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死は身近 隣り合わせ

先日、フィリピンのセブ島から、チャーター機を使ってマニラへ行き、トランジットでマニラ→日本に帰国しました。今のセブ島は、ロックダウン、失業、食糧不足、などにより治安が悪化しています。日本人が銃を突きつけられて金取られたなんてニュースを見たり。。。

僕は空港に直談判し、帰国しましたが、もし帰れてなかったら生きていけてるかわからないです。

そして今日、コロナと全く関係なく事件が起こりました。

マニラ→東京の飛行機が墜落しました。全員死亡とのこと。

3日ずれてれば、死んでいました。

自分が死んでいたかもしれないという事実。

いつどこで死ぬかなんてわからない。明日死ぬかもしれない。なんてよくあるセリフだけど、それが今自分と隣り合わせになっている。

死ぬのは怖いかというと、実際怖くはない。というのも、これは剥奪論というものがある。剥奪論とは、本当は長生きできていれば、この先もっと幸せな楽しいことがたくさんあるのに、”死”によってそれが奪われてしまうのが怖い=死ぬのが怖いということである。実際、『もう少しで死ぬわ〜ギャはははは』っていってるおじいちゃんおばあちゃんって、そんな感じですよね笑

つまり、やりたいこと片っ端からやって、もうやることない領域まで達した時、人は死が怖くなくなる。ってのが俺の死に対する捉え方です。

けど、甘かった。

アメリカ横断を半年後にやって、世界一周を来年やって、その後恋愛をして家族を作って、最愛の誰かを世界一の幸せ者にしてあげて、、、って絶対何年もかかるやん。

明日死んだらどうするんや。何もバケットリスト達成できないで死ぬやん。

結局どうすればええんや?????

俺が出した結論は、今日、今この瞬間を本気で生きる。

やることリストなんか、やれなかったら後悔して終わり。

だから今この瞬間を本気で生きる。生き続けるんだ。

次の瞬間死んでも、後悔しなくて済むように。

じゃあ本気で生きるってなんだ?

そんなのわからないけど、スマホ見ながら、なんかやることないかな〜とか、グータラyou tubeみたりとか、それが本気でこの瞬間を生きれてるわけがない。

後悔しない生き方って、多分こーゆーことなんじゃないかな

考えを改めました。

本気でこの一瞬を生きます。

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