5/8 mon [art writing: 言葉で描く]
美術への造詣が深く、数多くのアート小説を手掛ける作家・原田マハによる短編小説集「常設展示室」より、ヨハネス・フェルメールの作品【真珠の耳飾りの女】を描写した一文である。作家デビューに至るまで、大学の文学部を卒業後、大手商社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館勤務を経て、キュレーターからカルチャーライターという経歴を持つ彼女の著書は、物語はフィクションでありながらも、実在する美術作品が、美しい文体によって非常に繊細に記されている。
先ほどの文章のあとは、次のように続く。
展示室に浮かび上がるもう一枚の絵に光が当たった瞬間が見事に表現されている。絵の描写だけでなく、その空間に自分が立っているかのように思う。やはり文学とはひとつの芸術であり、言葉と色彩、音や空間、すべてのものがそこに詰まっている。
アートライティングとは何か。美術評論、芸術作品の記録、作家の評伝、インタビュー、図録の解説、作品キャプション等を含む、アートに関わる記述の全てをそう呼ぶことができる。書くことによって芸術に一定の意味をつけ、理もれた意味を掘り起こし知ってもらう。印象や感想を書きつらねるのではなく、目的や意図をはっきりさせてそれにふさわしい書き方で記述・編集することが求められる。
有形・無形すべてのものづくり…絵画、演劇、映画、音楽。様々な文化とどう関わっていくか。ただそこにあるものに意味を持たせる。時代が過ぎゆく中で忘れられていく儚いもの、今あるものも放っておけば、意味は流れ、消えていく。それを掘りおこして伝えていくことがアートライティングだ。
では言葉でモノを再現できるのか?一体化することはできないし、限界がある。同じにはならない。ただ、意味を書き出し、解きほぐし、言葉をつくすことで、歩み寄り接近することはできる。
全ての人間が必ずしも五感を満足に使えるわけではない。目が見えない、耳が聴こえない、歩くのが困難な人もいれば、精神的な病で感じる力を失っている人もいる。芸術作品の素晴らしさが、そのものだけでは受け手に届きづらいとき、言葉の力はとても重要である。まず体で感じるものだが、思考や感情は無視できない。芸術を頭や心で感じた時、多少なりとも言葉は生まれるものだ。ただ、それを言葉で上手く伝えられないからこそ芸術が生まれるわけで、だからこそ、そのもどかしさを抱える芸術家達が生み出した作品達は、なんとも愛おしい。
また、第六感というのも、不思議と存在している気がしてならないのは、言葉の力によるものだ。科学的には根拠がないものだが、言葉によって人々に伝えられ《目に見えない力》が、あたかも本当にあるのではないかと感じさせる。その言葉の力というものが、のちに宗教や政治において、実体として確認できないものを崇拝したり信仰したりと、人間の心理に深く関わっている理由のひとつなのではないだろうか。言葉はツールであり、時にはそれ自体がアートであり、真理であるとも言える。
作り手により生まれた作品は、受け手がいて初めて芸術となる。私達も、生まれたばかりの瞬間は皆同じただの人間で、名前を授かった時から初めて個人の人生が始まる。芸術も生を受けて、他者から言葉を授かる時、もっとも色濃く、彩られていくように思う。
参考文献「アートとしての論述入門」藝術学舎
:・❇︎ Thank you for reading ❇︎・: 最後まで読んでくれてありがとう