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挑戦できなくなった私が挑戦を書く

 大学院修士2年の秋、私はドロップアウトした。
 修論に向けてもっと研究を頑張るはずだった。そのまま修論を書いて提出して発表して、卒業したら内定の出た企業に入社して社会人になる予定だった。

 ご飯が食べれなくなった。食べても戻した。1日中起き上がれないかと思えば、寝られなくて延々と何かしていないと気がすまなかった。何かやってると涙が出てきた。何度も昇り降りして慣れていたはずのアパートの外階段で躓いた。キャンパス内で歩いていると車道にふらっと出てしまいそうになった。頑張れなくなったことが体に顕れて、限界だった。研究室を休み、悪友を頼ってしばらく居候させてもらっていた。

 心の痛みを治すものではないと分かっていたのに、鎮痛剤を大量に飲んだ。自分に物理的な痛みが返ってきて苦しんだ。痛みは、みんなが頑張っているのにお前だけ逃げた罰、そう思った。このまま苦しんで、呆れられて、誰からも見捨てられて、野垂れ死にすればいい、そう思っていた。

 どん底だったはずなのに、幸か不幸か私は生きている。そしてあの季節からほぼ1年が経った。結局実家に戻って、指導教官や病院の先生とも話して、来年の3月まで休学をすることになった。
 理系大学院生なんてそんなの当たり前。社会に出たらもっとつらいことがある。逃げるな、甘えるな。そんな言葉が聞こえてきそうなことをした自覚はある。どうやってでも耐えていれば違った今があったのかもしれない、それは自分が一番分かっている。

 今だからどうとでも言えるのかもしれないが、そのときは自分にとってもうどうにもできないとしか思えなかった。元々メンタルが崩れると体にすぐ出やすい方ではあった。でも、苦手を承知で運動部に所属してきたことや、理系を選択してきて、それなりに『挑戦』してきて踏ん張りが効く自負はあった。けれど、そんな自負は自己満足でしかなかった。自分を作り上げてきたものはガラガラと崩れた。

 人生の答え合わせに失敗をしてしまったような気持ちで数か月を過ごした。抜け殻のように「一応生きている」ような生活は、挑戦とは縁がなくなった。でも、そんな自分にも何も残されていなかったわけではなかった。
 ずっと書きたかったストーリーを書こう。形にしたいと思っていながらも、頭の中にあるだけだった話を。そう思いたってパソコンを開いた。

 登場人物たちはみんな輝いている。高校生という時間を謳歌して、目標に向かって努力している。頑張ることを恐れていた登場人物も、自分の気持ちと向き合って挑戦する決意を固める。
 創作と現実は違う、作品と作者は違う。普段本を読むときもそう思いながら読んでいた。なのにいざ自分が、前へ進み挑戦する登場人物たちを描いていると、自分が情けなく感じてしまった。何もできない、結局は何もない自分がそんなものを書いていいのか。登場人物はこんなに頑張っているのに、自分はどうしてこんな人間なのか。そんなことを考えてしまった。

 けれど、これはある意味で私の『挑戦』なのだと思いながら書いている。『挑戦』なんて大それたものではない挑戦未満のアクションだけど。
 おかげさまで細々とながら読者はついており、「起」の「転」くらいまでストーリーは進んでいる。部活の話なので、もちろん部活中心に話は進める。けれど、高校生なので避けて通れない進路の話も、そして競技を通した人生観も織り込んでいきたいと思っている。皮肉なことに、今の自分だから見える景色があって、だからこそ動き出す話があると思っている。

 登場人物たちは部活そして高校生活を通して『挑戦』していく。壁にぶつかりながらも、悩み、進んでいく。今の私は彼女たちのようには進めないけれど、彼女たちが前に進んでいくように、私も少しずつ自分と向き合って生きていきたい。読んでくれた誰かが何かを感じとれる作品にしていきたい。そして、この『真剣少女』を完成させたい。それが、挑戦できなくなってしまった私の『挑戦』未満の挑戦だ。

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