【書評】改めて尊敬と感謝を! 道産子でも詳しくは知らない方が多いのでは 『屯田兵とは何か その遺勲と変遷』
ほぼ毎日読書をし、ほぼ毎日「読書ログ」を書いています。378冊目。
屯田兵ってご存知ですか? 読みは「とんでんへい」です。
この屯田兵、道民以外の方にはどれくらい知られているのだろう? 私は15歳位まで札幌で育ったので、学校や課外授業などで屯田兵の事に触れる機会があったけど、道民以外には殆ど馴染みがないのではないかしら。
ゴールデンカムイのおかげで北海道の先住民であるアイヌの人々の文化は知られるようになったけど、本土から北海道の開墾&北方防衛のため、北海道の各地に兵隊として入植した人達が居た、という話はあまり知られていないかもしれない。
勝手に想像するに、道民以外の方の頭の中から北海道史を抜き出すと、まず「アイヌ民が居た」そして「土方歳三が函館(当時は箱館)の一本木関門で戦死」し、なんかいろいろとあって「北の国から」で電気がないと暮らせませんよ、みたいなジャンプをしているのではないだろうか。
まぁともかく、その「なんかいろいろとあって」の所がもう、涙なしでは語れない開拓民達の艱難辛苦の歴史で。自治体が北海道のイメージアップしようとキャンペーンをする時に、キャッチコピーについ「試される大地」とかハードなものを採用しちゃう位には苦労を重ねてきた土地です。
そんな北海道の開拓を支えたのが戊辰戦争後に北海道の各地へ入植していった屯田兵達でした。現在の北海道が欧米型の大規模な農作、酪農を行うことができて、結果日本随一の食料供給地域として栄えるまで至ったのは、屯田兵達の努力が有ったからです。偉いんです。
ちなみに「屯田」とは、開拓されていない新しい土地に兵士を送りその土地を開墾させ、普段は農業を行わせつつ、なにか有事があった歳には軍隊に従事させる制度です。大昔の中国などで盛んに行われていたという記録があったり、日本でも、富田とつく地名は屯田兵達が開拓した土地だといわれているそうな。
さて、北海道。当時の北海道(蝦夷)は、開発が殆ど進んでいなかったのだけど、北海道の北に位置する樺太(現在のサハリン)でロシアが好き勝手暴れていて、このままでは北海道にもちょっかいを出してきそうだ、という状況。そこで、戊辰戦争が終わり明治政府が立ち上がってから5年後の明治7年、北方防備を目的とした屯田兵制度が立ち上がりました。
本土から希望者を募り(といっても最初は明治維新で失業した士族の救済措置だったので、士族ばかりだったけど)集まった屯田兵達は、手つかずの大地を、それこそ原始林を切り開くところから土地を開発していきました。
本書は、屯田兵について、長年の研究により得られた各種知識を一般向けに整理したものになります。屯田兵制度について、お腹いっぱいになるまで勉強できます。良く言えば網羅的。だた、優れた網羅性を持つがゆえになのですが、悪く言えば教科書的で退屈なのも確か。
もっと人間が出てくれば物語になると思うのだけど、とにかく淡々と事実だけがまとめられている。人の息遣いが感じられないので、読み物として楽しめる体裁ではない。
どんな人にオススメかと聞かれると正直困っちゃうのだけど、道産子の皆様いかがですか? 個人的には子供の頃に得た薄ぼんやりとした知識が、最新の情報で綺麗にアップデートされたので大いに満足しましたよ。
改めて尊敬と感謝を。
屯田兵は「兵」なので、当然戦争にも参加していて西南戦争、日清戦争、日露戦争と戦っているのだけど、日露戦争についての記述を読んでいたら、なんと司馬遼太郎による『坂の上の雲』でおなじみ乃木希典率いる第三郡に属していて、旅順攻囲戦(日露あわせ10万人が死傷した)で「二〇三高地第三次総攻撃から参加」とあり、しかも一部は「白襷隊に参加」とありしんみりする。
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