見出し画像

食育って大事だよね

食育って大事だよなとこの頃(ここ数か月)思うようになりました。

食育とは食事の質の下限を決めることなのではないだろうか。
私は今大学2年生で一人暮らしをしているのだけれど、その食生活はなかなかにオワっている。
大学入学時からすでに、味噌汁用の味噌玉を作っていた。普通のお味噌汁は一回しか作っていないはず。

これ。

フライパンは一回も使わずにハミガキ置き場になっている。

洗い物が本当にいやで、電子レンジしか使わない。ピーマンを皿に入れて、適当に味をつけて、レンジでチン。こんなのでも私の中ではまだまともな方。
包丁も使いたくないから、ちぎれるものはちぎる。人間の手ってすごいよ。人参も素手でへし折れる。
それかまるかじり。
丸ごといける野菜しか買わない。トマトとかピーマンとか。ピーマン丸ごと食べるって言ったら引かれたけど。
2年前期は総菜を買うことも増えてきたけど、こんな風に下宿先で作った限界飯を我慢して食べている。何とは言わないけど大学生系YouTuberのレジスタンスさんがやっていたグロ飯募集企画に出したら優勝できる自信がある。

当初茶碗と箸はかろうじて洗っていたのだけれど、今は割り箸と使い捨ての容器。ついに今日紙皿を買ってきてしまった。栄養ゼリーも6個まとめ買いで買ってきた(この個数だと割引されるのだけれど、一線を越えそうで自主規制していた)。

食事をするのもおっくうで、気づいたら朝食が昼食に、昼食が夕食に、夕食が夜食になってたりする。

別に料理ができないほうではないのだ。と自分では思っている。こないだ帰省した時はかなり料理をさせられた。三食分作った日もざらにあったはず。それが当たり前っていう同世代の人も普通にいるとは思うけど、下宿先でフライパンを一度も使わない人はこんなこと普通しないんじゃないだろうか。それで私は自分のために料理ができないタイプなのだと気づいた。実家で作っていたのは、そのほとんどが私が食べるための料理ではなく、私の家族が食べるためのものだったから。(もちろんお腹は空くので、残り物にほかの家族と一緒にたかったり、つまんだりはしていた。)

さて、こんな底辺な食生活をするようになった背景には、高校時代までの食生活があるのではないかと思う(こないだは記事更新できていないことを忙しさのせいにして、今回は底辺な食生活を家庭のせいにしているよ!)。
高校時代、お昼はコンビニ総菜に頼ることも多かった。夜ご飯のおかずに納豆に鰹節をかけて亜麻仁油とかの意識高い油をかけて食べるのがお気に入りだった。すでに大学生のお手軽めしみたいになっていたから、今の食生活がこんなことになっているのも仕方がないだろう。

しかし、底辺底辺とはいうものの、限界食生活者にしてはいやに健康に気をつかっている方だと思う。野菜は週一以上で買うし、逆にカップ麺は引っ越してきたころに食べたきりで、下宿先ではそれから一度も食べていないはずだ。お湯を沸かしてまで不健康の代名詞を食べる気にはなれないのだ。

一方でそれもやはり食育のたまものなのだろうと思う。テレビや本で「健康によい食材」を知る機会が多かったから。アレルギー持ちでもあったし、自分のADHD的性質や無気力さを食事で改善したかったから。父親の影響を受け、添加物の味に慣れて舌を鈍らせるのが嫌で、「味が分かるキャラ」としてイキりたかったから。お茶ききができる自分の母(つまり私の祖母)の血を引いた父はまあまあ舌が繊細かつ肥えている。それで我が家は薄味ベースなのだ。そのおかげで学食の野菜サラダは味付けなしで食べられる。(ちなみに本人は、最近年を取ってきて味が濃くないとだめだと言っていた。)

さて、今現在部活のイベント終わりなのもあってか少々虚無気味のせみのしぐれは、プロテインとビタミン剤をヨーグルトに入れた完全食メインに時々納豆を食べるという食生活を思いついてしまった。どこまで偏っていくのだろうか。


この記事が参加している募集

QOLあげてみた

いただいたご支援は筆者の暮らしに役立てられます。