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自分を下げるというエゴ

自分を下げるという事はとってもエゴだという事に気付いた。

目の前にいる相手に「わたしはあなたより下です」「攻撃しないでください」「優しくしてください」「なんならかまってください」って、相手をコントロールしようとするヴァイブス。
それって相手も自分気持ちのいいものかな?

自分の目の前にいる人は、いたくている。
水面上でどう見えても、とにかくそうなのだ。

それならそれだけでいいじゃない。

それに、へりくだらないといられない相手といたいのかい?
相手を自分がへりくだらないといけない相手と思ってるのかい?
もしかしてそれも、相手をみくびってないかな?

ぐだぐだ言ったけど、ありのままの自分が気持ちよくいる相手とだけいる。
これってとっても豊かじゃない?

でも
社会では、、、
会社では、、、
権力ある人の前では、、、


って、もちろん相手へのリスペクトはどこにいても大事。
それはだれ相手にも。

誰が目の前にいるかじゃなくて、自分の在り方こそが大事なんだ。

そこから世界はいくらでも変わっていく。
変えられる。


でもさ、この自分を下に置く処世術というやつも、元を辿れば自分を守る為だったと思えば責めたり、そんな自分を卑下する事はまったくないよね。

今までがんばってくれてありがとう。
さようなら。

もしくは一緒に生まれ変わろうよ。

って。



これはリトリート中に言われた

「すみません」禁止令!!


から紐付いて来たもの。

今手繰り寄せられた。

ついつい無意識に使っている
お店の人への「すみません」
タクシーの運転手さんへの「すみません」
いっぱいある事に気がついた。

特にその「すみません」達に意味はなく、便利だから使っていた。

でも、そんな無意識な中にも紐づいていた思考だなって気付いた。

お店の人には

「お聞きしてもいいですか?」
「お願いします」

と言うようにした。

その方が店員さんも気持ち良さそうに答えてくれる気がする。
自分のマインドがそうだからって言うのも大きいと思うけど。

王様は自分を決して下げたりなんかしない。

へりくだる王様になんかなりたくない。

そして誰もがみんな王様なんだから。

そんな世界はナンセンスだ。

#QUANTA #別府リトリート #思考 #マインド #在り方

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