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消費と妥協、命が届かない憧れ。

子供の頃から憧れていたことがある。
本の感想を書いてまとめたい。読書感想文みたいなものじゃなくて、例えばA4一枚でイラストと文章で表すようなもの。

10代から憧れていたことがある。
行ったお店や場所、参加したイベントやライブをまとめたい。チケットや写真をコラージュして。

挑戦したけど出来ていない それを考えて、「消費と妥協だ」と思った。素敵でしょうと。

消費するものと

私にとって、読書は消費なのだと思った。どうして”消費” という言葉が浮かんだのかと考えて、”食事” と似ている気がした。
私にとって食事は楽しい時もあれば必要なだけという時もあるし、食べてみると美味しい時もあれば、途中で疲れてしまうこともある。こだわりの味もあれば、変化が楽しい味もある。

読書も同じ気がした。
子供の時から大切にしている物語もあれば、シリーズもので新作を待っている作品もあるし、最近お気に入りの本もある。本棚を眺めると これ読んだっけ?という本もあるけど、読み返すと(もう一度読んで良かった)と思う本もある。

そうやって本を消費する私に「それでいいの?感想とかまとめないの?」と何度も聞いているのだけど、私は「早く次の本が読みたいの。」と返す。

それを改めて認識して「私は消費していこう」と思った。憧れは憧れのままでいい。

妥協することと

印象的だった場所を文字やイラストで残すこと、参加したイベントのチケットや写真をコラージュすること。憧れていても出来ない現実があって、数年前、1年ごとにファイルを作ればいいんだ!と思いついた。

そのクリアファイルには色々なものが入っている。美味しかったカフェのロゴ入りナプキン、楽しかったライブのチラシ、感動した映画の半券、展示会の特典などなど。一つのイベントで沢山持ち帰ることもあるから、ファイルが膨らんでいることもあって、それを取り出して見るのは楽しい。加工をしていないから、パンフレットも大きめのナプキンもそのままの形で入っていて、過去の私からお土産をもらったような気持ちになった。

しないものとしないこと

消費するのも妥協するのも、”必要だから” という理由だけじゃなくて、なにか別の意味でいいな と思った。あえて言うなら「私みたいでいいな」って。

そして、消費しないものと妥協しないことを考えた。
まず浮かんだのが友達。それから目標のための努力、休むための工夫。他にも色々ある気がする。

全部を完璧にしたい私は、120%で良いのか、いや200%で足りてるのか、どこまでやれば満足して「完璧!」と私に言えるのか分からなくなる。届かない理想と憧れに息が出来なくなる。でも、たぶん完璧はずっと届かない。完璧に届くためには命が足りない。

命が足りない を考えたこと。

いつからか私は時々「命が足りないじゃないか」と考えている。健康寿命の2070年までに、私がやるべきこととしている目標を実現するには、時間があまりに少なすぎて。考え過ぎと言われたらそれまでだけど、私は考えていたいし、考えた先にステップが見えてくるのだと信じている。

そう信じる私にとって、消費する妥協する というのは難しいことだったのだけれど。”私みたいでいいな” と思ったのは自然なことで、 納得が出来た。

消費して妥協して感じたことがあって、だから次の本が読めて行きたい場所を探せて、妥協しないことも大切に出来る。

こうやってnoteを書くことも、何のためだろうと思うこれも、私が必要だからと言える。


考えることは大切なことで、でも上手にしないと沼に溺れることで、だから 考えるための場所を作りたいなと考えてる。
答えがない問い、君が見つけた答え、いつか私にも聞かせて。

Sena.
(大切にしている物語、「かがみの孤城」来月劇場アニメ公開です…!「私たちは助け合える」劇場で会おうね…っ。)

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