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【書評】 長いお別れ 『ロング・グッドバイ』

ほぼ毎日読書をし、ほぼ毎日「読書ログ」を書いています。181冊目。

ハードボイルドですよ。ハードボイルドの意味としては、文字通り固ゆで卵を指すのだけど、その硬くて、ぼそぼそして、口に含んだら最後、口中の水分が奪われてもそもそしたような顔になる。そんな様をして、感情を顔に出さないクールで冷酷、妥協のない人の様子を表す言葉になりました。

ちょっと意味がわからないけど、よその文化のよその言語でのことなので文句を言ってもしょうがない。

私のような日本人のライトな文学ファンとしては、文学でハードボイルドといえば、ヘミングウェイ。そして、ミステリーでハードボイルドといえば、レイモンド・チャンドラー。

日本人作家でハードボイルドといえば原寮がまっさきに浮かぶ。

チャンドラーの熱烈なファンと公言する原寮は、西新宿で事務所を開く私立探偵・沢崎のシリーズで有名というか、これしか描いていない方なのだけど、その新作『それまでの明日』をいよいよ読もうとなったので、その準備運動として、身体をハードボイルドにするためにチャンドラーが読みたくなり手に取ったのが傑作である本作。

『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー)

この『ロング・グッドバイ』は、レイモンド・チャンドラーの一連のフィリップ・マーロウシリーズの代表作と言われる作品だ。

超有名な作品だし、傑作だし、読む人はすでに読んでいるし、傑作だし、読まない人は誰にすすめられても読まないだろうから、今さら私みたいなのが紹介したところでどうにもならないのだけど。傑作だから読んでほしいな。古典に片足を突っ込んだ古い作品だけど、今も色褪せない面白さ。

僕が生まれる前から出版されていた清水俊二訳がおなじみなのだけど、10年近く前に村上春樹による新訳が出版されていて、これが断然読みやすい。

そして、村上春樹による「訳者あとがき」がとっても面白い。

訳者あとがきには” 準古典小説としての『ロング・グッドバイ』”というタイトルがついていて、ボリュームはなんと60ページ。チャンドラー愛に溢れる解説であり、マーロウ分析があり、ハードボイルド論があり、フィッツジェラルドの『グレートギャッツビー』との関連を見つけ、翻訳についてのいくつかが語られている。

村上春樹は、何十年もこの作品を読んできたという。そして、いくら読んでも飽きる事がないという。なぜか、その理由のひとつとして、文書の上手さをあげている。

チャンドラー独特の闊達な文体は、この『ロング・グッドバイ』において間違いなく最高点をマークしている。最初にこの小説を読んだとき、その文体の「普通でなさ」に僕はまさに仰天してしまった。こんなものがありなのか、と。

そして、大げさじゃね? と感じるほどにこの作品の重要性を説いてくる。疑いの余地なく傑出し、他に抜きん出ており、夢のような領域に近づいていると。

マーロウは仮設であり記号である、という論が語られるが、残念ながら私には理解できなかった。そのうちまた読み直してみようと思うが、とにかく、熱っぽい解説は読んでいて面白い。

読んでいると、フィリップ・マーロウの事を書いているのか、レイモンド・チャンドラーの事を言っているのかわからなくなり。何度か読み返したりした。そして、そのうちフィリップ・マーロウの事なのか、レイモンド・チャンドラーの事なのか、村上春樹の事なのかわからなくなってしまい、また読み返してしまう。

フィッツジェラルドの『グレートギャッツビー」の影響を指摘しているのだけど、それはそのまま村上春樹の作品に繋がっているような気もする。

2017年に発表された村上春樹の『騎士団長殺し』からは、グレートギャツビーへのオマージュが感じられるのだけど、そのオマージュ具合がチャンドラーぽいというか、そういう印象を受けたのだけど、この解説を読んで、ちょっとそのあたりの理解に近づいたきがする。

小説以外の村上春樹には、ほとんど触れてこなかったので(ウイスキーの本は大好きだよ)、どういった考え方をする方なのか、小説家としてどんな方なのかを知ることが無かったのだけど、この力のこもった解説を読んで、面倒くさそうだけど、実直で超真面目な方なのだろうなと感じた。

表紙がカッコイイ。これは単行本なので1800円とお高いのだけど、この表紙がカッコイイ。

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ほら、かっこいい。

文庫本もわるくはない、のだけど、

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ちょっと物足りない。

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