価がお金だけではなく、

やりがいや、自分の自己実現にもつながるという側面がある。

これは総合的に考えて、その仕事を楽しんでいる、と言えるのでは

ないだろうか。

そして、そのような形態で仕事をしている人は、割と多くいるのではないか

思っている。

しかし不思議な事に、多くの場合は、まるでワンピースはきっとある、

くらいの感じで、そういった仕事が夢か幻かのように考えられている場合も

少なくないと思う。

これにはいくつか原因が考えられるが、

つらい、大変な行いこそが美徳であると考える人が少なくない事、また、

楽しい=遊び であるから、楽しいが仕事と繋がらない感覚の人が少なくない事、

など色々考えられるが、上記2つだけをとっても、例えばそういった思想のもとで

様々な権力、地位や発言権をもった人がコミュニティを形成した場合、

そのコミュニティに属する場合には、当然その思想に遵守する事になる。

昨今では、どうもだんだんと意識に変化を持つ人が多くなってきているようにも感じるが、

2020年の今、まだ多くの権力、地位、発言権を持っている人は

先ほどのような思想を持っている人が多いように思う。

つまりそれによって形成された社会であれば、それを遵守するような風潮ができあがるのは当然だ。

しかしこれはあと何十年かしたら次第に変わって行くのではないかと個人的には思う。

話を戻すが、はじめに言った楽しんで働くスタイルに関してだが、

例えばワンピースよりと比べれば、比較にならない程簡単に手に入るものではないかと思っている。

方法の1つ目は、自分が楽しいと思う事を見つけ、それを四六時中やり続けて、

スキルを磨く事だ。

いくら楽しいと言っても四六時中はできないよ〜という人は、それ以上に楽しい事を見つけた方がいいだろう。

楽しい事というのは、無理やり楽しいと思う事ではなく、それをやってはいけないような状況ですらその事を考えてしまう、というような、

誤解を恐れずにいうと、ある種、病気に近いようなものだと思っている。

もちろん病気といっても、つらくなる、苦しくなる、という意味ではなく、

それを考えただけで心の底からワクワクする、楽しくなる、といった

プラスの動悸が起こるようなものの事をさしている。

また、こういったものを見つける事は人によっては意外と難しかったりもする。

そう人は、とにかく積極的に色々な経験をしてみると良いのかもしれない。

早い人は本当に幼少の頃に見つけてしまうし、

学生時代や、大人になってからでも見つける事はできるかもしれない。

ただし、残念ながらせっかくその四六時中打ち込めるという、

本当に自分にとっての宝物=ワンピースのようなものを見つけたとしても、

それでお金を稼ぐまでには至らない人が割と少なくない事もまた事実である。

この事について、何人かを見て来た中で自分の中に今ある結論は、

自分のためだけにその宝物を抱え込んでいる

という事だ。

これはその宝物が魅力的であるが故の副作用とでも言えるものかと思うが、

割と少なくない人たちが、その宝物を磨き、遊び、四六時中それを

愛でる事に夢中になるあまり、その域を脱しないという事が見受けられるのだ。

端的にいうと、それは大いなる趣味である。

先に言っておくと、趣味をばかにするといった趣旨では全くない。

むしろ、大いなる趣味がある場合、それは人生を豊かにする事に大きく貢献すると

考えているし、とても素晴らしい事だと思う。

また、全く関係のない仕事をしながら、その趣味を楽しみ続ける、

といったライフスタイルを選択する事も、とても素晴らしいものだと思うし、

むしろ自分は、そういう事ができる人はよっぽど器用だと思っているし、尊敬もしている。

ただこれは今回の言いたい事の趣旨とは異なっているので、一旦置いておくとして、

ではそれをいかに仕事に変えていくか、という話だが、

2つ目の方法として、人のためにその磨いたスキルを使う

という事に尽きるのではいかと思う。

もっと言うと、

”まずはその発想を持つ”事だけでもとても重要だと思う。

先ほど宝物と称したものに関しては、すごい力を持っているので、

それを考えるだけで楽しいし、やり続けて、より違った魅力を発見して

さらにそれに取り込まれていく、といった好循環が常に行われるので、

自分だけでも十分それを満喫できるし、むしろ何年、何十年やっても

満喫しきれない、とも言えるのである。

だから基本的には他人がどうのとかという発想がうまれる余地は

あまりないのだが、

しかしながら明らかに他の人に比べ、その分野において時間をかけ

スキルを形成しているのであれば、

誰か自分以外の人のために

そのスキルが活用できる可能性が少なからずあるのである。

つまりその発想に至り、スキルを他人のためにどう活かせるのかを

考える事こそが、

楽しんで仕事をする、という事への海路なのである。

これは何がその人にとっての宝物になるかによって

そこに至る経路の難易度には大きく差がうまれるとは思うのだが、

元より人の役に立つような事がそれに当たるのであれば、

それをやりがいのある仕事へと変える事はそう難しくないと思う。

しかし、例えば

空き缶けりをするのが、何をする事よりも好きだし、考えるだけでワクワクする、

といったようなかなり偏ったものがそれだった場合、とても難しいと考えるだろう。

しかし、ここで考えるべきは、いかに自分以外の人間を多く巻き込む事ができるか、という事だ。

例えば空き缶けりが好きであれば、同じように空き缶けりが好きな人を

探す事から始めてもいいだろう。

広い世の中だから、ただ思い切り探すだけでも10人くらいは集まるような気もする。

10人集まればそこから魅力を発信していって、15人、20人、と増やす事も

難しいかもしれないが、それはそれでやりがいを感じるような事もあるだろう。

また、単純に探して集めるだけではなく、

せっかくなので、空き缶けりをやり続けた事で見えてきた他人には無い視点で、

様々な工夫を凝らす事も大切だろう。

例えば、空き缶のデザイン。

これを市販のものではなく、かっこいいデザインのも作って、

ただの子供の遊び、というイメージから、洒落た大人の遊び、というような

イメージに変えてしまう。

また、競技においてルールに工夫を凝らして、競技性を高めてしまう事もいいだろう。

例えばけん玉のような技によってポイントを加算していく形式なのか、

もしくは3VS3のチーム制でゴールなどを用意して、サッカーのような

対戦形式にするのか、

いずれにせよ、より自分以外の多くの人がそれに魅力を感じるような事に

工夫を凝らしていく。

こういった作業が好きな人は楽しいと思うかもしれないが、そうでない人はつらかったり大変と思うかもしれない。

しかし、人が多く集まり、コミュニティが形成されていくという事は、

そこに経済圏を発生させられる可能性があるという事だ。

つまり、どう考えても仕事に繋がらないような空き缶けりを、

頑張ればそれを仕事として、かつ、ずっとその事だけを考えて生活していく事が

できると考えれば、その作業のつらさや大変さも込みで、楽しんで頑張れるのでは

ないだろうか。

空き缶けりは本当に極端な例ではあるが、

それぞれが心の底からワクワクする、楽しい、と思える事は千差万別だと思う。

そして、それをいかように仕事として成り立たせるには新たなハードルはうまれると思う。

しかし、心の底からワクワクする、楽しい、と思える事には

行動力ややりがいなど、あらゆるモチベーションを支える大きなエネルギーにも

なるはずだ。

楽しい事を見つけ、それを自分以外の誰かのためという発想を持ち

仕事に変えていく事ができれば、

きっと誰もが楽しみながら働き、生活をするという事ができるのではないだろうか。







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