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適当でいいから、私の話を聞いて

私は幼い時、1〜10まで話したいタイプの子どもでした。
保育園で遊んだこと、お友達とのこと、小学校で勉強したこと、給食のこと、宿題のこと、先生のこと・・・その日のうちに全部話していました。

幼少期のはなし

中学2年生まで母子家庭一人っ子で育った私は、母と過ごせる時間が限られていました。
・まだ4歳くらいの頃に早朝4時頃起こされ、眠たいまま ぼーっと車に乗ったら、友人宅に着いて預けられ「ちゃんと言うこと聞くの、せなちゃんは分かってるよね?」と言われたこと。
・学童に迎えに来るのは、ママじゃないひと(よく面倒みてくれる大人の方たちや友達の親)。優しいひとばかりだったから、友達や先生からは「いいねぇ〜!」って言われたけど、私はママがお迎えに来てくれる子が羨ましかったこと。
などなどを覚えています。
当時私の住んでいた地域では、 片親しかいない子どもは、学年に1人いるかな?くらいの珍しさだったと思います。同じクラスにいたことはありませんでした。

学校 → 学童 → 友人宅などで預かってもらう → 家 → 夕食 → 入浴など → 就寝
というような毎日で、母はお仕事、私は学校+2つ習い事をしていて、母と一緒に週2〜3日は教会にも行っていたので、母とゆっくり話せるのは、どこかへ「行く車の中」or「帰る車の中」でした。

そんな毎日でも、母が私と過ごす時間を取ろうとしてくれていたことを小学2年生の頃までは覚えています。(それ以降は、なぜ?という事が多すぎて分からないのですが...)
話してくれて、聞いてくれて、幼少期の私にとっては一番の理解者だと感じていました。

朝早くから遅くまで、時には土曜日も働いてくれているのは、私のためだから、大好きなママのために 私も頑張らなきゃ我慢しなきゃ困らせないようにしよう。って常に思っていたと思います。

成長して色んなことが話せるようになって、限られた時間の中でも、ママに聞いて欲しかった私は「ちょっと黙って!うるさい!疲れるから静かにして!」と言われることが増えました。3年生で転校をした頃には話して数分で怒られるようになりました。4回目の引越しをし、転校でいじめられていた事もあって、今から思うと 不安だから、聞いて欲しい話したい が強かったのだと思います。

話したい、聞いて欲しい。でも怒られたくない。
怒らせたら機嫌を損ねてしまう。雰囲気が怖くなる。
もしかしたら夕食が無いかもしれない。ママと作るの好きなのに。
もしかしたら一緒の部屋に居れないかもしれない。(同じ部屋で寝てたので)また台所の硬い狭い長椅子で寝なきゃいけないかもしれない。
もしかしたらママが出て行ってしまうかもしれない。だってあの時・・・
(長くなるので今回は省略します...)

子どもの私が考えたこと

だから私は考えました。
ママを怒らせずに聞いてもらえる方法を。

「せなは話すけど、ママは 適当に『うんうん』 とか言うだけでいいから、聞いてくれる?それだけで、いいから。それで大丈夫だから。」

ママが運転する車の助手席で、そう伝えた事、ママが「うん」とだけ言ったことを、今でも覚えています。

それから私は、ママからの返事 を期待しないことにしました。
「うんうん」その返事があるだけで、私は充分だと思うことにしました。
話したばかりのことを聞かれても、まだ言ってなかったかのように話しました。急に話が変わっても、その話に合わせるように頑張りました。

だって・・・ママは忙しいから。ママが忙しいのは私を育てるためだから。私のせいでママは余裕が無いから、私の話なんて聞けないの。私の話なんて聞く価値ないもんね。私のせいでごめんなさい。

そして、私は ”話を聞いてもらえない” その程度の存在なのだと、思ったのだと思います。
それは、私の自己肯定感が下がる、大きな出来事の1つでした。


話を聞いてもらえるという ”奇跡”

ここ数年と、特に最近、思うことがあります。

私の話を否定せず聞いてくれて、話してもらえるというのは、私にとって”奇跡”のような事なんだなぁと。

だから話を聞いてもらうと、私は瞬間の幸せを感じるし、自分の存在を少し認めてもらえたと感じます。”奇跡”ってあるんだって思います。

でも、”奇跡” は頻繁に起こることじゃないと 私は思っています。
と、いうことは、この ”奇跡” は終わるのかもしれない。
いろんな人に話を聞いてもらって、相手の話も聞ける、その楽しさや嬉しさを知ってしまった私は、”奇跡” が終わることを耐えられない。
かといって、この ”奇跡” が ”普通” になるとは考えられない。

