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サーフ ブンガク カマクラ、あるいは江ノ電のこと

初めて江ノ電に乗った。海沿いの街があった。
あの車両が街を通り抜けているだけで、そこに物語が始まるような気がしてしまうから、なんとなくずるいと思ってしまった。

そこで、コンテクストから遊離した意味というよりかは、データベースを折りたたんだ消費なんだな、と表象について改めて思った。

サーフ ブンガク カマクラを再生する。

藤沢ルーザー。この曲のロケーションだけ明確に江ノ電ではない。『三番線のホーム』が存在するのは、小田急かJR。
なるほど、藤沢の…「猥」とまではいわないが、「雑」さ。地元にそっくりだ。日常がだんご状になっている。

『割とよくある日々のすれ違いを 他人のせいにして拗ねる 心揺れる』

アジカンの歌詞は本当に弱い魔法だなと思う。9年くらいたってこの歌詞が、ささくれに滲みるように感じられる。

江ノ電のイントネーション、「の」にアクセントがあるのをアナウンスで知る。フラットなイントネーションだと思っていた(例としては「ポケモン」だと思っていたのだが「スズラン」だった…わかりにくいか)。

鵠沼サーフ。乗る前に藤沢ルーザーを再生してしまったので、少し間が出来てしまった。藤沢ルーザーの「日常」の雑さを少し引き継いだ曲の雰囲気。

藤沢から江ノ島までは街中を抜ける。街中というより、連なった住宅のすきまを。
でも、それは海に繋がっている。車窓と隘路の角度が一致するとき、一瞬ではあるけれど海までの道のりが見える。あの下り坂の向こうには海がある。

「どこかに辿り着く」街。

下車、江ノ島。江ノ島エスカーからは急に情動が青くなる。チープなラブストーリーの曲だ。もちろんいい意味で。
そういえば「しらすソフトクリーム」というのが江ノ島で売られていたのだけれど、遠くの海のうえに浮かぶ積乱雲と潮風でなんとなく納得してしまった。この大気の味なんだろうな。

エスカーには乗らなかった。軽度の高所+閉所恐怖症(合併していないと発症しない)で、長いエスカレーターが嫌いなのだ。

腰越。時折差し込む木漏れ日、小さいカーブを数回。

住宅街の隘路がいい加減窮屈になってきた頃、まばたきというシャッターを切った一瞬で、

車窓が海と空に染まっていた。

ドローンが空中で鳥瞰するように、視界は前にも後ろにも広がった気がした。江ノ電という路線の風景が、その一瞬で俯瞰的に理解できた。

水平線が車窓に一本線を引いている、それはなんらかの抽象画のようだった。

鎌倉高校前。こんな場所で高校生活を過ごせたら、と考える。潮風、向こうに海の見える駅。制服の少女が立っているだけで、「何か」にたどり着いた気になってしまう。彼らの生の現実を、なにひとつ知らないのに。
腰越クライベイビーは鎌倉高校前までもつれ込んだが、なるほど、これは高校生に向けた歌なのかもしれない。

自分の住む街の話をする。

何処まで行っても大体同じような住宅街が立ち並び、平坦な地形が「のっぺり感」を助長する。

「ベッドタウン」と言えば聞こえはいいが、それはつまりエリアの…というよりかはリージョンの情報が概ね均一だということだ。どこにいても同じ。ロケーションは住宅と住宅と住宅と住宅とコンビニでできている。

この街に大きな高低差は無い。あるにはあるが、それは谷だ。川の名残の谷間に、それなりに広めの道路が通っているだけ。

つまり、「街を見渡せるあの丘」がないのだ。

だから、散歩はつまらない。見慣れた風景だからという理由は当然あるが、そもそもその風景自体に楽しみが無いのだ。「辿り着く先」も、せいぜいブックオフが関の山。

車窓が映す風景だって変わらない。移動しているのかどうかすらわからない、そんな錯覚に陥ることがある。目に入る情報が均一ならば、移動による疲労感だけが存在する。

散歩すればするほど息苦しい街。

だから、江ノ電沿線の「この坂を下れば、あの海に辿り着ける」といった「どこかに辿り着ける」性に、自分との距離感と、そして憧れを覚えてしまったのだ。

旅行者の無責任さ、だ。しかしある程度無責任でなければ、旅行は楽しめないだろう。

七里ヶ浜スカイウォーク。海が見える区間もそろそろ終わる。

稲村ヶ崎ジェーンの、底抜けの明るさが好き。学生がバカしている感じ。アルバムの曲順も好きで、海を漂うような、空を眺めるような静かな時間を切り裂く感じが良い。

極楽寺ハートブレイク。『海風が路地をすり抜け』て、少し日常を帯びるのだろう。七里ヶ浜以降、鎌倉までは「木々と高低差のある街」がたち現れる。きっと「街を見渡せるあの場所」も、どこかにある…のかな。

下車、長谷サンズ。長谷サンズは藍色と夕陽の時刻に浜辺で聞くのが良いのだろうが、自分は真逆の方向にある鎌倉大仏に向かっていった。見るのは初めてで、期待値を下げすぎたせいか普通に楽しめた。
裏側というか背中にはバーニアがついていた。

窓です。

由比ヶ浜カイト。気だるげ、無理に流し込むアルコール…やりきれなさの曲だ。合わせてビールでも飲もうかと思ったけど、飲まない日だったのでやめた。

曲中のビールは多分、エールビールだろう。柑橘類の類の、グレープフルーツのような苦味。

鎌倉グッドバイ、『さようなら旅の人』。車止めのカエルがかわいい。ここからJRで帰るのがエモいんだろうけれど、それだとフリーパスのもとが取れないので藤沢まで折り返した。

…行動がエモくない? でもこれでいいよ。

エモさでは終われない。だって日常に帰らなきゃいけない。

ここで帰ってしまったら、抱えたエモと地元の空気感で自我が対消滅してしまいそうだった。だから、藤沢の雰囲気という免疫を得て帰宅する必要があった。

だんご状になった、もみくちゃの日常にかえる。藤沢ルーザーのルーザーは、まさに万人が抱える劣等感を歌い上げるもの、なのだろう。

江ノ電、「どこかに行ける」、そんな空気を感じとった。

だけれど、何処にでも行けたとしても、いつかはどこかに帰ることになるから。

帰ろう、自分の街へ。

「帰ろう」だとなんだか気取りすぎだ。

帰るかぁ~~~~。

『三番線のホームから今 手を振るよ』

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