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しらふで読むのは辛いので飲みながら読みました 『しらふで生きる 大酒飲みの決断』(町田康)

ほぼ毎日読書をし、ほぼ毎日「読書ログ」を書いています。452冊目。

少しほとぼりが冷めたので更新再開です。別にどこかに修行へ行っていたとかではないので、文章は変わらず下手でのたくってます。すみません。

しばらくnoteを書いていませんでしたが、本は読んでいました。もりもり読んでいました。酒もね、飲んでいました。酒、美味いよね。

本も酒も、手元に感想を書いたメモは残っているので、それを読み解きながらまたnoteに書いていこうと思います。

これまでの調子が出るかわからないけど(年末だから忙しい事には変わりないのよね)。コツコツと読んだ本を紹介していきたますよ。

とかいいながら、いきなり読了していない(と思っているけど、もしかしたら読了しているかもしれない)本からなんですけどね。


最近「アル中」ものとか「酒飲み文学」を読んでnoteでも紹介していたので、

「アイツはすっかりアルコールにやられてしまったのではないか。だからnoteも更新していないのではないか」

と、まことしやかに1名から言われたりしていました。

世間では、今回のコロナでアルコール依存症になってしまうひとが多い、なんて話も聞きますし。

私も毎日、朝・昼・晩と飲んでいるのではないかと、そんな疑いがもたれました。

でもね、意外なことに、コロナで在宅勤務が中心になってみると、酒の量は減っていました。

意外なことというのは、自分が一番意外に思っているからです。

昔から家飲みは好きなので、よく晩酌はするのだけど、最近は週に3日〜4日程度の頻度です。毎日じゃない。本当だよ。


飲酒の習慣のあるかたは、割と毎日、休肝日もなく飲み続けているという方も多いのではないかしら? 少なくとも、私のまわりの酒飲みはだいたい毎日飲んでいる。

そういった呑助仲間に「そういえば酒は3日ぶりだ」なんて伝えると「何だおまえは、いちびりやがって、つまらん嘘なんてついてないでほら飲め」とやられてしまい、全く信じてもらえない。


理由はわからないけど、コロナで酒の量は随分と減りました。

家族や有人と外食をするときも、こんなご時世なんで、目的が酒ではない場合は車で出かけていくので、なおさら飲まない。

周りの連中は、私に構わずモリモリ飲むので、だんだんと周りが酔っていくのを見ながら「ああ、これが下戸の見ていた世界か」なんて思うのだけど、それに対して辛さというか、寂しさというか、そういった負の感情が現れないのが不思議なんですよね。

性格的なものもあるのかもしれないけど、宴席に居ると、酒を飲まなくても不思議と気分も高揚していて、饒舌な感じにもなったりするし。

飲まなくても十分に楽しめる。あら、意外。


ということで、酒なんて飲まなくても平気だなフハハハ、と調子にのってコロナを乗り切ろうとしていたのですが。そんな私でも、酒を飲まないわけにはいかないと思わせる事がありました。

本書です。町田康の「しらふで生きる」です。

一部の酒飲みには有名な一冊。とうとう手を出してしまいましたよ。

著者は、元々は大酒飲みで、おそらくアル中一歩手前、連続飲酒直前までいっていた町田康。そんな大の酒好きが、30年飲み続けた酒をピタリとやめた。辞めるだけなら私もしょっちゅうやめているが、著者はなんと4年も飲まずに居る。

なぜ禁酒をしたのか、どうやって酒と決別ができたのか、なぜそんな決断が出来て、継続ができているのか、そういった事を期待して本を開くわけだけど、そうするとページを開いている間、ずっと著者の懊悩に付き合う事になる。これがもうね、飲まずに読めるか! という内容なんですよ。しらふでは読めません。

本書は、酒を辞める(=酒を飲みたい)という著者の怨念だけで一冊が成り立っている。この一つのテーマだけで、ああでもない、こうでもないと、あらゆる角度から、あらゆる詭弁・駄弁・駄文が駆使されてい。

これ、飲みながら読んでいると、終電を諦めたあとのゴールデン街で謎の文壇おじさんに捕まってしまい空が白むまで白目を剥きながら話を聞き続けているような気分になるのです。

これは素面では読めないですよ。特に酒飲みは。

ということで、酒をちびちびとやりながらページをたぐる事になるのだけど、飲みながら読むので、何処まで読んだのか、何を読んだのか、本当に読んだのか、まったくわからない。

呑助さんなら大いに楽しめますんで、ちょいと読んでみてください。

わたしは読了できたのだろうか。全然わからない。

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