・・・どうしよう...。

幸せな ”奇跡” の時間が終わる前に、終わらせてしまいたい。
そう願う私がいます。私の中ではそれが当然になりつつあります。



---Stay---Continuation--→

9/17
このnoteは、ここまでにしておこうと思います。
隠すこともない正直なきもちですが、明日になれば...別の思いが浮かぶかもしれない。その時はまた、このnoteの続きを書こうと思います。

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10/17
下書きを見ながら、どのnoteを書こうかなと考えていたら、このnoteのタイトルに目が止まりました。本当に偶然ですが、ちょうど一ヶ月前に書いたnoteですね・・・今日は続きを書いてみようと思います。

あれから・・・

9/17までのnoteで書いた事を、よく話を聞いてもらっている方に話してみました。私「話を聞いてもらえることは”奇跡”で、それは頻繁に起こることじゃないし、終わるかもしれない。それに私は ”話を聞いてもらえない” その程度の存在だと思ってます。」

その方は「今せなさんの話聞いてるから・・・なんかそれを聞くと悲しくなるなぁ」(というようなこと)を言ってくれました。

考えていること

もしかしたら・・・
話を聞いてもらえることは”奇跡” ということは少し違うのかも。
それは、相手の立場(職業など)や関係性によって変わるのかもしれない。

もしかしたら・・・
私が、”話を聞いてもらえない” その程度の存在 という認識が違うのかも。
確かにママは話を聞いてくれなかった。でもそれは私の価値が下がることなのだろうか。確かに その時から、その程度の存在 だと自分のことを思うようになったけど、それは正しい自己理解では無いのかもしれない。

子供の私に見えていた世界と、大人になった私が見ている世界は違うのは確かで、それには良い面も悪い面もあるけれど、だからこそ過去の自分に持っていた認識を、今は変える必要があるのかもしれない。


自己肯定感と自己否定感

大きくマイナスになった自己肯定感は、何をしたらプラスになるのだろう。
それは成功体験( +)かもしれない。その為には安心感が必要。
でも自己否定感(−)が強いと、その成功体験( +)すら否定してしまう。

これは数値で表せるものでは無いと思います。
でも例えば自己肯定感が大きくマイナスの人(あえて数字は出さないでおきますね)が何かに挑戦して、成功体験で+3、自己否定感で−2、つまり結果+1だったとしたら... 成功しない可能性も考えると、果てしない道のりだと考えました。私にとって、それは辛すぎると感じました。

でも、周りのひとの助けがあればどうだろう?
自己否定をしすぎない手助けや、安心感によって次の挑戦が出来れば?
長い道のりには変わりなくても、挑戦し続ける事が出来るのかもしれないと思いました。そして、気づいたら自己肯定感が積み上がっているのかもしれないと。
・・・そんなことを考えてみました。

助け、自己否定感を減らす、自己否定をしすぎない手助け、安心感って何だろう? ゆっくり考えてみたくなったので、また別のnoteで書こうと思います。

光は見えないけれど・・・

目次: 話を聞いてもらえるという”奇跡” の中で書いた、
「幸せな ”奇跡” の時間が終わる前に、終わらせてしまいたい。
そう願う私がいます。私の中ではそれが当然になりつつあります。」

この思いはまだ消えないし、簡単に消えないのだろうと思います。

光は見えないし、見えたとしても気力が無い、そんな毎日が続いています。
悲しい時間稼ぎをしよう ←の note で書いた思いも消えてはいません。

1ヶ月前の時点では途中で書くのを中断し、それからも気になりつつ・・・正直、数時間前までは このnoteを書き上げられる自信はありませんでした。

でも今日、考えをまとめつつ書き上げることが出来ました。
ほんの少し...前に進めた気がしました。それは この一瞬だけかもしれない、でも私は書き上げられたことが嬉しいです。


長文になってしまいました・・・
ここまで読んでくださってありがとうございます。

今日は、楽しいことが1つ、嬉しいことが1つ、優しく出来たことが1つあったので、それを次のnoteに出来たらなぁと思っています。
Sena.☕


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