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高野山旅行記2019

おかざき麻里の阿吽という漫画がある、空海と最澄、同時代を生きた二人の僧侶の生き方を描いた漫画で、今も継続中だけど、この空海がめちゃめちゃ格好いい。めちゃめちゃ格好いいと言っても恋愛要素はほぼなく、橘逸勢に「空海はそんなことに興味ない」と言われる始末。

空海は修行の途中である山を訪れる。そこではツチグモ一族と呼ばれる渡来人の一派が集落を作って暮らしており、その人々から「にうつ様」と呼ばれる一人の女性の形をした神が山を守っている。ツチグモ一族やにうつ様は「秦の者」と呼ばれる人々から度々略奪を受けており、その度ににうつ様ー丹生都比売大神ーは、自分の体の一部、腕や眼や、あるいは四肢ーーを差し出して山を守る。

その姿を見た空海は丹生都比売大神に問う。

「お主なら、あやつ等全員倒すこともできるだろう?」

丹生都比売は答える。

「そのうち死ぬ者の命を今奪う必要があるのか?」「それで里で売って女房子供を食わす。死なずに済む。それのどこがいけないのだ?」「命とはなんだね、僧侶殿。「死んでいい命」というのを誰が決めるのだね?」

自分の守る、ツチグモ一族の人々を惨殺されてもなお、神には怒りや復讐心というものがない。

そして空海は言う。

「それではにうつ殿、今すぐは無理だが近い将来・・・我がこの里をひき受けよう。里ごと山の面倒を見よう。約束しよう。」

という漫画の話に感化されて高野山に行ってきた。高野山は、空海が今も生き続けているといわれる宗教都市だ。山全体が鬱蒼とした森に囲まれており、真言宗の寺院や学校がいたるところにある。

標高800mの高野山駅は地上よりもかなり気温が低く、ノースリーブだけど上着が厚手だから大丈夫だろうとタカをくくっていた私はロープウェーを登りきった瞬間後悔した。今住んでいる奈良市内より10度近く低い。いらんと思ってたけど旅行の荷物の中にヒートテック入れといてよかった。とはいえ、今すぐ着替えるのも憚られるのでそのまま旅を続行。まず向かったのは弘法大師が今も修行をしているという奥の院。ここには法人・個人問わず様々な墓があり、歴史的に有名な武将や著名人の墓もあるとのこと。残念ながら武将や徳川の墓は見つけられなかったが、その趣に圧倒される。樹齢1000年を超えているのではないかという大木が、いたるところにある。

墓所をずっと進んでいくと、弘法大師御廟という空海が入定したと言われる聖地エリアがある。これ以降は写真撮影禁止で、脱帽のうえ進むことができる。中はかなり怪しい雰囲気というか、弘法大師が入っていって今でも修行している(らしい)洞窟?などもあり、かなりオカルティック気分満載。全体の印象としてはとにかくありがたみが半端ない。ちなみに御神籤ならぬ御佛籤(なんて読むんだ?)があったので、絶対人生の今のこの流れだと小吉とかだろうなと思いつつ引いてみると出ました大吉。ここ数年大吉しか引いてないので、くじで運を使い果たしてる可能性がある。「七宝の色の輝く大幸運が目の前に迫っているのですが、報恩の心がないため常に幸運を逃しています」そ、そうかも…毎日写経でもしようかしら…

1日目の観光はこれで終了だけど、しかし今回は宿坊に泊まるという普段の旅にはないイベント付きのためワクワクがトマラナイ。泊まらせていただいたお寺はこちら、金剛三昧院!


世界遺産にも登録されているというすごいお寺で、なぜ予約がとれたのかは謎…外国人の方、夫婦で来られている方、女性の一人旅の方、などがいらっしゃった。男性の一人旅の方は今回たまたまかわからないけれど見かけなかった。宿坊に着くと、作務衣をきたお坊さんが部屋まで案内してくれる。今回は部屋のみで夕食は出ないプランになっていたはずが「1人分夕食が余っているのでよければお召し上がりください」という神対応ならぬ仏対応まで頂いてしまい、「えっいいんですか…なんかすみません…」とか言いながら心の中でガッツポーズを浮かべていました。感謝はしているつもりなんだけど…こういうところなんだろうな、多分。このブログ見たひとが訪れてくれれば幸いです。

夕食まで部屋でぼーっとする。漫画アプリで阿吽を読む。お菓子もお茶も美味しい。外は静かで少し寂しい。参拝記念と書かれた袋を開けると、お札が入っていました。

夕食は精進料理。名物の高野豆腐を使ったお料理などもあり、肉がなくても大変満足のいくお夕飯でした。ていうかそもそもこれお寺のご厚意でいただいているからね?お金払ってないのに。ごはんおかわり自由とか…慈悲深さ、半端なし。冗談抜きでこれはお寺さんに感謝でした。写真左上のお椀に入っていたのは胡麻豆腐。これがもっちりねっとりなんだけど上に乗ってたわさびがさわやか担当としてほんといい仕事してて…おいしすぎた。お金出してなんぼでも食べたい。

お風呂に入って10時には寝ていた。1日目終了。


2日目の朝は早い。5時半のアラームでiPhoneに叩き起こされて、最低限の化粧と服を着替えるだけしてお寺の本堂へ。朝6時半に本堂に来て何ができるかというと、そう、ありがたい朝のお勤めすなわち読経があるのだ。

ぞろぞろと宿坊に泊まっていた人々が本堂にやってくる。20数名だったと思うが、食事も同じ部屋でしているので会話はしなくても不思議な連帯感のようなものが生まれてくる。お坊さんが4、5名集まってきて読経がはじまる。複数名で行う読経は、なんとなく音楽的で、オーケストラまでいかなくてもセッションのような感じがした。宗教と音楽は密接だ。集中して聞いていると、なんとなく頭がぼーっとしてきて、薄暗いなかで仏教特有の明度の低い灯を見ていると瞑想状態のようになる。心が落ち着く。

読経が終わってから住職から寺の説明があったが全て日本語だった。外国人の方は理解できているのかいないのか、神妙そうにそれを聞いていた。でも内容的には寺の運営にかかるお金の話だった。

読経が終わってから朝食。朝食も精進料理で、野菜が美味しい。普段は朝食を食べないのだけれど、朝早く起きたので朝食の頃にはしっかり胃が動いていてご飯お代わりした。てかこのブログ読んでる人、この情報いる?

二日目は高野山金剛峰寺を訪問した。白装束の人たちがたくさんいた。

どこかで見かけた、面白いイス。

正直、そんなに覚えてなかったりする。すみません。金剛峯寺ではありがたいお話などを聞いた。

今回ひとり旅の行き先として高野山を選んだのはただ単に今奈良県に住んでいて、1、2時間で行けて電車で行ける場所で、そんなに若者がいなさそうなところ。。ということで導き出したのが高野山だったというだけなのだけど、仏教に興味があることもあり思ったより楽しめる旅行になってしまった。

京都や奈良にも寺院はあるけど、高野山の寺院はもっと禁欲的というか、脱世俗的というか、とにかく普通の人の生活から一線を画したところにある感じがした。奈良や京都の、人の生活の中に当たり前に観光地としての神社仏閣が共存している感じもいいけれど、宗教都市として人の生活と切り離され雲の上にひっそりと佇む都市、行けてよかったです。

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